『冬物語2012』 NP
立春過ぎて、寒さが続いている。気候よりむしろ、こころのことである。
いっしょに一所懸命やっている、と信じてきた友人が、大学を留年する と言う。
え、もうすぐ卒業じゃん、単位まずいの?
ううん、卒論以外はほぼ大丈夫。
はあ?卒論絶対通るよ、担当の斎藤先生やさしいもん、わたしたのんでみようか。
うーん、じゃなくて気持ちの問題、もっと納得いく研究したいし。
なっとくもなにも、通っちゃうよ、普通に。
だから、通りたくない、残りたいんだわ。
えー!なんでなんで!?
この2年間、ぜっんぜん不本意だった。
ふ、ふほんい、って、あなたがふほんいなら、わたしなんか月とすっぽんよ。
(まずい、使い方ちがうか)
・・・とにかく、も一回やり直したい、卒論単位以外は全部とって留年するわ。
ほえー、謝恩会どうすんのよ、会費はらったじゃん。
あーもーそういう問題じゃないんだよね。
彼女は食い下がるわたしを振り払って、通学門前の下り坂をスタスタ下りて行った。
後姿はキッパリとしていて、もう誰も寄せ付けないような凍えた感じがあった。
夕暮れ近く、街路のサクラたちは枯れ木のまま、よけいに寒々しかった。
1年以上前、冬本番を迎えてわたしが迷っている時、暖房の効きの悪い大学図書館で、彼女は相談に乗ってくれた。
わたしさ、小さい頃親に押し付けられた宗教にコマってんだよね。
嫌ならやめれば。
いやーそう簡単じゃないんだよね、抜けるにもお金がいるみたいで。
そんな宗教絶対に変だよ、警察に相談すれば。
と、とんでもない、親がその団体の職員なんだよ、確実ムリ。
親って、関西でしょ実家、ここ遠いよ、抜けちゃいな。
お金ないもん。
・・・じゃあね、知り合いに弁護士の卵いるから・・・、そいつに誰か弁護士ただで連れてきてもらう。
で、どうすんの。
いっしょに脱会届を出しに行こ、もちろん無料で。
えー、つきまとわれたらイヤだよ。
だいじょうぶ、弁護士にいてもらうだけで違うんだって。
たまたま場所柄、周りに本が山ほどあったので、二人で宗教やカルト関係のことを少しは勉強した。
結果的に、宗教カルトを抜ける日になって、弁護士の卵は来たが親玉は来なかった。・・・それでも、寒風の吹きすさぶ建物の陰で彼女に待機してもらって、あやしげな集会所の一室に入り、お金はとられず届出は受理してもらえた。卵が思いの外フケ顔で貫禄があったからだ。つきまとわれ(ってどんなんだろ、実は知らない)も無かった。後日、親から電話でこっぴどく怒られたが、卵にもらった親玉の名刺のカタガキを出したら、黙り込んでしまった。助かった、有名人でなくてもベンゴシって偉大だ。
抜けたオイワイ(なんか変な言い方)に、二人と卵とで鍋パーティをやった。ついさっきまで怖げな場所を共有した勢いで、わたしと卵は意気投合してしまって、卵は彼氏というヒナになった。仲介してくれた彼女は、その後千葉の親元に帰ったまま、なぜか3ヶ月ぐらい大学から遠ざかることになったので、あ、もしかするとまずかったのかなと、バレンタインの頃には思った。・・・ヒナはヒナのままで育たずに別れ、それから春になって、彼女もキャンパスに戻り、あっと言う間に四季がひと巡りすることになる。
彼女は大震災のボランティアで東北にいる・・・三回生必須の単位を相当落として、大学を離れているらしい、そんな噂が友だちの間では広まった年度末だった。だけど、震災の影響があって、多くの他大学同様に遅れて始まった新学期のキャンパスに、何事もなかったかのように彼女が姿を見せるようになった時、みんな、そのことについては余り詮索しなかった。東京よりも揺れたはずの千葉の実家で、何かあったようには感じられた。でもそれは、文字通りの揺れがいつしか収まるように、元気ならそれでいいじゃん、命あってのものだね・そういうものだね(何か語呂が合う)ということで片付けられていった。
