楠淳證(くすのきじゅんしょう)龍谷大学教授先生が、今回も「お浄土」のお話を聞かせて下さいました。通夜でも告別式でも、四十九日も一周忌も、ご住職として法衣(ほうえ・ほうい=袈裟けさ)を纏(まと)い、新倉先生の研究同志として、最も近しいかたとして弔辞も法話もして下さいました。

「ひとたび死の縁(えん)に出遭(あ)ったら・・・」という件(くだり)が今日は印象的でした。NP思うに、生の縁は多生多縁(たしょう=他生 たえん)で数沢山あるのでしょうか、死の縁はまさに一期終縁(いちご しゅうえん=終焉)なのでしょうか。
「新倉さんも死の床からひと度は回復して、 “よくなったよ~”と笑顔で戻ってきてお祝いまでしましたが・・・」とのお言葉、まったく同期同感です。

でも、「ごめんごめん~」の時もそうでしたが、彼はいい笑顔の人でしたね。普段むつっと、あるいは飄々(ひょうひょう)淡々としている分、余計にそうでしたね。

「解脱上人(げだつしょうにん)貞慶(じょうけい)」の話を夢中になってよく話してくれましたね。
今でも新倉和文・貞慶で検索すると、思いがけないくらいいっぱい上がってきて、嬉しいような切ないような。

今回、彼の生前(二年前)のミニ講話録音CDを、奥様にお渡しできました。共通の知人のご尽力で作成したものですが、その後聴き取って起こした文章だけをNPの手元に残しました。内容は、生徒・保護者向けで、仏教研究のことではありません。

阪神タイガースファンの奥様、ドラフトでご希望の超高校級投手を指名できるといいですね。身近な御縁で・・・。
お嬢様、御主人、吉報をお待ちしています。

かようにお身内のかた、皆さま恙(つつが)無くお過ごしのようにお見受け致しました。命日は21日ですが、一周忌法要は旧暦の文月晦日(つごもり=末日)、心の節目となりました。

合掌。

追記・・・別の共通の知人と久方ぶりに、この夜会食しました。新倉さんのことも語れる、倫理哲学も、他のことも総(すべ)て教えていただけるようなかたです。他生(多生)の縁を感じながら、この標題文章連鎖は③で止めます。