NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2013年09月

二年前の9月21日、朝から野分が吹き荒んでいました。
台風休校になった学校で、奥様からのメールがあり、午前に亡くなられたことを知りました。
校内的には、生徒たちに翌朝の臨時学年集会で、直接伝えることにしていただきました。

その集会で・・・、
7月まで高一生徒たちの教壇にも立っていた、
8月には一日だけでもと高三生徒の吉野合宿講義に駈けつけた、
新Tこと新倉和文先生のご逝去を告げねばなりませんでした。

そのさらに一年前、「あと一年だ」と言いながら、仲秋の名月を奥様と鑑賞中の・・・
「生きるとすれば人のためだな」 というメールを、よく覚えています。

尾崎放哉に “ こんなよい月を一人で見て寝る ” という須磨寺での自由律句がありますが・・・、
先生はお二人で見ながら、吹田のご自宅近くでそう打たれました。
奥様お嬢様は後日、冗談まじりに「似合わないわよね」とおっしゃっています。

先生が下さった句だと思っています。
名月に 生きるとすれば 人のため

奥様から今日未明にいただいたメールです。
「法事は親戚だけで16日にしました。台風で高速があちこち通行止めで楠さんは遅刻するし、新幹線が停まってたりで加奈子たちが東京になかなか帰れなかったりしました。」

まあ、だから、台風みたいなところもある人でしたね。
激しく熱く厚く篤い人でした。

自由律に近いですが、先生から だと思ってもう一句・・・
“ 野分来る いないから頑張れ いなくても頑張れる”


*野分(のわき)・・・秋から初冬にかけて吹く、主として台風による暴風のことで、「のわけ」ともいう。通説では野の草を吹き分けて通る風として、その意味が考えられているが、柳田国男(やなぎたくにお)は、現在もなお使われている「わいだ」(「わいた」ともいい、秋の稲作の季節に外海から吹いてくる強風)と関連し、それは立ち重なる雲の間から突如として吹き出す風ではないかと考えた。俳諧(はいかい)では秋の季語。 【日本大百科全書・小学館】


・・・あ、だから、吹田(すいた)⇒わいた・わいだ・ふいた・すいた に住んでたのかな。
(NP構造主義)

合掌。





仲秋望月の翌朝、彼岸入りの日です。

一週間が過ぎ去ってしまいました。
13日の金曜日の仏滅に、訃報をNPは生徒から教えてもらいました。
11日にご逝去になったとのこと。

3年前の11月、99歳(白寿)時に本校で講演会をしていただきました。お洒落でとても恰好よい先生でした。
論理エンジン・公式ホームページ上でそのことを載せる機会を得ました。
http://www.ronri.jp/contents/takumi/vol5-2/page4.shtml

「銀の匙」については、講演会の資料プリントを作成しながら当時の中3生徒とともに学びました。
橋本先生のお名前も拝借しながら当ブログでも触れました。
http://www.leitmotiv.info/archives/2013-05.html?p=4

橋本先生は、出口汪さんがTV番組「世界一受けたい授業スペシャル」で冒頭に出演した時の、オオトリでした。
出口さんはその時、「チャップリンの風船」の話を出題していました。
http://www.leitmotiv.info/archives/2012-06.html?p=2

橋本先生ご自身は、画面越しにも矍鑠(かくしゃく:年をとっても丈夫で元気のいい様子)として、凜然(りんぜん:勇ましくりりしい様子)として、語っていらっしゃいました。
それは100歳の「秀麗」なお姿でした。
収録DVD大切にいたします。

有り難うございました。(合掌)

想い出は繋がってゆきますね。
・・・明日は気持ちが繋がれば、二年前の9月21日に逝ったかたを悼みます。


*秀麗・・・最近よく登場していただくYNさんからのメール一節にあった言葉です。とても気に入って、こちらも大切にしたいと思い、また前書きも素敵だったので合わせて、事後承諾で援用させていただきます。有り難うございます。

今日は夜の日曜合気道市民教室だけなので、家でのんびり本をぱらぱらしていました。
正宗白鳥の『何処へ』や南木佳一の『先生のあさがお』や白洲正子の随筆や
小林秀雄の対談や… そう言えば多田富雄さんの随筆集『独酌余滴』に
今日、「秀麗な」老人を見ることがなくなったということが書かれていました。

 福祉の対象である弱者としてまず自らを位置づけ、社会に負担だけを要求する
立場になったのでは「秀麗な」老人にはなれまい。一世紀に近い時間を生き延び、
衰えたりとはいえ、さまざまな時間の記憶に彩られた生を生きている誇りを持つ
こと、そしてそれは必然的に崩れ去ってゆくことへの名残と恥じらいを心に含んで、
初めて「秀麗な」老人への道が開けるのではないだろうか。(P.282)






1962年(昭和37年)8月5日・・・
マリリン・モンロー怪死。
当時のケネディ・アメリカ合衆国大統領との仲も取沙汰(とりざた)されていた人気ハリウッド女優。

東野圭吾さんの今年5月に刊行された長編『夢幻花』、核心となる事件の発端です。
江戸時代にはあったはずの黄色いアサガオがなぜ現在はないのか・・・。
虚実の皮膜」を達意巧妙に描いた作品です。

