台風休校になった学校で、奥様からのメールがあり、午前に亡くなられたことを知りました。
校内的には、生徒たちに翌朝の臨時学年集会で、直接伝えることにしていただきました。
その集会で・・・、
7月まで高一生徒たちの教壇にも立っていた、
8月には一日だけでもと高三生徒の吉野合宿講義に駈けつけた、
新Tこと新倉和文先生のご逝去を告げねばなりませんでした。
そのさらに一年前、「あと一年だ」と言いながら、仲秋の名月を奥様と鑑賞中の・・・
「生きるとすれば人のためだな」 というメールを、よく覚えています。
尾崎放哉に “ こんなよい月を一人で見て寝る ” という須磨寺での自由律句がありますが・・・、
先生はお二人で見ながら、吹田のご自宅近くでそう打たれました。
奥様お嬢様は後日、冗談まじりに「似合わないわよね」とおっしゃっています。
先生が下さった句だと思っています。
“ 名月に 生きるとすれば 人のため ”
奥様から今日未明にいただいたメールです。
「法事は親戚だけで16日にしました。台風で高速があちこち通行止めで楠さんは遅刻するし、新幹線が停まってたりで加奈子たちが東京になかなか帰れなかったりしました。」
まあ、だから、台風みたいなところもある人でしたね。
激しく熱く厚く篤い人でした。
自由律に近いですが、先生から だと思ってもう一句・・・
“ 野分来る いないから頑張れ いなくても頑張れる”
*野分(のわき)・・・秋から初冬にかけて吹く、主として台風による暴風のことで、「のわけ」ともいう。通説では野の草を吹き分けて通る風として、その意味が考えられているが、柳田国男(やなぎたくにお)は、現在もなお使われている「わいだ」(「わいた」ともいい、秋の稲作の季節に外海から吹いてくる強風)と関連し、それは立ち重なる雲の間から突如として吹き出す風ではないかと考えた。俳諧(はいかい)では秋の季語。 【日本大百科全書・小学館】
・・・あ、だから、吹田(すいた)⇒わいた・わいだ・ふいた・すいた に住んでたのかな。
(NP構造主義)
合掌。