NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2012年08月

かんぜみ、に同じ。ツクツクボウシもしくはヒグラシのこと。

「寒蝉枯木(こぼく)を抱く」・・・なかなかその場を離れようとしないことの喩え(⇔秋の蝉は枯れ木にしがみついて動こうとせず、死ぬまで鳴き続ける)

七十二候(二十四節気をさらに三分割した季節のことば)で、ちょうど二週間前あたりが「寒蝉鳴」でした。
今年はいまだにそうです。季節の言葉は、どんどん先取りで巡ってゆきますね。
ここ生駒山麓(さんろく)、まだまだ日中には名残のアブラゼミ、夕刻には寒蝉の音色も多く聞こえてきます。

「処暑」(残暑厳しくとどまるが、朝夕には秋の気配)を過ぎて三日目の日曜日。

人も、その場と時を限りなく儚(はかな)く愛(いと)おしく思えるようになると、「白秋」でしょうか。

寒蝉も白秋も、人生を表す比喩です。



(残暑見舞いの返信より…)

【 教育効果を最大化するために必要なものは、良い指導医でもカリキュラムでも待遇でも無く、モチベーションだと思う。今回、自ら志願してハワイ行きを勝ち取った研修医の先生たちの士気は高く、教える側は楽だっただろう。このようなメンバーなら放置しておいても自然に成長するに違いない。問題は興味の無い分野をいかに習得するか、いかに穴のないプレーヤーを作るかということだと思う。言い換えれば、ひとにぎりのスペシャリストは勝手に育つが、多くのゼネラリストを育てるには工夫がいるということだ。さらに問題なことに指導医の多くは専門医の教育には慣れていても、総合医を育てる術を知らない。】


古い教え子さん(名外科医)から、とある報告レポを読ませていただきました。

【 ハワイ大学での研修に行かせてもらいました。医学教育で定評のあるシミュレーショントレーニング施設に研修医を連れて行く引率との名目でした。】というのが、前置きでした。

僭越(せんえつ)ながら、受験生を指導していて、同様のことを感じることはよくありますね。

「指導医」=「指導者」、「ハワイ行き」=「難関大学難関学部」、「研修医の先生」=「合格者の生徒」、「専門医」=「専門科目履修者」、「総合医を育てる術」=「人間育成術」・・・でしょうか。

有り難うございます、さっそく援用させていただきました。

*援用(えんよう)・・・①自説の妥当性を証明する拠(ヨリドコロ)として、客観性を持つ資料を引用したり、理論・学説などに依存したりすること。②元来その用でないものを、急場しのぎのためにその用途に充(あ)てること。[新明解国語辞典⇒やはり鋭い説明ですね、はあ②です、済みません。]

ドイツ留学に発った知人(東京の私立大学3回生)から、報告メールが届きました。

それに基づいて尾鰭(おひれ)を付けてみると・・・チェコ国境にほど近いドレスデンでの語学研修を経て、北海から遠くは無いブレーメンで専門研修に勤(いそ)しむ、一年間ぐらいの予定だとか。どちらも50万人規模の都市で、第二次世界大戦での壊滅的被害から復興を遂げた歴史と文化の街のようです。

ドイツ留学と言えば・・・森鷗外は、1884年(明治17年)から1888年(明治21年)まで四年間の留学をしていますが・・・最初の11か月をライプティヒで、次の5か月をドレスデンで、さらにミュンヘンで1年と1か月、最後にベルリンで1年と3か月過ごしています。

ドレスデンでは、日本でも東京帝国大学で教鞭(きょうべん)をとった地質学者 ナウマン(ナウマン象とフォッサマグナの研究報告で有名)と、論争をしているんですね。今回調べてみると、「貝塚」についての講演に対して、ドレスデンを離れる前日に誤りを指摘して、後にミュンヘンの一流紙で報じられた・・・凄いですね、鷗外は漱石より5歳年長の1862年生まれですから、23歳の時です。

なお、凄いことは経歴に事欠かず、12歳の時に歳を2つ偽り予科合格、19歳で本科(現・東大医学部)を卒業していますね。「ウィキペディア」には、「今後も破られないであろう最年少卒業記録」とあります。それは・・・そうでしょうね、システム的にね・・・。

『舞姫』の主人公・太田豊太郎(ベルリン大学の法学部で政治・法律学を学ぶ設定)は鷗外自身がモデルであり、実話部分として日本から来訪の伯爵(大臣)の通訳ができる、堪能なドイツ語学者でもあったのですね。・・・本人は軍医として、陸軍省からの国費留学で衛生学を学びに行ったんですよ・・・北里柴三郎の仲介で細菌学のコッホに師事しています。

あ、NPライトモティーフ手法の致命的欠陥で、どんどん話題がズレてゆきますね、意図的・偶発的に。

文脈支流の分岐点(明治大学・・・ん・・・の斎藤孝先生による)に戻ります。

そんなドレスデンで、頑張れ、まだまだ23歳までには間があるよ。

時差は7時間とのこと、そろそろ日付が変わりますね。
今、お隣(ブレーメンの方が近いね)のオランダに短期留学している高校の後輩がいるよ。彼女は医者を目指している、キミの目指す夢も是非いつか聞かせて下さい。

