NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2012年05月

従前(じゅうぜん・今より前をうけて、在来の)

第一 作者(主体・subject)
第二 作品対象者(客体・object)
第三 読者(客体的主体・reader)
第四 作品加工者(主体的客体・processor)

端的に対比で言えば、第一と第二の関係、第三と第四の関係、ともに「重複対比」になります。第一と第二が、なぜ重複なのか分かりますね。・・・日本近代独特の「私小説」があるからです。

第三と第四について・・・

これはまず、第三が「一般人」「幼児・児童・生徒・受験生・学生」などに、さらに分類(「分析」の一種)できますね、その中の主に「児童・生徒・受験生」とは「外在」対比的に、「教員」も入りますね。

「一般人」は「教員」を含みます(ただ、*「読者」自体の中に内包対比は想定していませんでした。・・・それに付け加えると、教員と研究者は重複対比ですよね、第四と混然としてしまいます。)

ということで・・・第三は・・・確かに第四との**「内包対比」も有り得るのですが・・・
第四の「作品加工者=出題者・研究者」と「重複対比」ということにしたいのです。

NPは、自身の経験上、「純然たる読者」と「意図的な読者」を、すべて「読者」というパラダイム・集団の枠(わく)に括(くく)りたくないんですね。
「意図的な読者」には第四へ行ってもらった次第です。

もちろん「純然」と「意図」の境界線は判断が難しいので・・・結局、「重複」ということに落ち着きます。
前回はふれていませんが、この「研究者」の中に例えば・・・
①映画やドラマや舞台芸術の監督・脚本家・演出家
②本歌取りの歌人=平安後期~鎌倉前期にかけての、元歌を踏まえて新たに味付けした和歌を詠(よ)んだ人
③現在の同人誌などに普通に行われている二次創作の作者
④国語問題集・参考書の作成者
⑤考査や模試の採点者
なども入りますね。
「出題者」と「研究者」の二つを敢(あ)えて「対等対比」的に第四としたのは、受験生諸君が対峙(たいじ・正面から向き合うこと)すべきは、第一・第二は無論、この第四でこそあるべきだと思えるからです。

最後に、なぜ第三当事者「読者=客体的主体」とするのか・・・それが「純然」の意味に近いのです。作者が、もとより読み手という対象者=「客体」として想定していた人たちは、気兼ね(きがね)なく「主体」的な読みができる人たちであるということ。

すなわち、第四当事者「作品加工者=主体的客体」とは、作者が本来は想定外にしていた副次的(二次的)な読み手であり、「意図的」つまり「主体的」な人たちでありながら、実はその後には読み解(説)かれる「客体」になってしまう・・・ということ。

ずっと展開しているこのブログについて、昨秋初めてお会いした千葉県の私立高校の知人からのメールで、「かなりアカデミック」と言っていただきました。・・・う~ん、それは普通に言えば「単に読み辛い」ということでしょうね、恐らく・・・猛省(もうせい)しております。

また今日の文章中で、*と**の箇所は、前回の記事にコメントを下さった、たぶん大学受験生に教える立場のかたの御意見にも応えたつもりですが、いかがですか。

さあ、歌劇(オペラ opera ・歌唱中心で管弦楽伴奏の劇や舞踊)の幕開けまで、あと四時間です。第一・二・四を俯瞰(ふかん・高いところから見下ろすこと)できるでしょうか。

第一 作者(主体・subject)
第二 作品対象者(客体・object)
第三 読者(客体的主体・reader)
第四 作品加工者(主体的客体・processor)

ここで、第三が「受験生」「学生」である時に、第一・二・四(「出題者」あるいは「研究者」)をすべて踏まえないといけない、ということになります。

これは、厄介(やっかい)ですが、遣り甲斐(やりがい)がありますね。
「厄介」と「遣り甲斐」は、とても発音が似ています。

重複対比(類比)

や「弥」・・・物事がたくさん重なる様子
い「意」・・・心に思うこと、意味・理由

あなたは、今、どの「」(視座)で、作品を「み(見・観・診・視・看)」ていますか?
もし、あなたが受験生なら、いちばん厄介なのは、第四が「採点者」でもあるということです。
戦わねばならぬ相手は、他の受験生ではなく、まずは「第四当事者」ということですね。
しかも、第四当事者を意識すればするほど、純粋な「第三当事者」(純然たる読者)からは離れてしまいそうです。

やれやれ・・・村上春樹さんの呟きが聞こえてきそうです。
知人のオーストラリア人 S が、ようやく『1Q84』(英訳版)を読み終えたとのこと。
彼は第一~第四当事者について、どう考えているでしょうか。離日するまでに「英語」で聞き質(ただ)してみたいと思っています。

