NPブログ - Leitmotiv ~言葉・論理・主題連鎖への旅~

2014年01月

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ずっと以前に展開していた別のブログに掲載したものです。
(「ライトモティーフ」では、川上弘美さんはほとんど見当たらず。)

これを、NPは当時中2生の期末考査問題に全文用いました。
なんとも無茶なレベルを要求して、またそれに応えてくれたものです。
今年度卒業の中高一貫生諸君へ、あらためて・・・

おめでとう、ありがとう。


今日は旧暦元日、まもなく新暦立春。
もうすぐ春ですね♪


『花野』試論~生と救いを廻って

  川上弘美氏がカトリック信者であるか否かは留保しても、『花野』という静謐(せいひつ)な物語にはひとつの「神」に対する解釈が含まれている。それは生に対置させて死の世界を想定しながらも、「花野」自体が、その両者の硲(狭間)にある時間と空間を意味することと密接に関係する。生の対極としてではなく死を意識すること、もしくは生の中にこそ死はすでに内包されていることを意識することは、必然的に両者を往来できる・見すえるものの存在に思い至らざるを得ないのである。「花野」の表面的な美的描写は川上氏の「空気感」の結晶であるが、同時に裏面的には「生の墓場」としての深層も孕んでいる。「立ち会う存在」の神、如何に関わらず、無名性を持つ「わたし」は、生きながらにして死の世界を覗き込んでやまない、不特定数の現代人を提喩しているとさえ言えよう。
  
  叔父がなぜ妻子の元へではなく、「わたし」という姪のところへ繰り返し実体のない、しかし現実感のある来訪をするのかということを突き詰めると、逆に存在感の希薄な「わたし」の方が死の世界の象徴たる叔父の元へ誘(いざな)われているという「裏読み」が成立するのである。叔父は三回目からこれも実体のない「饅頭」を持ってくるようになるが、渡そう・伝えようとしても仲々果たせないという叔父の心の暗喩であろう。雑多で脈絡のない話題を語り続けながらも、最大の気がかりでもある関心事は「わたし」がそこに来ることを止めたいという一点なのである。「秩序」(無秩序)を説くのも、「わたし」という一個の人間存在・存在自体が大きく揺らいでいることを思わせるし、「掘り出す」(発見する)ことは、「わたし」という存在の自己確立を促(うなが)していることに他ならない。叔父が「還る」(消える)のを繰り返すのは、生と死が輪廻的に繋がっていることに通じている。そこには「神を信じない」(虚としての「信じる」の裏で、むしろこちらが見せかけの「真」)から最後には「いないこともないものなのかもしれん」へと変わってゆく過程を示すことで、生の持つ意義や価値を、裏側としての死の持つ意味や深長さを、その度に諭そうとする、あたかも「神」からの使者のようにも思われるのである。「同じ傘の中」(相合い傘)に二人が入る印象的なシーンからは、叔父の想い遣りと「わたし」の思慕という愛情の臨界(到達)点を読み取ることができよう。そこから物語は一気に結びへと収束されてゆくのである。
  
  一見して唐突に叔父は「最後」の覚悟を切り出すが、それは「わたし」こそがもうここに来てほしくはないという切実な願いでもある。確信的に「わたし」は最後の決意を試されるのである。「願い事」を聞く叔父は、裏読みとして、叔父自身の強く願っていることを姪が願うことを祈っているのである。したがってその願いの「午餐」として叔父が出してきた「そら豆」を、「最後の晩餐」のようにして、まず「わたし」が食べることが出来て、さらに姪の勧めによってようやく共有して叔父が味わうことになるのには重要な意味がある。「そら豆」は叔父の最後の願いに明確に応えた「わたしの心」そのものなのである。つまりは、もうこの場所には来ない、完全に生の世界に回帰してゆき自己存在を確立するという意思表示であり、それを叔父が受容する、ここに意思疎通は遂に果たされるのである。相互救済、「魂の救い」をそこに見る。互いにふさわしい世界に戻れる、まさに「感謝」ということなのであり、静謐どころか熱情がそこにある。
  
  最後の最後のセリフ「いつか、また、会おう」とは、天寿を全(まっと)うしたのちに、彼岸で会うべくして会おうという訣別にも思えるが、真相は、「わたし」が現代人の誰であってもよい以上、実にしたたかに「すべての読者」へのメッセージとなっているのである。稚拙な言葉になるが、「死ぬまであなた自身を全うして生きて下さい」ということである。まわりの空気がゆらゆらとして、叔父が完全にいなくなった後、ゆるやかに豊かに「わたし」すなわち「読者自身」の確かな生の時間が流れ始めるのである。そこに群れ咲く小さな草の花は、現代を生きる人の孤独な、しかし健気で尊い一個一個の命であり魂なのである。

ドアブロ編集部から日常的に送ってくる「主要トピックス」情報。
普段はほとんど見ることもないのですが、今回だけは例の斬新かつ大胆な説明で有名な「新明解国語辞典」が話題だったのと、昨日来の「恋愛」つながりとで閲覧してみると・・・