盂蘭盆(うらぼん)・・・盂蘭盆会(うらぼんえ)、陰暦7月15日を中心に行われる仏教の行事。いろいろの食べ物を仏壇に供えて、死者の冥福を祈るもの。(お)ぼん、精霊会(しょうりょうえ)。:新明解国語辞典より

現在では「月遅れ盆」と言われ、8月13日に(遠来の精霊が迷わぬための)迎え火、15か16日に(名残と鎮魂のための)送り火と決めている場合も多いんですね。

阪神甲子園球場で、15日(水)第2試合終盤。以前岡山倉敷に住んでいた縁があり、NPは一人で一塁側の倉敷商業高校応援アルプス席におりました。三重の松阪高校を逆転して盛り上がる周りの人たちも、急に沈黙・起立・脱帽して、時が止まったように感じました。サイレンが細く高く長く響きました。

・・・原爆も原発も同じではないのか、大量殺戮(さつりく)の可能性・危険性を自ら抱えながら、平和を希(のぞ)み求め信じてやまない、世界唯一の「三回被曝国・日本」・・・終戦記念日の正午(昭和天皇の1945年 敗戦・ラジオ玉音放送と同時刻)に、せめて、鎮魂と反核とを祈りました。ノーモア ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ・・・。

4万7千人を呑みこんだスタジアムは、直後一瞬にして元通りの風景に塗り替えられ、全く何事もなかったかのように試合は続いてゆきました。

遡(さかのぼ)って第1試合。これは以前高知に住んで職をいただいていた御縁で、明徳義塾高校の同じ一塁側アルプスから応援しておりました。山形の酒田南高校に、とてもいい試合で勝利。知人(元同僚の先生がた)とは直接お話しする機会はありませんでしたが、曇り気味の天候も有り難く、そのままスタンドに居残っていたというわけです。

・・・黙祷の刻限に向かって日差しは急激に強烈になり、夏の甲子園らしく焦げるような熱さがあり・・・そのあと試合終了直前には遁(のが)れるように家路を急ぎました・・・。

直喩「~ように」を四つ、今回は使用しました。斬新なものはなく、また無理な表現もせず自然に配しました。少しずつ、ゆっくりと「比喩」感覚を意識させてゆきます、文章それ自体(あるいは文体)と自分(もしくは読者)自身に、ですね。

以下、【 第6回ラモ検 】です。
(ライトモティーフ検定、当ブログ7月上旬~8月上旬の使用語彙から、今回は難レベル・書き取り)

いぶかしそうな顔をする。
②幼い頃の記憶をたどる。
しっそうして不在になる。
ゆうかい事件が起こる。
かびんが割れる。
みぞうの出来事。
⑦ユリ科の観葉植物おもと
⑧義母つまりしゅうとに会う。
にわか勉強で補う。
ようやく本題に入る。
たまたま知っていた事柄。
うさぎも暑さで元気がない。
かっぱの川流れ。
⑭亡き人を盆にしのぶ。
ひなどりに餌をやる。
おおげさな言い方をする。
⑰人口にかいしゃする。(かい=なます、しゃ=あぶり)
⑱想い出の文章をつづる。
せんだつに学ぶことは多い。
⑳光があふれている。

・・・20点満点です、漢検2級で5割程度でしょうか、標題などに関しても合わせて御感想を待っています。

昨夏の今頃でした。松江の島根大学や、岡山大学で大学の先生の講義を受ける機会に恵まれました。教員免許更新の為の単位修得です。前者では太宰治の『富嶽百景』の読解法を、後者では修辞法と主語述語の陳述連鎖を学びました。・・・夏休みの閑散とした大学校舎に、開講授業の受講者だけが黙々と指定教室に集っておりました・・・一年前も暑かったなあ。

どちらも、すぐに秋の授業で活用させていただきました。オリジナルな味付けをした分、生徒よりもNP自身が楽しませてもらいました・・・一年前は熱かったなあ。

その時に、いずれ「比喩の全貌」を明らかにしてゆきたいと公言しておりました。当ブログでも、どこかに載っています。また、今年度の年間テーマとして、芥川龍之介を語ってみたい、というのもありました。『羅生門』や『蜜柑』や『秋』、京大入試に出題されたことのある『野呂松人形』なども、比喩の宝庫ではないかと思っています。

そろそろ始めようかな、ゆっくり、と思っています。

疲労と倦怠を打破するのは、溢れんばかりの情熱と感謝ですね、やはり。いろんな先達(せんだつ)に学ばせていただいた感謝を忘れてはならない、そうですよね。

生きるとすれば人のためだな・・・一年前にこう言っていた人の初盆(にいぼん)です、この人についても想い出を綴(つづ)ってみます。

まずは、第6回ラモ検(前回以降の当ブログ文章中の全語句が出題範囲)を近々に。

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