NPブログ - Leitmotiv ~言葉・論理・主題連鎖への旅~

2013年01月

【行方】

楽しいからここにいるのか、ここにいるから楽しいのか、わからない程度の愉悦(ゆえつ)だった。仕事を回してくれる陳(チン)さんは、若いうちはそれもいいだろう、いずれこの町を出てゆく時には苦痛に歪んだ顔になっていないように、せいぜい金を大事にしなさい、と北京語で言う。

なんとなくしか聞き取れないが、さほど差し支えない。今日は、ペニンシュラ御一行の買い漁(あさ)りをエスコートしたので、一張羅(いっちょうら)のスーツにした。やつらはジャージ姿にウィンドブレーカーだった。フルマラソンの海外ツアーで恒例になっている市内散策コースだ。

ブランド、珍品、逸品・・・そんなものはすべて贋物(にせもの)だ、お前たちの存在もあわせて・・・と心で呟きながら、まだこんな感情が残っていたことに驚く。

どこへ行く、観光地にいることに飽きたら、次はどこへ。
その問いは、自分に向けられたものだった。

《短信》

ボートは思っていたよりも大きかったが、揺れはひどかった。20kmぐらい沖にある小島の灯台が乗合客たちのお目当てのひとつだった。

桟橋を降りたほとんどの連中は、ふらつく足取りでショップ横にあるトイレに駆け込んで行った。

どうしてあんなに飛ばすの。
わかんないけど、サーフィンが好きなんだよ船長、きっと。

灯台は一部工事中で、一番上までは上がれなかった。
そこまで上がると天国が見えるはずなのに・・・。

見えなかったわ・・・ポストカードにはそれだけ書いて出そう。

イキイキ生きて笑いながら死にたい。

生きているようで死んでいる、それはいやだ。

死んだようで生きていた、それが答え。

And  then  there  were  none.

*『そして誰もいなくなった』
アガサ・クリスティ最高傑作のひとつで、「クローズド・サークル」と「連続・童謡(見立て)殺人」という大きな二つのモチーフを持ちます。1939年発表ですから、第二次世界大戦前なんですね・・・原爆投下による戦争終結の悲惨を暗示するようなタイトルだった・・・言い過ぎですね。今月の産経新聞記事(「週刊文春臨時増刊」による)、「東西ミステリーベスト10」でも、海外編で1位に挙げられていますね。ネタバレになってはいけませんから、最も根幹となるプロットには触れませんが、それを巧みに掠(かす)め取るような作品はかなり多いのではと思われます。ちなみに、日本作品の1位は横溝正史の『獄門島』(1947年~1948年)で、これもクリスティに触発された設定、ただし童謡ではなく、俳句が用いられていています。

● 鶯の身をさかさまに初音かな (宝井其角)  ・・・から始まり、芭蕉の句があと二句・・・

逃げるように早く過ぎると言われる二月が来ます。
ウグイスが身近に鳴く生駒山麓から引っ越します、初音を聴きたかったな。

未明、うっすらと雪化粧でした。
浜田省吾の「悲しみは雪のように」は、1981年に発表されました。もう32年前。
1992年にドラマ「愛という名のもとに」の主題歌になり、170万枚を越える浜省最大のヒット曲に。ドラマは21年前、鈴木保奈美と唐沢寿明・江口洋介の若かりし日々、最終回視聴率32.6%は当時のレコード、最終回の放送時間延長も当時の異例。
ウィキペディアにあるように、イントロがポリスのヒット曲「見つめていたい」に少しだけ似ています。

♪♪♪
君の肩に悲しみが雪のように積もる夜には
心の底から誰かを愛することが出来るはず
孤独で君のからっぽのそのグラスを満たさないで

君は怒りの中で子供の頃を生きてきたね
でも時には誰かを許す覚えてほしい♪♪♪

今回調べてみて、この曲が浜田さんの母親が脳梗塞で倒れた時に関連していることや、作詞者の彼自身が、詩人・吉野弘さんに傾倒していたことを知りました。作品の舞台背景は大切ですね。

吉野弘さんの詩の一行だけを借りた(作詞家・岡本おさみ)という曲が、吉田拓郎の「祭りのあと」です。(吉田拓郎は広島出身のミュージシャンという点で浜田省吾の先達でもあります。)

♪♪
日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない
日々を慰安が吹きぬけて 死んで しまうに早すぎる ♪♪

この「日々を慰安が吹き荒れる」という言葉が、放蕩・安逸・慰謝・歓楽・無為・遊興・自堕落・無節操・・・など多様な意味を孕(はら)んでいると思われます。他のかたの詩の一番いいフレーズを、自分の詩の根幹に据える・・・これも「援用」でしょうか。
【注・・・センター試験の小説語句「放蕩」(ほうとう)とは、要はこういうことですね。】

岡本おさみの次に作詞家・松本隆と組んだ吉田拓郎が、一度だけ出た1994年の紅白歌合戦で唄ったのが、標題の「外は白い雪の夜」(1978年作)でした。
歌詞自体は悲しいエンディングなのですが、サビがとてもいいです。

