第一 作者(主体・subject)
第二 作品対象者(客体・object)
第三 読者(客体的主体・reader)
第四 作品加工者(主体的客体・processor)
端的に対比で言えば、第一と第二の関係、第三と第四の関係、ともに「重複対比」になります。第一と第二が、なぜ重複なのか分かりますね。・・・日本近代独特の「私小説」があるからです。
第三と第四について・・・
これはまず、第三が「一般人」「幼児・児童・生徒・受験生・学生」などに、さらに分類(「分析」の一種)できますね、その中の主に「児童・生徒・受験生」とは「外在」対比的に、「教員」も入りますね。
「一般人」は「教員」を含みます(ただ、*「読者」自体の中に内包対比は想定していませんでした。・・・それに付け加えると、教員と研究者は重複対比ですよね、第四と混然としてしまいます。)
ということで・・・第三は・・・確かに第四との**「内包対比」も有り得るのですが・・・
第四の「作品加工者=出題者・研究者」と「重複対比」ということにしたいのです。
NPは、自身の経験上、「純然たる読者」と「意図的な読者」を、すべて「読者」というパラダイム・集団の枠(わく)に括(くく)りたくないんですね。
「意図的な読者」には第四へ行ってもらった次第です。
もちろん「純然」と「意図」の境界線は判断が難しいので・・・結局、「重複」ということに落ち着きます。
前回はふれていませんが、この「研究者」の中に例えば・・・
①映画やドラマや舞台芸術の監督・脚本家・演出家
②本歌取りの歌人=平安後期~鎌倉前期にかけての、元歌を踏まえて新たに味付けした和歌を詠(よ)んだ人
③現在の同人誌などに普通に行われている二次創作の作者
④国語問題集・参考書の作成者
⑤考査や模試の採点者
なども入りますね。
「出題者」と「研究者」の二つを敢(あ)えて「対等対比」的に第四としたのは、受験生諸君が対峙(たいじ・正面から向き合うこと)すべきは、第一・第二は無論、この第四でこそあるべきだと思えるからです。
最後に、なぜ第三当事者「読者=客体的主体」とするのか・・・それが「純然」の意味に近いのです。作者が、もとより読み手という対象者=「客体」として想定していた人たちは、気兼ね(きがね)なく「主体」的な読みができる人たちであるということ。
すなわち、第四当事者「作品加工者=主体的客体」とは、作者が本来は想定外にしていた副次的(二次的)な読み手であり、「意図的」つまり「主体的」な人たちでありながら、実はその後には読み解(説)かれる「客体」になってしまう・・・ということ。
ずっと展開しているこのブログについて、昨秋初めてお会いした千葉県の私立高校の知人からのメールで、「かなりアカデミック」と言っていただきました。・・・う~ん、それは普通に言えば「単に読み辛い」ということでしょうね、恐らく・・・猛省(もうせい)しております。
また今日の文章中で、*と**の箇所は、前回の記事にコメントを下さった、たぶん大学受験生に教える立場のかたの御意見にも応えたつもりですが、いかがですか。
さあ、歌劇(オペラ opera ・歌唱中心で管弦楽伴奏の劇や舞踊)の幕開けまで、あと四時間です。第一・二・四を俯瞰(ふかん・高いところから見下ろすこと)できるでしょうか。
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