あー、ほんとによかったねー戻れて、千葉も揺れたんでしょ、実家大丈夫だった? どうしてたの一体。
ちょっと親とトラブってた。
え、優しいチチハハだって言ってたではないの。
それが問題だったな、でもまあいいわ、もう忘れたい、ぜ・ん・ぶ。
あそう、もう聞かないね、・・・そうだ聞いてよ、結局彼とは別れたわよ、顔だけじゃなく考えもフケてたわ。
あそう、もう聞かないね私も、・・・どうでもいいのよ、親も男も自分も。
その投げやりな並べ方が妙に気になったが、やがて元通り元気になった彼女は、キャンパスで学園祭実行委員として活躍し始めて、その話はそれっきりになった。
五月のゴールデンウィーク明けにようやく新年度の大学は始まっていた。東北への、東北からの学生への配慮ということだったけれど、多くの在学生にとってはモラトリアムが緩慢に続くだけで、震災関連のボランティアを募る大学構内の貼り紙も空々しい感じがして煩わしかった。
長引く経済不況で超氷河期と言われる就職難は続き、三回生の就活が花盛りの中、四回生も必死に遅咲きを求めてリクルート姿のままだった。
そして夏休み直前だったか、相変わらず就活がうまく行かないわたしは、彼女に愚痴ってみた。彼女はさっさと割り切って外資系の損保会社に身売り済みだったが、大安売りだったらしく、渡りに舟(これも何か変)とは言えないようだった。でも、秋の学園祭に向けてイベントの企画運営に勤しんでいる様子は、とても羨ましかった。学園祭は、いつの間にか進路が決まった学生へのご褒美になり下がっていたのだ。
冷房の効き過ぎた喫茶店で延々と話は続き、二人とも帰るに帰れなくなってネットカフェに場所を移し徹夜になった。
あの完徹の日から、7か月ぐらいが経つのだと思う。寒い、うーさぶっ、この冷え込みはいったい何なのだろう。地球温暖化のお陰で、毎年暖冬が続くはずではなかったのか。日本のどこかで春一番が吹き荒れ、一方で暴風雪というデタラメになったその日、わたしは卒業が決まり、彼女は留年を決めた。
どんなに話し合っても彼女は譲らなかった。できれば、いっしょに卒業して同期生でいたかったし、卒業論文の合評会や卒業式や謝恩会も盛り上がりたかった。卒業旅行も、卓球のできる温泉旅館・・・それでよかったのに・・・。
先日出たばかりの比較的真面目そうな週刊誌に、東北のある病院における、年少者の甲状腺がん発症発見例がスクープされていた。わたしは関西の親元から、下宿を引き払って一刻も早く戻るように言われながら、四回生を終え卒業しようとしている。関西弁がようやく消えかかって、さらに親の宗教を勝手にやめたわたしは、関係知人の、食材は西日本から取り寄せた方がいいよ、牛乳は飲まない方がいいよ、というアドバイスを、なかば呆然と受け流していた。ウソとホントの境目がわからない。・・・彼女は、あの時、すぐ震災の現地に入ってずっと炊き出しの手伝いをしていた・・・らしい・・・これも、誰も見たことがないのに、なぜ一人芝居(ちがう)・・・一人歩きするんだろう。
私は、あの三か月の空白を、どうしても埋めることができなかった。まさか、自分の親が、カルトに取り込まれているなんて思いもよらなかった。しかも父は、仕事や借金でも、カルト出張所のボスみたいなやつに縛られていた。