れんあい【恋愛】(第7版)
特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。

れんあい【恋愛】(第5版)
特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。

れんあい【恋愛】(第4版)
特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。


NPの手元には「第五版」があるのですが、こうなると「第七版」も入手せねばと強く思います。

「二人だけの世界を分かち合いたい願い」が「かなえられ」たり「疑念が 生じ」て「不安にな」ったりする状態・・・なんですね。

なるほどなあ・・・他 辞書の追随を許さない(追随したくないでしょうね)スゴい(まさに「いとすさまじき」)解釈です。


「真の理解」の常として「対比」を知っておきましょう。
念の為に「普通」を挙げておきます。

《 恋愛 》
特定の異性に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、男女が互いにそのような感情をもつこと。「熱烈に―する」「社内―」(デジタル大辞泉)

男女が恋い慕うこと。また、その感情。ラブ。(大辞林)


これはこれで、くすっと笑ってしまいますね、うん。


「恋愛」と言えば、NPはやはり山本文緒(ふみお)さんの『恋愛中毒』がスゴいと思っています。
1999年に吉川英治文学新人賞を、この作品で受賞しています。
さらに『プラナリア』で2001年に直木賞をとった女流作家です(以前紹介済みですね)。


女流作家と言えば・・・
昨朝、川上弘美さんの話題を上げた後に、全く偶然で川上さんの長編ファンタジー小説『七夜物語』上巻が戻ってきました。中2の女子生徒に貸していたもので、洋菓子とスヌーピーのカレンダーが付いてきました、ありがとう。
気を遣わせて却って申し訳無かったけれど、「面白いです」と言ってもらい嬉しかったですね。

下巻を読み終えたら、このかたにセットで差し上げようと思っているのですが、・・・日々の勉強にとても忙しいですからね・・・読む隙間(インターメッゾ:幕間の間奏曲)を巧く作れますように。


川上弘美さんの作品(群像・2月号)のタイトルです。
今朝の朝日新聞・文芸時評欄(作家で詩人の松浦寿輝さんによるもの、・・・「恋愛」小説・・・という小題付き。)を読んだに過ぎないのですが、必ず読んでみようと思います。

物語の舞台は、地球上の大陸の位置さえ現在とは大きく変わってしまったはるかな未来で、その頃、人間の子供たちは動物の基幹細胞を利用して工場で「作られる」ようになっている。

これが「恋愛」小説になるの?と思ってしまうのですが・・・

「形見」は、「今日は湯浴みにゆきましょうと、行子さんが言ったので…」とゆるゆると書き出される。「ゆ」の音の繰り返しが耳に快い。

と紹介されています。
書評引用の2カ所からも感じられる、「ギャップ」「段差」がこの作家の魅力の一つとNPは考えています。この場合は、設定世界と内容表現でしょうか。

クオリア ですね。

「クオリア」というのは「質感」とひとまず訳され、脳科学者 茂木健一郎さんで注目された言葉なのですが、川上弘美さんのクオリアについて、いずれまとめてみます。

ずっと以前に、当ブログでも川上さんの「花野」という作品のNPミニ小論を載せたように記憶しているので・・・確認の上、近いうちにいずれ・・・。


それにしても「形見」という言葉には・・・あれこれ思いが巡りますね・・・。


真珠湾にアメリカ空母無し、奇襲攻撃機23機戻らず・・・
特攻隊4400人、半数近くが動員学徒・・・

映像・演技・音楽などのダイナミックさと共に、具体的な数字や状況の説明に引き込まれました。

国家主義、戦争賛美・・・そんな批判もありましたが・・・違うなあ。

昨夏見た「少年H」に続いて、鑑賞後にパンフレットを求めました。


・・・末期癌で余命3か月と言われていた老人(橋爪功)の元に、実祖父・宮部久蔵(戦時 岡田准一 26歳で特攻志願 散華:さんげ=花を散らすの意味から、特に若くして戦死すること)について取材に行った健太郎(三浦春馬)に、 こんな言葉が投げかけられます。

「なぜ5か月間生き延びているか、今わかりました、この話を語り伝えるためだったのです。」

生きて帰らなかった久蔵へ「あなたは約束を守ってくれた」と虚空(こくう)に語りかける妻・松乃(戦時 井上真央)。

映画完成を待たずに逝った夏八木勲さん(戦後 松乃の夫 役)、自死を悟ったような抑えた名演にも合掌です。


最後のエンドロールで流れるサザンの「蛍」いいですねえ。

~ 祈り ♪ ~


すべてが「物語」の中に息づいていました。

卒業式に引き続いて、泣いたなあ。


自分を大切にしてくれた人のためにも・・・

今の闘いに勝利しましょう。

たとえ、0からのスタートでも。

・・・いつの間にか、来たるべき、大学個別入試の話になりました・・・





今年度ご卒業のかたへ。

おめでとうございます。

ありがとう

さよなら

これからもよろしく。

大事の前の小事
①大事を行う前は、ささいな事には かまわない方がよい。
②大事を行う前には、ささいな事にも慎重に対処しなければ ならない。
(大辞林)

またしても重複対比、もしくは内在対比ですね。

NPは、このように言っています。

ゴールはスタート!

大事なのはNEXT!!
 

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