その一節に「シンクロニシティ」というユング心理学の言葉が出てきます。
何か行動を起こそうとしたら、たまたまそれに関する出来事が自分の周りで起きるという現象

科学的な解説を主人公の男子学生が述べています。
「・・・現実にはこの程度の偶然は頻繁に起きている。問題はそれに気づくか気づかないかだ。・・・」

意識の有無・認識論 ということですね。
ガリレオ・シリーズ初期の『予知夢』(平成12年初版)第一章「夢想る」(ゆめみる)にも通じるものがあります。
湯川学・物理工学研究者は、草薙(くさなぎ)刑事にこう説明します。
「・・・とにかく予知夢に関するエピソードは、昔からうんざりするほどある。その多くはたぶん偶然だろう。だけど中には偶然とはいいきれないものもたくさんある。そしてそれらは大抵、十分に説明が可能なんだ。・・・~されるおそれがあると心のどこかで思っていた。それでその潜在的な思いが夢となって現れた」

~何か書こうと思っていたら、たまたまそれに関する素材が自分の前に現れるということ~

今朝もまさにそうでした。
『夢幻花』は先日読み終えたばかりです、小林秀雄の1962年(「鐔」)と繋がるとは・・・ 

~大事なのは、それに気づくか気づかないかだ~

原発再稼働も、戦争の足音も、オリンピック開催も、シリア攻撃容認も・・・
勇ましい、虞(おそ)れがあること には変わりありませんね。

これらは台風一過とはいきません。

つばぜりあい・・・(鐔=鍔)
刀を鍔の所で打ち合わせて互いに押し合うこと。
[全く互角に激しく勝敗を争う意にも用いられる。例、「ーを演じる」]
(新明解国語辞典)

「鐔」は小林秀雄全集の『考へるヒント』所収、「真贋」(しんがん:ほんものとにせもの)シリーズとして、1962年(昭和37年)の4月「徳利と盃」(とっくりとさかずき)、5月「壺」(つぼ)に続いて6月の「芸術新潮」に発表された評論的エッセイです。

NPが言うまでも無く、暗喩的文章と解釈してよいようです。

2013年センター本試験では、大問一評論が「鐔」(先日のブログの字を訂正いたします。)、大問二小説が「地球儀」(牧野信一)と、どちらも暗喩で満ち満ちていたことになります。
結果はセンター試験国語史上、最低レベルの平均点101(200点満点:古漢100点分含む)でした。

長谷剛先生の新刊問題集「ガラッと変わる現代文」は、この難解な「鐔」問題の分かりやすい解説から入っています、大胆果敢です。

表面(表現)が「贋」、裏面(内実)が「真」とすると・・・
やはり小林秀雄の「嫌な感じ」というニュアンスを含んでいたんですね。
1962年上半期が、特にそうだったのかも知れません。

1月:ベトナム戦争でアメリカ特殊部隊結成、東ドイツが徴兵制度復活
2月:ケネディ大統領の対キューバ全面禁輸措置、東京が世界初の1000万人都市に
3月:ビルマで軍事クーデター、大正製薬が「リポビタンD」発売
4月:シアトル万国博覧会「宇宙時代の人類」、イギリスが連邦加盟国からの移民の自由条項削除
5月:ベルリンの壁に地下トンネルを掘り西側へ市民脱出、朝日放送コメディ「てなもんや三度笠」放送開始
6月:元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン絞首刑に、エール仏ボーイング707連続事故で死者130・113名

勇ましい時代」ですね。
10月にはキューバ危機、11月には英仏の「超音速機コンコルド共同開発合意」へと続きます。

「それまでに費やした過大な投資ゆえに今更抜け出せない破綻必定(はたんひつじょう)の束縛的枠組」
それがコンコルド・パラダイムです。
以前にも紹介説明しましたが、東京大学の入試小論文に出題されたことがあります。

だから、小林秀雄の「勇ましいものはいつでも滑稽だ」は、蓋(けだ)し名言なり、と思えてなりません。
もちろん、冷笑してばかりはいられません。

今がそうなのですから・・・。
勇ましいものはいつでも嫌な感じだ・・・と置き換えて考えれば正着です。

大雨・洪水・暴風警報の東大阪です。
京都 滋賀には特別警報が発令されています。

「大本営発表・・・」というラジオ臨時ニュースの場面(「少年H」1941年12月8日)が頭を過(よ)ぎります。

「真贋」を見極める「心眼」を持ちたいと思います。

金属精錬の業師(わざし)達が妖怪の名を騙(かた)って奪い去る寺の大釣鐘。(「ヒトツタタラ」)
弾丸に再精錬するため出征(しゅっせい)の美名の下に撤去される校庭の銅像。(「少年H」)

繋(つな)がりました。

クリスチャンだった母方の祖父が、太平洋戦争後期に、出さなくてもいいのに生真面目(きまじめ)に家中の(貴)金属類を全部供出(きょうしゅつ)したという話を、母から聞いたことがあります。

「この戦争はなんやったんや~!!」というHの叫びが、映画のクランクアップ・シーンだったとか。
監督の降旗康男(ふるはたやすお)さん・・・東京大学文学部・仏文科卒なんですね、79歳。

これも繋がりました。(「決して追い付けないもう一人の人間」)

今日も受験生たちは休日学習登校、NPは午後から出張で枚方(ひらかた)の学校&入試説明会へ。

台風接近で大雨の一日になりそうです。

天災・人災それに地災のありませんように。



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