NPブログ - Leitmotiv ~言葉・論理・主題連鎖への旅~

2014年05月

七十二候で「麦秋至」(ばくしゅういたる)の日です。

春麦の刈り入れ期で「夏の季語」(初夏)、梅雨が来る前に黄金色の麦穂を刈るわけですね。 

徳島県の山奥に住んでいた時に、一度だけ収穫作業に参加した記憶があります。

でもそれは、冬麦だったのかも知れません。

麦の二期作というのは、冬麦と春麦。

一般的には春麦の収穫期を麦秋と言い、5月~7月を指すようです。

二十四節気では、「小満」(陽気高調し、万物満ち足りてくる頃)の「末候」。

一節気に三つずつ候があるので、その三つめということです。


麦秋や 葉書一枚 野を流る
[山口誓子]


という句を見つけました。

想像が募りますね。

何の葉書でしょうか。


黄金色の麦穂のような ひとひらの我が心よ、どこまでも、どこまでも、野を下って流れてゆけ~♪ ♪ ♪

・・・ですね。


やがて海に出るのでしょうか。

はてな?


海に出て 木枯らし 帰るところなし
[山口誓子]

当ブログ既出です。
その凄惨な解釈(御本人自らが晩年に認めました。)を、ぜひ遡ってお読み下さい。


・・・ということは・・・

この葉書は「赤紙」だったりして。

まさかね。


勇ましくも滑稽な(小林秀雄)、ヒトラー再来を思わせる きな臭い時代に・・・、

「NO」と言います。






 

湯本香樹実さん『ポプラの秋』のエンディングで、そこに集ったゆかりある人たち全ての心を、亡くなった慕わしいおばあさんに届けるかのように、ひこうき雲が鮮やかに一筋、青空に立ち昇ります。

自殺まで考えていた主人公の千秋は、父母に強くつながる自分を、看護師としての自分を取り戻し、「生きねば」と決意するのです。

イメージしただけで目頭が熱くなってきます。途轍(とてつ)もない名作だと思っています。 


最近、涙脆くなっていて困ります。

昨日も、あるクラスで、浅田次郎さんの「蝉の声」という「中3教科書用の書き下ろし」短編小説を朗読したのです。
九十歳のおじいさんが、中3受験生の孫息子・和男に、「お前の名前は平和の和、これしかないと付けた名だ。」と言うのです。蝉時雨の中、和男の両親には内緒で、自らが入るべき養護施設を下見して回っている老人のセリフです。和男は、おじいさんの戦争時代の「陸士」「海兵」の話を聞き、おばあちゃんの葬儀でも泣かなかった祖父の涙を見て、「自分のなすべきことを自分で考えよう」と決意します。

たったそれだけで、結末部分に声が詰まりました。


宮崎駿のアニメ映画「風立ちぬ」に流れる哀切で緩やかな曲が、ユーミン(松任谷由実)の「ひこうき雲」です。

「生きねば」です。

これを思い出させて下さったのは、現在 当ブログ・コメント欄(2012.3.11付け)に投稿をいただいているかたです。

有り難うございます。

よろしければ、一人でも多くのかたが、そのコメント欄を見て下さいますように。
 

当ブログ2012.3.11記事「新倉和文先生へ」の「コメント欄」をお読みいただければ幸いです。

今、サボテンが話題になっています。


仙人掌。


棘が沢山あるけれど、その花はこの上無く美しい。

新倉先生は、そんな人でした。
 

先日標題とした「幻想」という切り口で、少しだけ述べてみます。


NPがソウルへの一人旅をしたのは、15年以上前の晩夏でした。

脱漢字の時代だったのか、金浦(キンポ)国際空港(2001年以降は仁川・インチョン国際空港に国際線ほぼ移転)に降り立った時から、各種の案内表示・表記でハングルがとても多かったのを覚えています。 

当然ながら反日の強い時期のひとつでした。



独特の香りの漂う地下鉄を使って、東大門市場(トンデモンシジャン)と南大門(ナンデモン)市場のどちらかを回りましたが、何も残っていません。

気まぐれにどこか外の駅で降りて、漢江(ハンガン) という市の中央を東西に流れる大河の河原を、あてもなく歩きました。


大きな書店で「反日小説の書き方」という、なぜか日本語の本を買いました。

日本の小説は非常に数少なく、それでもコーナーに村上春樹と村上龍とが積まれてあったのを記憶しています。

ハングル語の「対日豆辞書」も買いました。


ホテル内も含めて、カタコト英語で過ごしたような気がします。

おそらく日本語は使えないのではないかという思い込みがあったからです。


戦争記念館という軍事博物館に行き、カタコト英語で係員に聞いても、事務的な対応が大層クールでした。

観覧者のほとんどいない閑散とした、しかし「戦争の歴史」と「抗日の意思」の明確さに、寂寥と空漠の感を抱きながら、もう出ようとしていると、数少ない入場者で一人の年配の男性が・・・

「日本のかたではありませんか。」と話しかけて下さいました。 


リアルな大戦車や軍用機が展示してある外庭で、少しだけ話しました、日本語で。

世界中が強者と弱者とを決めつけようとしていた、日本語を強いられて母国の誇りを奪われた、苦難と苦汁に満
ちた時期に青春を過ごされたのです。

もう、何を話したのかはよく思い出せないのですが・・・

決して「反日感情」というものではなく、 むしろ「親日感傷」というものを強く感じました。

そして・・・

そのあとは、街の路地の文具店に入って、ハングル文字の鮮やかなケシゴムを、ダースで箱買いして土産に備えることが出来ました。そう、古いお店では日本語が使えたからです、少し嬉しくて哀しい発見でした。


あれから随分多くの時が流れ去りました。

日本では「韓流」の全盛期も来て、やがて過ぎ去りました。

韓国では、どうだったのでしょうか。

「日流」もあったと聞きます。


「反日感情」は、韓日双方の「幻想」なのでしょうか。

しかし、先日当ブログでお伝えしたように、「幻想 ≒ 現実」なのです。

ええ、それが「事実」に繋がってゆくのです。


今、太田心平さんの「反日感情」についての研究論文を読んでいます。

読み終えてから、続きをアップします。


炎天の暑い一日になりそうです。

中三に京大の過去問 行きます。

心躍る熱い一日になりそうです。


今日も読みにきていただいて有り難うございます。



 

 

・・・というシリーズ・コメントを、現在 当ブログにいただいています。
 
「2012.3.11」の記載に関連してのものです。

この日の記事は、当ブログで最もコメント数が多く、(NP分も合わせて)かなりの投稿数になります。

先日来 ご登場いただいている太田心平さんも、実は、その日の記事にいただいたコメントで消息が分かり、以来のメル友(NP思い込み)なのです。 


今回は、やまもとよしひさ さん(不都合あればご連絡下さい、お名前配慮いたします。)とおっしゃる方のコメントです。
「ふたり」 が話題になっています。
さらに、どなたでもコメントをいただければ幸いです。


昨日、京橋-鶴橋間の往来乗り継ぎでJR大阪環状線に乗りました。

想い出は、いろんなところを巡りました・・・。
 

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