・・・三回生の冬休みを、千葉の実家でヌクヌク過ごそうと帰省した私に、母は泣いているだけで、何が起こったのか皆目わからなかった。よくよく聞きただしてみると、父が、あの、ユカが子どもの時から無理やり入れられていた宗教にドップリはまっていたのだ。仕事ももらって、その代わり借金も重ねて、それもほとんど「お布施」として献金させられていた、ハンパな額じゃなかった。母も働きに出ていたが、それも父同様でカルトのくれた、タコが自分の足を食うような、お情け仕事だった。
二人とも、ヒトがよすぎる、と言うか超お間抜け。普通に冷静に考えれば、霊だの祟りだの憑依だの、有り得ない嘘の世界なのに。特に洗脳され切った父は、事もあろうに私を、そのカルトの指導者養成学校みたいなところへ行かせようと考えていた。大学を中退までさせてだ、とても信じられない、信じたくなかった、私が進学で実家を離れてから三年目、こんなことになっていたとは。
まいった。心底やられた、と思った。弁護士の卵という知り合いはいるが、使えなかった、いや、意地でも使いたくなかった。彼のフケかげんがそれなりに気に入っていたが、今ではユカとよろしくやっているだろうし、あれだけ見下げていたカルトに私の身内がはまっているなんて、口がさけても言えなかった。私はプライドと理想が高いのだ。でも、ホントにまいってしまった。
・・・結果的には、1・2・3月と重要な年度末を、壊滅的に犠牲にした。ひとりぼっちで、心が寒くてしかたなかった。私は、身をはって説得を続け、警察や法律相談所にも行って、さすがに怖かったけれどボスと決死の体で直に交渉して、ようやくようやくチチハハの奪還に成功した。父も母も仕事と気力を一挙に失ったので、そのフォローも大変だった。
私は大学の後期単位認定試験も受けられず、ゼミ担任の斎藤先生に頼んで、いくつかの履修単位を提出物で代替してもらったが、涙をのんでいくつもの単位を落とした。かろうじて、新年度で再履修すれば一年後の卒業には差し支えない状態にまでこぎ付けて、私は春にはキャンパスに戻ろうと決めた。
「壊滅的犠牲?」
そして3月11日が来る。
あの日、私は千葉・旭の実家にいた。
午後3時前、強烈な揺れが安普請の我が家を襲った。木製の書棚が倒れ、金魚鉢は割れた。放り出された金魚たちをかき集めて風呂桶に入れて、水道水を・・・出ない。散乱した部屋と洗面所を行ったり来たりしながら、何をすべきか考えた。
ギシリ・・・嫌な音を立てる玄関ドアを開けて、近くのコンビニに走った、わけが分からないまま、交差点の信号は点滅状態。水、1ℓペットボトルを・・・え、売り切れ、まさか、あ、レジにいる人・人・人・・・麦茶ボトルならある、思わず3本抱きかかえて、レジへ。店員も放心状態で、それでも売り続けている。走って戻る・・・遠くでサイレンの音がいくつか錯綜し始めていた・・・極めて非常時、恐らくは。
家に入る、麦茶を風呂桶の金魚たちに溢れるほど注ぐ・・・生きろ、生きよ・・・いったい何をしているのだ私は・・・。
脱カルト・シンドロームでずっと寝込んでいた両親は、いつの間にか姿を消していた。
その後のことはよく覚えていない。家からほど近い沿岸部は、8mの津波にのみ込まれたらしい。
ここは東北? 違う千葉・旭・・・それでも震度5強、死者は13名、全壊家屋427棟、床上浸水387棟・・・壊滅的犠牲、被害・・・ずっと後で知った。私は、何かに駆られるように東北に向かっていた。
東京都内、新宿・歌舞伎町、震度4。わたしは、真昼間からカフェ・スイーツのバーに一人でいた(甘党で辛党!)。
・・・でもわたしはあの時ほど怖くは感じなかった。
6才だった。震源地の神戸からやや遠い大阪・茨木に、わたしはいた。
午前6時前、ものすごい揺れがバブル・マンションの我が家を襲った。スチール本棚が倒れ、金魚鉢は割れた。ピチピチはねる金魚たちをかき集めて風呂桶に入れて、水道水を・・・出ない。散らかった部屋と洗面所を行ったり来たりしながら、どうしようか・・・。
