正確に言えば、原稿が落ちたのではない、原稿自体が落ちだった。
雛鳥とは、自分のことだ。二度餌をくれたのは、お前。
お前は自分を愛せるのだろうか?
YES I CAN.
原稿落ち NP
「待って」と彼は言った。
「消えたのは母の記憶?母自身?」訝しそうに二つの文章をなぞりながら、彼は私と同化した。
そうだ、私は彼なのだ。
少年時代の記憶を辿りながら、眼前の分身を見つめる私がいる。
母はいない。
「いないのはなぜ? 失踪したの?事故で?」また発問の連鎖。
訊きたいのはこちらの方だ。母不在の設定に、意味付けを要する。
誘拐という被害は資産家もしくは怨瑳の対象たる代償であろうか、そして、一年間不在だったのは彼のはずだ。なぜ、いつの間にか母がいないのだ。誘拐と失踪が同時進行だったことになる。
母はいるよ。
「祖母つまりお前の義母が、お前の妻つまり俺の母を見舞った後、病院を出て車にぶち当たったわけだろ?」まるで狂言回しの御都合セリフだ。こうでなければ整合性が不明になる。
「あ、わかった」
母はいないようでいる。
文章相互の希薄な連関を突き合わせる。唯一の解釈は、お約束の暗喩に任せるしかない。
四歳から五歳まで姿を消していた彼は、「母の記憶喪失」を示す。
だから、彼が戻ってきた以上、母は花瓶となって、そこにあったに違いない。
母はこわれた。
「母と義母の関係は?」「俺は母の記憶なの?」「俺はお前自身?」
立て続けに秘密は暴かれる。枯れてしまった観葉植物、砕け散る花瓶、ビターしかあり得ないチョコ、……それらひとつひとつが答えだ。
ユタカ、と叫んだ。
豊のことを「彼」と書いたノートが姑に見つかった。修正液を不自然に垂らした個所を見咎められた。私は、私の姑と彼の母との異化をしそびれた。私は万年筆が好きだ。
私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年筆が好き。私は万年青が好き。
おもと、と書き損じた。
「それはユリ科の観葉植物だろ」私は彼となって、そう一人ごちた。原稿は落ちた。
正確に言えば、原稿が落ちたのではない、原稿自体が落ちだった。
……が、これは終焉ではない、断言する。そうあってはならない。いくつかの謎がまだ解かれていない。
とりわけ、「愛について」のそれが、艶やかに残っている。