だけど Bye‐bye Love 外は白い雪の夜
Bye‐bye Love 外は白い雪の夜
Bye‐bye Love そして誰もいなくなった
Bye‐bye Love そして誰もいなくなった ♪

卒業式のあとの、卒業生席も、こんな感じですね・・・。

ふうー、ライトモティーフ手法で書いてみました。
次回のタイトルは「そして誰もいなくなった」です。


*吉野弘
(1926年・大正15年~)

”I was born”という詩が高校教科書に載っています。この作品について、吉野さんの最高傑作であり現代詩が生んだ最高傑作の一つであると評価する詩人もいます。母校である山形県立酒田商業高等学校では、I was born の銘版が職員室前に掲示されているそうです。

吉野さんを敬愛するロック・ミュージシャンの浜田省吾が、自作アルバムに「雪の日に」の全文を掲載すべく承諾を得る手紙を書いたところ、吉野直筆の「わざわざご丁寧にありがとう」という旨の御礼の返事をもらい感激したことを、自らコンサートで明かしているそうです。浜田の代表曲「悲しみは雪のように」は「雪の日に」にインスパイアされて出来た曲。(以上Wikiなど参照。)








しゅはり~能楽師・世阿弥の理念です。
伝統の型を守る、壊す、作る・・・順にいずれも不可欠なもの。
「序破急(評論なら序論・本論・結論、だから[対比・対立]は必須。)」「ヘーゲル弁証法=正反合」も類質ですね。

広い意味での学習や習得の方法論もそうなのだと思います。

谷町四丁目に、この店名を持つお蕎麦屋さんがあり、昨日知人の案内で行ってみました。
十割そばの美味しい・ジャズの流れる・メニューの創作的な、素敵で洒落(しゃれ)たお店でした。
なるほど、守・破・離、それがテーマのコンセプト(=概念)。

~型で捉えて型を破り型を越えて行く~これから一年のNPコンセプトの一つに据えたいと考えます。

今年度御卒業のかたへ、心からおめでとうございます、標題の言葉を贈らせていただきます。



大問一の「随想文・私小説」は小林秀雄が60歳の時、昭和37年作。
大問二の「作中に私小説を配する小説」を牧野信一が「文藝春秋」に書いたのは、大正12年。
大問三は言うまでもなく古文という古典、平均点相変わらず低かったですね。
大問四は古文との難易バランスを鑑みてか、問8まで擁しての漢文という古典。

・・・というわけで、受験生にとっては、遂に「すべて古典の国語」という時代到来を告げるような2013年センター国語問題ではなかったでしょうか。

歴史的な戦国時代の「鍔」の話に「文化論」を強引に重ねてみても、現代評論からは乖離(かいり)した無理矢理なお話。
問6のⅱは、どう考えても納得できないですね。「序論」に主旨があるんですか?本当に。ならば、あとの具体例はすべて並立的で深まりのない紀行日記ですか?

慧眼(けいがん)の教え子が「先生なら、起承転結という選択肢に飛びついたでしょうね」と辛口のコメントを寄せてくれました。・・・いいえ、回答は間違えないのだけれど、あの選択肢が正解だとすると、この文章全体の「主題」は何だったのだろうね。そのような文章を、評論読解に必死必勝の思いを賭けてきた受験生たちに、実験的に懐古趣味的に(共通一次試験時代にはあったように・・・)出題してしまって・・・よかったのでしょうか。

古典的な現代文、あるいは現代文的な古典に、もっと強くなりなさいということですね。

「起承転結」の「承」に「私小説を隠し持つ」形の「重層的な小説」は、NP個人的に好きですね、この「地球儀」の「暗喩性」を、センター出題者が問題化し切れていないのがとても残念ですが、「放蕩(ほうとう)」の意味は、もう受験生にとっても、一般人にとっても「廃語」なのではないでしょうか。なぜなら、放蕩息子が出現するほどの家族共同体自体の意味・価値が変わりはててしまったように思えるからです。祖父・父・息子・孫、四世代の男に脈々と流れる「血筋」の意味合い、対置的・分析的な母の存在、「そこに存在することの意味」が問われる「自分自身」と「地球儀」・・・とても面白いと思います。

NP推定では、評論よりも小説の方が解きにくいと感じたのですが、実際には、大問一で時間配分の胸算用(むなざんよう)を崩してしまった受験生が多かったようで、こちらの方が平均点は低そうですね。

繰り返しますが、現代文的な古典ですね、小説も時代や世界(時と場)が違えば、そうなってしまいます。
心地よく読める、自分に合った小説ばかり読んでいると、読解考察力はむしろ低下するかも知れません。

その警鐘を、センター試験・国語史上、初めて100点を切る最低の98点(センター中間集計)で鳴らしたつもりなのでしょう。・・・?いったいどなたが?・・・

※参考値・・・センター史上平均点が最も低かったのは2003年の101点です。センター側は120~130の平均点を目指すはずだったと思うのですが・・・(例えば200点満点なら、平均点130点で+-30点の幅・枠内、つまり100~160に、母集団全体の約3分の2が入る、それが理想的な国語の標準偏差=SD 30です。100点満点なら、もちろんこの半分の、平均点65点・標準偏差15 ということ。)。

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