NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2012年09月

イマヌエル・カントImmanuel Kant) 1724年~1804年、ドイツ観念論哲学・西欧近代哲学の祖と言ってよい。
『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』により、認識論・観念論に批判哲学を提唱した。感性と悟性(NP的には、これが判断力)の二律背反の中に理性が存する、あるいは感性と理性の、後のいわゆるヘーゲル弁証法により悟性が生ずる、どちらの考え方もカント哲学の特色と考えられる。

カントの定義する「自由」を、「己の義務の命令に従って、主体的・自律的に生きること」と解釈した説明書を見つけました。これは、わかりやすく、「近代的自由」を教えてくれます。この「自由」ゆえに、近代人は逆に「個人」として「自我」の欲求に「主体」的に応えねばならないという「束縛」を、逆説的に負ってしまったのだと思われます。

漱石『こころ』に出てくる K は、カントの K・・・そう考えると、自らを委ねていた学問・研究・精進の道を踏み外して、恋愛という底の見えない「淵」に喘(あえ)ぐ K の、最後に選んだ生き方(死に方)が見えてきます。

正しい(正しさの定義はあえてせず)道を外れて、「己の義務の命ずる主体的・自律的な自由」を失った K は、(「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」⇒)「道を外れた自分は生きるべきではない」という「義務の命令に従う最後の自由」を見出してしまったのではないか・・・というのが、現時点のNPの解釈です。

同時に、それは近代合理主義の重要素である「自由」に懊悩(おうのう)する、「近代日本人」の典型的な姿でもあったはずです。とすれば・・・近代の、個人主義の K にも思えてきました。

秋分ですね、佳日、好日 の K の響きもいいですね。



ちょうど一年、長かったですね。
歳月人を待たず、早かったと思う人もいるでしょうが、無闇矢鱈(むやみやたら)と長かった。

今日も、いつもと同じ想い出話をして、よければ手向ける言葉を書いてみてはと、所縁(ゆかり)の生徒たちにお願いをしました。

ずっとずっと以前、同じ時に同じ職場を辞して別々の道を歩み・・・十年後に再会して、たった三年半また同じ職場でしたね。

切れ味よく言葉の凄さを語ることの出来る人でした。

もっともっと源氏、仏教、言語、文学・・・四方山話(よもやまばなし)をしたかったなあ。

一年、一念、有り難うございました。

楠淳證(くすのきじゅんしょう)龍谷大学教授先生が、今回も「お浄土」のお話を聞かせて下さいました。通夜でも告別式でも、四十九日も一周忌も、ご住職として法衣(ほうえ・ほうい=袈裟けさ)を纏(まと)い、新倉先生の研究同志として、最も近しいかたとして弔辞も法話もして下さいました。

「ひとたび死の縁(えん)に出遭(あ)ったら・・・」という件(くだり)が今日は印象的でした。NP思うに、生の縁は多生多縁(たしょう=他生 たえん)で数沢山あるのでしょうか、死の縁はまさに一期終縁(いちご しゅうえん=終焉)なのでしょうか。
「新倉さんも死の床からひと度は回復して、 “よくなったよ~”と笑顔で戻ってきてお祝いまでしましたが・・・」とのお言葉、まったく同期同感です。

でも、「ごめんごめん~」の時もそうでしたが、彼はいい笑顔の人でしたね。普段むつっと、あるいは飄々(ひょうひょう)淡々としている分、余計にそうでしたね。

「解脱上人(げだつしょうにん)貞慶(じょうけい)」の話を夢中になってよく話してくれましたね。
今でも新倉和文・貞慶で検索すると、思いがけないくらいいっぱい上がってきて、嬉しいような切ないような。

今回、彼の生前(二年前)のミニ講話録音CDを、奥様にお渡しできました。共通の知人のご尽力で作成したものですが、その後聴き取って起こした文章だけをNPの手元に残しました。内容は、生徒・保護者向けで、仏教研究のことではありません。

阪神タイガースファンの奥様、ドラフトでご希望の超高校級投手を指名できるといいですね。身近な御縁で・・・。
お嬢様、御主人、吉報をお待ちしています。

かようにお身内のかた、皆さま恙(つつが)無くお過ごしのようにお見受け致しました。命日は21日ですが、一周忌法要は旧暦の文月晦日(つごもり=末日)、心の節目となりました。