あ、このブログの数少ない第三当事者である「あなた」に・・・ぜひ、この件に限らず、お考えをお聞かせ下さい。
第一当事者として、「コメント」は「第四当事者の目」にも思えて、有り難いものですから。

【程度】 小雨,小銭,小技,小声,小言,
小降り,小分け,小太りなど

【強意】 小汚い,小憎らしい,小ぢんまり,
小うるさい,小気味がよいなど

【軽蔑】 小役人,小馬鹿,小賢しい,小利
口,小器用,小理屈など

今日は、接頭辞(語句の頭につける「小‐」は単語の一部分ですから、厳密には「語」ではなく「辞」と言います。)について。

上の三つの分類は、ネット検索ではスッキリ理解しやすいものです。また、下の五つの分類もあります。

 【小】 (接頭)
名詞・形容詞・形容動詞、まれに動詞に付く。
(1)形や規模が小さい、量が少ない、程度が軽いなどの意を表す。
「―山」「―皿」「―銭(ぜに)」「―降(ぶ)り」「―ぜり合い」「―高い」「―突く」
(2)意味を和らげたり、親愛感を加えたりして、主観的な感じ、印象を添える。どことなく…の感じだ。
「―粋」「―憎らしい」「―ざっぱり」「―しゃく」
(3)一人前ではない、大したものではないの意を表す。また、卑しめる意を表す。
「―坊主」「―ざかしい」「―才(ざい)」「―面(づら)」「―役人」
(4)体の一部分を表す名詞に付いて、表現が露骨にならないようにする。
「―鬢(びん)」「―首をかしげる」「―膝を打つ」「―腰をかがめる」
(5)数量を表す名詞または数詞に付いて、それよりすこし少ないがほぼそのくらいの意を表す。
「―一里」「―一畳」「―半日」「―一倍」

NPは、このうちの【強意】と(2)に着目します。
とっても興味深いですね、ある分析では「強意」になることが、別の分析では「意味を和らげる」ことになるのです。

小町は、小野小町(おののこまち・平安前期において絶世の美女として有名な歌人、六歌仙の一人)にちなんで、その土地(町)で評判の美しい娘を指します。
この「小」ですね。「可愛らしさ・親愛感を強調する」とむしろ「和らげる」イメージになるのでしょう。
対比の新しい型を見つけたような不思議な感覚です。
小粋(こいき=小意気・どことなくしゃれていること)もそうですね。

さて、土佐の風物詩「小夏(こなつ)」を、「知人」(久しぶりに使用します、まずは元同僚)から戴(=頂・いただ)きました。レモンイエローの小粋で可愛い外形の柑橘(かんきつ)、爽(さわ)やかな甘酸っぱさが魅力です。夏の到来に相応しいですね、内皮の白い部分も合わせて食します。

届いたのはちょうど21日、「小満(しょうまん)」の日でした。二十四節気の一つ小満、言葉としての一説では昨秋蒔(ま)いた麦が穂をつけてほっと一安心、小満足だとか。
この「小」も、いい感じですね。

小さい幸せを毎日感じながら生きていたいもの、「小幸せ」と言えそうですね。

「小潮(こしお)」というのは、大潮に対する「外在対比」で、潮の干満の差がなくなる頃のこと、ちょうど「上弦・下弦(じょうげん・かげん=右半分の半月・左半分の半月)」の頃にあたります。大潮(おおしお)は新月・満月の頃ですから。

半分欠けているくらいが、まだまだ頑張れそうで、欲張りにならずにすみそうで、いいですね。

明後日27日は、最も身近な知人(30年来!)の誕生日、モーツアルトの「フィガロの結婚」を観賞(≦ 鑑賞)に行きます。

小満の 候から小潮へ 生きること 三十年は オペラに及ばず


* 秋田生まれとされる小野小町のお墓は、秋田以外に福島・栃木・茨城・滋賀・京都・岡山・鳥取・山口・宮崎にあるそうです。生き方(死に方)が偲(しの)ばれますね。
** 和歌・短歌と言えば・・・先日ワンセグTVで石垣島の俵万智(たわらまち)さんを見ました。昭和末期デビューの歌人、『サラダ記念日』(1987年)から25年が経ちます。『チョコレート革命』(1997年)所収の、許されぬ恋の世界その後を、シングルマザーとして実践されていたんですね。
***「第四当事者」の目で日々文章を読み書き連ねています、まさに連鎖、次回手繰(たぐ)り寄せてみます。

