芥川龍之介全集第1巻(昭和29年・新書初版)所収 『羅生門』 の表記を用いてみます。
A その代り又鴉(からす)が何處(どこ)からか、たくさん集つて來(き)た。…その鴉が何羽となく輪を描いて、……。殊(こと)に門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻(ごま)をまいたやうにはつきり見えた。
B 下人は、何を措(お)いても差當(さしあた)り明日の暮しをどうにかしようとして、……。……。……どうにもならない事を、どうにかする爲(ため)には、手段を選んでいる遑(いとま)はない。……。さうして、この門の上へ持つて來て、犬のやうに棄てられてしまふばかりである。
C 羅生門の樓(ろう)の上へ出る、幅の廣(ひろ)い梯子(はしご)の中段に、一人の男が、猫のやうに身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子(ようす)を窺(うかが)つてゐた。
D 下人は、守宮(やもり)のやうに足音をぬすんで、やつと急な梯子を、一段上の段まで這ふやうにして上りつめた。
E [これらの文章の後は、さらにこう続きます・・・。]「土を捏(こ)ねて作った人形のやうに…ごろごろ床の上にころがってゐた。」「…猿のやうな老婆である。」
「起」と「承」から、まず、以上のような (この「ような」は例示ですね、念のため。あ、Dの二つ目は「様態」にも取れますね。) 箇所を引用してみます。
前回の①②③は暗喩(メタファ)の例として、いずれ回答をと述べましたが、そのうち、鴉(現行の高1生対象教科書「国語総合」では、烏・からす、と表記されていたりもします)については、上記のように「直喩」で初登場します。
「直喩」を、NPは「粘土細工のようだ」と考えています。
そこで、イメージを鮮明にしていただくために、「粘土細工」の素敵なブログを紹介いたします。
今回、「粘土細工 ブログ」で検索したところ、実に驚くほど800以上かな、アップされていました。
その中でも「ランキング」にノミネートされていて、先月始めたばかりなのに流石、このラインナップは素晴らしいと応援しています。
「れもんのいれもん」
ブログもしくはホームページ自体を直接紹介させていただくのは、NP自身の講義DVD販売元(さりげなく宣伝)「潮江(うしおえ)アカデミー」に続いて、確か二度目だと思います。是非、行ってみて「直喩のような擬似・類似感覚」を味わって(本当に味わうものが沢山…)下さい。もしかしたら、もう人気ブログなのかも知れません。
http://remonnoiremon.blog.fc2.com/
・・・で、当ブログでの、「隠喩」のからすも「直喩」の鴉も、結局お話は後日いずれということに・・・。
さらに、追伸です。先日お知らせした文化人類学者のかたに、このブログでの紹介の許可をいただきましたので、「構造主義」とともにいずれ(いいなあ、この柔和かつ甘美な響き「izure」)語らせて下さい。