NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

[リクエスト・メニュー対決その4]
青梗菜(チンゲンサイ)&豚肉
VS
牛蒡(ごぼう)人参&枝豆湯葉ひろうす
DCIM0824














[『あなたが名探偵~19の難事件を解決しろ~』 ・続]
・・・長屋モノ・駐車場モノ・音楽モノ・天候モノ・・・

ややモチベーション薄れつつあり・・・、
(いったい何のための戦い・対決なのか~~~???~~~夏はどこへ~~~???)

まあ、おいしければ、おもしろければ、
善哉(よきかな)・・・と。


・・・・・・・・・・・・


・・・戦い・対決とは全く無関係に・・・、
・・・あえて言えば対比的に・・・、
・・・荘子的に言えば「明」として・・・、


『使いみちのない風景』
(中公文庫:村上春樹=文/稲越功一=写真)
に目を通しています。

小さなギリシャの島の風景が、
ミニ・エッセイとともに並んでいます。

やがて成り立ってゆく『ノルウェイの森』が、
少しずつ少しずつ書かれていた頃の身辺雑記です。


こんな本を読めるのも、
善哉・・・。








 

「NHKテキスト・荘子・玄侑宗久」からの学び(=遊び)を続けています。

万物斉同(ばんぶつせいどう)・・・、
すべてのものはひとしくおなじ、という意味で荘子の「斉物論」(せいぶつろん)からの言葉です。

荘子のエピソードとして有名な「胡蝶の夢」は、
この斉物論篇の最後にあります。


昔者(むかし)、荘周、夢に胡蝶と為る。
栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。
自ら喩(愉:たのし)みて志に適(かな)うかな。
周なることを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るかを。
周と胡蝶とは、則ち必ず分あらん。
此れをこれ物化と謂う。


(NPG訳)
昔、私荘周は夢の中で蝶になった。
はっきりと蝶である。
自分で楽しみながら思い通りにとんでいた。
周であることは分からなかった。
はっと気がつくと、やはりまた周だった。
分からない、周の夢の中で蝶となったのか、蝶の夢の中で周となったのかを。
周と蝶とは、つまりきっと区別があるのだろう。
これこそを物化というにちがいない。


・・・どちらなのか分からないと言っておきながら、
二者には区別がある、
これが「物化」(もののへんか)だと・・・。

つまり、
「夢」と「現実」という二者の区別は確かにあるのだが、
二項対立的や二元論的なものではなくて、
すべての事象は「同時発生」「二項並立」だという認識です。


荘子は、
すべての命は無窮(むきゅう≒永遠)の変化の中で次々に目覚めていき、
目覚めるたびに、
それまで生きていた生は次々と夢になっていくと考えた・・・と、
玄侑さんは説かれています。 

さらに荘子は、
あらゆる二項対立や区別を超えるものの見方を、
「明」(めい)
と呼んでいます・・・と。
対語としてとらえると対立を生むので、
無窮の変化の一部としてとらえてはどうかということ・・・。
これが「明」という見方で、
仏教でいう「無分別智」(むふんべつち:あらゆる分別を妄想あるいは錯誤だと見て、
それらを超える絶対知)とも重なりますと・・・、
玄侑さんは仏僧らしく指摘されています。


さて、ここでNPGは・・・、
果たして「重複対比」や「並立対比」や「内在対比」について、
つまり当ブログの根幹のひとつを成す「対比」を、
「万物斉同」(一切斉同)の「明」の範疇(はんちゅう)で考え得るかどうか、
自問自答を始めています。

区別・分別・識別・・・、
あって無きがごとし。

「夢と現(うつつ)」
「生と死」
「静と動」
「正と邪」

「天と地」
「学と遊」

道は昭(あきら)かなれば道ならず、
言は弁ずれば及ばず、
・・・でしたね。

全てを受け容れて楽しむのが「遊」の境地

もう少し、
心から「遊」を楽しみたい・・・、
晩夏が続いています。




 

旧暦の七月一日(ふみづきついたち)なので、「朔」(さく=新月)です。
この見えない月が、日の出直前に東の空低くに架かっていたはず。

明日(二日)は右下がか細く薄っすらと見える月が、日の入り直後に西の空低く出ます。
つまり明後日(三日)は、文月三日月が西の空に昇ります、
新暦8月16日「送り火」宵闇(よいやみ)に相応しい月です。


今日は月との関係で「大潮」の中日でもあり、
次の大潮は満月の頃、
その辺りが「旧盆」「旧・薮入り」*です。

もう廃語でしょうが・・・旧暦感覚だと、
ようやく暑い日照りの夏(まさに水無月)の残暑にも一区切りついて、
奉公人がお暇をいただいて「帰省」をゆるされるのが薮入り。

・・・そこまで、あとおよそ二週間。


さて夕刻には、
「戦後70年の首相談話」が閣議決定されるようです。
どうか世界の人々や戦後を懸命に生きる人や戦争犠牲・被害者に向けて心無きに見えませんように。


戦後70年を目を見据えて振り返るべき、
暑い夏がまだまだ続きます。



*薮入(藪入:やぶい)り・・・
かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚(でっち)や女中 など奉公人が実家へと帰ることのできた休日。
1月16日と7月16日がその日に当たって いた。7月のものは「後(のち)の藪入り」とも言う。
[Wikipediaより]


 

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