『金環蝕』は、太平洋戦争の戦前から戦後にかけて活躍した石川達三の政治小説(昭和41年)です。福井県の九頭竜(くずりゅう)ダム建設に纏(まつ)わるゼネコン汚職事件を元に描いたもの。標題(タイトル)は「暗喩」ですね。「一見綺麗に覆(おお)い被(かぶ)さるように幾何学的に腐蝕(ふしょく)され」、そして「周縁(しゅうえん)が悲壮(ひそう)な鮮やかさで紋様(もんよう)を露呈(ろてい)している」・・・政治家である以前に人である、彼らの生き様の凄絶(せいぜつ・たとえようもなくすさまじい様子)さを示しているのでしょう。・・・たとえようは、あるものですね。

「蒼氓(そうぼう)・・・人民の意の漢語的表現」
これは、第一回芥川賞(昭和10年)を受賞した石川達三の作品名です。ブラジル移民団の悲惨を集団的な手法で描いたもの。デビュー時から社会派だったんですね。第一回芥川賞の候補には、他に高見順・太宰治・外村繁などの錚々(そうそう)たる顔ぶれが挙(あ)がっています。余り「灰汁(あく)が強い」=他人にはやや抵抗が感じられる強い個性の=ものを選んで賞の方向性を決めつけたくなかった選考者たち([出席者]久米正雄・佐藤春夫・室生犀星・瀧井孝作・小島政二郎・横光利一・菊池寛・佐佐木茂索。[欠席者]は川端康成・谷崎潤一郎・山本有三、すごいお歴歴ですね)の意向が反映したとも言われています。確か川端康成は、この時に太宰の怨・恨(うら)みを買ったんですね。

「蒼氓」というタイトルの見事さを褒(ほ)めているブログを今回見つけました。そのかたは、山下達郎さんに同名の名曲があるとしています、想い出しながら、あらためて聴いてみます。CMソングでした。

(歌詞の一節)

限りない命のすきまを
やさしさは流れて行くもの
生き続ける事の意味
誰よりも待ち望んでいたい


もう、全国各地でいろんなイベントが始まっているのでしょうか、金環日食(金環日蝕=金環蝕とも表記)の日の朝。6時17分には欠け出して、7時30分ジャストに絶景とか。
曇り空に蒼(あお)い色が交錯(こうさく)している大阪東部です。

「蒼穹」という名の同人誌を学生時代に刊行していたことがあります。
Nくん、Yくん、Oくん・・・・・・元気かなあ。

そうきゅう、「穹」は弓形になっている意、あおぞらの意の漢語的表現・・・今日の意味調べは、すべて、前日の「三省堂・新明解国語辞典」によるものです。

ぼうきょ・・・通念では許されない、ひどい実力行使(三省堂「新明解・国語辞典」)
この辞書は、注目され始めた頃(初版は1972年)から、その斬新(ざんしん)な言葉解釈がとても気に入っています。「ペーソス」の説明には、泣きましたね(大袈裟・おおげさ)。・・・後ろ向きの生き方で はでなところは ちっとも無いけれども、それが かえって人間らしい しみじみとした情味を感じさせること。哀愁。・・・と、今でもあります。凄いですね、こんな説明の前には平伏(ひれふ)すしかありません。金田一京助先生の偉業のひとつで、主幹は山田忠雄先生ですね。キャッチコピー通りの「深い思索」が感じられます。
しさく・・・現象の持つ根本的意味や、現象と現象の関連などを、純粋に理論的に突きつめて考えること(同上)

さて、タイトル通りに実行してみます、初めての試みです。

「シンイ」に関連して、よく「シンカ」という言葉で説明します。
例の「素材(モチーフ・キーワード)」⇒「具体(例)」⇒「抽象」⇒「象徴(例)」⇒「主題」という一連の典型(パターン)を説明する際に、です。文章全体の中盤(本論)の後半部分に、具体を踏まえた抽象化(意味付け)が来ますよね。・・・それで終わってしまうと、評論としては底が浅いものになるので・・・さらに、例証して補足・強化するわけですね、書き手は。そこに用いられるのが「象徴例」なんですよ。そして、それは、「主題」につなぐための、シンカ!!だと。「深化・進化・新化」であり、それこそが、その文章全体の「真価」なのだと。

具体例と象徴例の違いは、意味が判明する「ビフォー・アフター」です。また、同じ「(重要)素材」でも、「モチーフ」>「キーワード」と考えます。前者の方が、最後(主題)まで持っておく必要性が高いカギ、後者は何かの扉・金庫(具体)が開けばもう不要になってくるカギ。だから、「キーワード」を「重要語」と考えるのは、NPは「重要な誤り」だと思っています。そこに、筆者の「真意」はありません、まして終盤に「キーワード」なんてないですよね、終わり近くなってカギを見つけて開け始めても、「考察」が間に合いませんよ。それこそ、「ストレス」です。

「ストレスはピリリな心のスパイス」は、素敵な表現ですね、「効かせすぎると時が解決してくれるのを待つしかない」も。さっそく使わせていただきます。ありがとうございます。

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