山本文緒(ふみお)さんの「近未来小説」のタイトルですが、今まさにその時季です。
花散って 水は南へ 流れけり (正岡子規)
大きな句ですね。
彼は東京帝国大学予備門(後の東大教養部)に入る前にすでに喀血(かっけつ・肺病などで吐血すること)していたらしく、升(のぼる)という名前よりも、子規(しき=ホトトギス・血を吐くまで鳴き続けると言われる鳥)という雅号(がごう・芸術家や俳人歌人としての風雅・ふうが=風流で雅・みやび な名前)の方を主に使うようになりました。
花も水も「命」の暗喩ですね、大きな命が絶えようとして、また消えようとしているのでしょう。
南は、子規の心が立ち向かう先でしょうか、暑い熱い季節を、彼は最後に生き抜いて、秋(1902年・明治35年9月19日)に、数え35歳の若さで亡くなります。NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」での、子規役・香川照之さんのプロ根性の凄さを、涙溢れずには見られない演技を、NPは復(ま)た想い出します。
この句は、次の明(みん)代初期の漢詩人・高啓の五言絶句(ごごんぜっく・一句=1行が5字で四行の漢詩)を踏まえているようです。白文・書き下し文・口語訳文 の順に示します。
「尋胡陰君」
渡 水 復 渡 水
看 花 還 看 花
春 風 江 上 路
不 覺 到 君 家
「胡陰君を尋ぬ」
水を渡り 復た水を渡り
花を看(み) 還(ま)た花を看る
春風 江上の路
覚えず 君が家に到る
「コイン君を訪ねる」
川を越えまた川を越え
花を見てまた花を見て
春風の中 大河のほとりの道
いつの間にか君の家に着いた
*白文・二句目末尾字の「花」と四句目末尾字の「家」が、音読み「ka」で「 a 母音」の「押韻(おういん)・音読みの同じ発音母音によってリズム感を出すこと」になっています。
大河(たいが)は季節同様に「南(=朱夏・しゅか)」へと流れていたのです。桜花に限らず、花(命)は必ず散って、川の流れが行きつくようにいつかは大きな海(後世・ごせ=死後)へと還(かえ)ってゆきます。輪廻転生(りんねてんせい=生まれ変わり、巡り繰り返される生命)を信じながら、人は命を削って日々を全(まっと)うしてゆくしかありません・・・。
はるか南の大きな河のほとりの家、それはきっと幻(まぼろし)です、しかし会いたい人、あなたはそこにきっといるのでしょう。・・・人生で、生きているうちにもっともっと話しておきたかった人がいます、失ってからしか気づくことが出来ません。
「花素材」は「人の命(の美しさ哀しさ)・輝ける(盛衰の)時」を、「水素材」は「変化流動」を感じさせてくれます。ゆえに水もまた命に通じます。
春は、とりわけ「花・命・水」 を切なく感じさせてくれる季節ですね。
『落花流水』をあらためて読んでみたくなりました。
7歳で登場する手毬(てまり)という名の主人公の半生・・・だったかな、未来に亘(わた)って流れる彼女(花)の命、変幻(へんげん・不思議な小説です)の歳月が描かれているのです。
春爛漫(はるらんまん)にはまだ少し寒い朝です。ある「知人」からいただいた「ベゴニアの鉢植え」が窓際を僅(わず)かに彩(いろど)っている、そんな仕事場へ行きます。
花散って 水は南へ 流れけり (正岡子規)
大きな句ですね。
彼は東京帝国大学予備門(後の東大教養部)に入る前にすでに喀血(かっけつ・肺病などで吐血すること)していたらしく、升(のぼる)という名前よりも、子規(しき=ホトトギス・血を吐くまで鳴き続けると言われる鳥)という雅号(がごう・芸術家や俳人歌人としての風雅・ふうが=風流で雅・みやび な名前)の方を主に使うようになりました。
花も水も「命」の暗喩ですね、大きな命が絶えようとして、また消えようとしているのでしょう。
南は、子規の心が立ち向かう先でしょうか、暑い熱い季節を、彼は最後に生き抜いて、秋(1902年・明治35年9月19日)に、数え35歳の若さで亡くなります。NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」での、子規役・香川照之さんのプロ根性の凄さを、涙溢れずには見られない演技を、NPは復(ま)た想い出します。
この句は、次の明(みん)代初期の漢詩人・高啓の五言絶句(ごごんぜっく・一句=1行が5字で四行の漢詩)を踏まえているようです。白文・書き下し文・口語訳文 の順に示します。
「尋胡陰君」
渡 水 復 渡 水
看 花 還 看 花
春 風 江 上 路
不 覺 到 君 家
「胡陰君を尋ぬ」
水を渡り 復た水を渡り
花を看(み) 還(ま)た花を看る
春風 江上の路
覚えず 君が家に到る
「コイン君を訪ねる」
川を越えまた川を越え
花を見てまた花を見て
春風の中 大河のほとりの道
いつの間にか君の家に着いた
*白文・二句目末尾字の「花」と四句目末尾字の「家」が、音読み「ka」で「 a 母音」の「押韻(おういん)・音読みの同じ発音母音によってリズム感を出すこと」になっています。
大河(たいが)は季節同様に「南(=朱夏・しゅか)」へと流れていたのです。桜花に限らず、花(命)は必ず散って、川の流れが行きつくようにいつかは大きな海(後世・ごせ=死後)へと還(かえ)ってゆきます。輪廻転生(りんねてんせい=生まれ変わり、巡り繰り返される生命)を信じながら、人は命を削って日々を全(まっと)うしてゆくしかありません・・・。
はるか南の大きな河のほとりの家、それはきっと幻(まぼろし)です、しかし会いたい人、あなたはそこにきっといるのでしょう。・・・人生で、生きているうちにもっともっと話しておきたかった人がいます、失ってからしか気づくことが出来ません。
「花素材」は「人の命(の美しさ哀しさ)・輝ける(盛衰の)時」を、「水素材」は「変化流動」を感じさせてくれます。ゆえに水もまた命に通じます。
春は、とりわけ「花・命・水」 を切なく感じさせてくれる季節ですね。
『落花流水』をあらためて読んでみたくなりました。
7歳で登場する手毬(てまり)という名の主人公の半生・・・だったかな、未来に亘(わた)って流れる彼女(花)の命、変幻(へんげん・不思議な小説です)の歳月が描かれているのです。
春爛漫(はるらんまん)にはまだ少し寒い朝です。ある「知人」からいただいた「ベゴニアの鉢植え」が窓際を僅(わず)かに彩(いろど)っている、そんな仕事場へ行きます。