ぎぎぎ・・・イヤな音を立てる玄関ドアを開けて、五百円玉握りしめて、近くのコンビニに走った、わけが分からないまま、交差点の信号は点いたり消えたり。水、1ℓペットボトルを・・・え、売り切れ、なんで、あ、レジに人が沢山・・・麦茶ボトルならある、1本抱きしめて、レジへ。店員さんはいつもの人、なにかを気にしながら、それでも売ってくれた。走って戻る・・・遠くでサイレンの音がいくつか聞こえてきた・・・こわい、何が起こったの。
家に入る、麦茶を風呂桶の金魚たちにジャボジャボ注ぐ・・・生きててね・・・何をしているの、わたし・・・。
とっくにシューキョーの集まりに飛び出ていったのか、両親はいなかった(ごしゅーきょー様!)。
その後のことはまったく覚えていない。わたしが本当はどこにいるのか、わたしが一体何才なのか、わからなくなっていた。
ここは東北? 違う、新宿、ちがう、茨木・・・壊滅的被害は・・・ない。ここはどこ、わたしは誰。
わたしは、大阪へは、帰らなかった・・・ような・・・別のどこかに向かったような・・・気も、する。
僕は弁護士志望のフリーターだ。一応、司法事務所で雑務をさせてもらっているが、コンビニバイトと時給は変わらない。
ある女ともだちと不思議な出会いをした、また別れもした。秋の終わり頃、いつものネットカフェで隣に座ったカノジョは、最初カレンと名乗った。途中からユカとも自称して、やがてカレンとユカは一体化していった。・・・何と言ったらいいのか、同じであり、別人なのだ。もちろん、慣れるまでは大変だったけど、自分でもこの有り得ないシチュエーションを楽しめるようになった。僕は、会うたびに今日はどちらなのかを何気なく確かめてから、それぞれを付き合った。そして次第に、会っている途中でも、その変身が起こるようになった。もうその時には、僕は何がどうなっても驚かないようになっていた。全くわけが分からないけど必死の形相で言い出したカルト宗教から、カノジョが抜けるのを手伝ったこともある。当然、カノジョの妄想の中で僕は傍らに付き添っていただけだ。
年明けて冬の終わり頃、僕はカノジョと、いやフタリと別れた。
ヒトリは実家にずっと幽閉されていて、あの震災後は東北にいると言い、もうひとりは自分がどこにいるのか分からないと言い出していた。
年齢より老けて見られるのをいいことにナンパな生き方をしてきたが、こんなのは初めてだった。・・・一人の女性と別れたはずなのに、僕は二人と別れたことになっていたのだから。カレンはしばらく姿を消していて、その間ずっとユカが現れていた、確かその頃だった。つらくも悲しくもなく、何だろう不思議としか言いようのない経験だった。
それから一年近くが過ぎ去った。また冬が終わる、完全に姿を消す。そう、僕も、また終焉にいる。
一年ぐらい出ていなかった、弁護士志望の男が現れた。
・・・きわめて稀なケースを、ワタクシは記してきた。夏目漱石は、後期三部作のひとつ『彼岸過迄』を、新年早々新聞に連載し始めて、その題名は完結の頃合を見計らっていたそうだ。そうはうまく終わらずに、ストーリーは続いていったのだが・・・。
ワタクシもまた、今、ある一個の人物に関する三通りの冬物語にピリオドを打つ。フタリの女とヒトリの男を持つ三重人格者のケースについて、・・・彼岸過ぎに。
ぴりおどハ本当ニ打タレタノダロウカ、かるてヲ記シタ「医者」ハ本当ニ別個ノ・・・?
以上で完結。加筆訂正無しです。立春過ぎから春の彼岸過ぎに至る、現在進行形と過去完了形が交錯する物語だったのですが・・・如何(いかが)ですか。