「寒蝉枯木(こぼく)を抱く」・・・なかなかその場を離れようとしないことの喩え(⇔秋の蝉は枯れ木にしがみついて動こうとせず、死ぬまで鳴き続ける)
七十二候(二十四節気をさらに三分割した季節のことば)で、ちょうど二週間前あたりが「寒蝉鳴」でした。
今年はいまだにそうです。季節の言葉は、どんどん先取りで巡ってゆきますね。
ここ生駒山麓(さんろく)、まだまだ日中には名残のアブラゼミ、夕刻には寒蝉の音色も多く聞こえてきます。
「処暑」(残暑厳しくとどまるが、朝夕には秋の気配)を過ぎて三日目の日曜日。
人も、その場と時を限りなく儚(はかな)く愛(いと)おしく思えるようになると、「白秋」でしょうか。
寒蝉も白秋も、人生を表す比喩です。