合掌。

追記・・・別の共通の知人と久方ぶりに、この夜会食しました。新倉さんのことも語れる、倫理哲学も、他のことも総(すべ)て教えていただけるようなかたです。他生(多生)の縁を感じながら、この標題文章連鎖は③で止めます。

白ユリ、トルコキキョウ、アンスリウム、リンドウなどが、供花として寄せられました。学校も大きな生花籠を菓子折りとともに持たせて下さいました。

生徒たちは、直前に小さな手紙やメッセージ箋(せん)を書いてくれました。中には小論文とその解説お手紙を渡してくれた男子がいます。その小論文は、医科大学系の入試アレンジ問題の本人解答です。「余命18日と宣告された時にどう生きるか」という設題で、ずっと以前に授業で生徒たちに書いてもらい、取り扱おうとした頃に新倉先生のことが重なり、取りやめたものです。・・・「ホスピスの平均入院日数は18日」 という「サンデー毎日」の特集記事も参照していました。

NPに託して下さったお供えなどは凡て(すべて=all よりも everything )確かにお届けしました。

八重も一重も目を惹(ひ)いたトルコキキョウの花言葉は、とてもたくさんあって・・・ よい語らい・優美・永遠の愛 ・・・などなどです。

夏目漱石の『こころ』では、授業の最後に「花言葉」による解析を試みようと思っています。昨年の今頃だったか、数研出版の教員向け「国語科通信」で、「こころ特集」があった時に刺戟を受けました。漱石の『こころ』の文章中に出てくる すべ(全・凡・総)ての花・植物を、物語進行内容に添った「花言葉の暗喩」として、読み解く斬新な方法です。

新倉先生と、メールでのみ往来していた頃があります。13年前~5年前です。(NPが徳島の山村に住んで高知に職を得ていた時に一度だけ、県境山奥の温泉郷まで会いに来て下さったことがあります。その日のことは、また別話で。)

ある日突然、見知らぬ baranonamae  というドメイン・アドレスのメールが来て、差出人の名もなく、すごく親しげで気障(きざ)な印象の文面でした。もちろん嫌な感じではなく恰好良く、よく考えて、「あなたはもしかすると・・・」と返信すると、「ごめんごめん~」と気さくな応答でした。賀状での一年一回から、随時メールという間柄に変わった瞬間でした。
この「ごめんごめん~」という、謝るほどではなく挨拶的に笑顔で言って相手を和ませるのは、彼の特技でしたね。5年前の秋に、長いブランクを経て今の学校校舎・応接室で再会した時も、忙しい校務の傍らであることを逆に詫びてか、そんな現れ方だったような覚えがあります。

で、その最初のメール以来、彼は「薔薇の花が好き」ということになっています。それも赤いバラです、構造主義的にそうなのです。
薔薇(赤)の花言葉は・・・ 愛情・美・情熱 ・・・そんな人でしたね。

続きます。 

昨日、吹田の御自宅にお参りしました。
お身内だけの席に呼んでいただきました。

奥様から、前田愛(あい)さんの話をしていただきました。その講義を受けた時に、語り口の上手さもさることながら、全ての内容に見事な「起承転結」があって圧倒された、というものです。

前田愛(本名読み・よしみ=男性)さんは、『都市空間のなかの文学』で有名な文芸評論家ですが、もう25年前に56歳で亡くなったかたです。うーん、そのかたの全盛現役時代のことだから、貴重な証言ですね。NPも学生時代に買って「読んだはずの名著」を、もちろん今探しても本棚にないので(引っ越す度に減っています)、新たに入手して、「評論の中の起承転結」を見つけてみようと思います。

今、夏目漱石の『こころ』を、新聞連載(大正3年4月~8月)の時の区切りで、全て「起承転結」の繰り返しだと捉えて読んでいます。それが、作者の創作意図ではなくて、無意識的に自然に形成されていったものと、解釈しています。これは、まさにポストモダンの「構造主義」(文化人類学者レヴィ・ストロース)的な考察なのですが、時代を越えた恣意的な読みが可能かどうか、に挑んでいます。

「近代」日本が、袋小路(まさに絶妙の比喩ですね)的に抱えていた「行き詰まり」に、小説世界の中で対峙して「それから」の「明暗」を、描き切ろうとした漱石の「こころ」は如何だったのか、ということですね。

秋らしい朝ですが、暑くなりそうです。
彼岸の入り間近ですが、標題とどんどんズレてゆきそうです。
後ほど、また続編を。

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