NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2014年09月

【NPの印象イメージ】
(たぶん一般に近い・・・かな、後日に「色モノの本」を参考にして答え合わせします。)
   +⇔-
赤:情熱・排撃
青:冷静・沈鬱
黄:包容・散漫
緑:温厚・不穏
橙:豊饒・飽和
紫:高貴・隠蔽
黒:静寂・死滅
白:純潔・空虚
 
直截(ちょくせつ)的なものです。
が、深層心理も読み取れそうです。

左列が具体:右側が抽象&(内在)対比・・・でしょうか?

皆さんは、それぞれいかがですか。

「色彩心理学」を齧(かじ)ってみます。


なぜ、「色の世界」へ迷い込んだのかと言うと・・・、
谷川俊太郎さんの詩に、多彩な「色合い」「色調」を感じ取ったからです。

「かなしみ」
あの青い空の 波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきて しまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなって しまった


「青」が「透明」になるんですね。
透明という色の心理は、それこそ見えないはずなので・・・、
「青の喪失」ということでいいのだろうと考えます。

代表作「二十億光年の孤独」にも、「色」が表出します。

それもこれも含めて、後日の「色の心理②」をお楽しみに。


[デジタル大辞泉より]
 直截の用語解説・・・[名・形動]《慣用読みで「ちょくさい」とも》
1 すぐに 裁断を下すこと。また、そのさま。「―な(の)処置」
2 まわりくどくなく、ずばりと言うこと。 また、そのさま。


 

そうとばかりは言い切れない-谷川俊太郎


・・・考えてみると「学校教育」というものは、一般に知っておくべきことを教えるのが目的なのだから、創造的な人とあまりかかわりがないのは当然かも知れない。・・・

(・・・という一文を受けて・・・標題の問いが「誰か」から発せられ、詩人は冒頭のように答えたという文脈・・・さらに)

大学へ行っていた方が、一般的な知識を能率よく広く取り入れることができてよかっただろうとのこと。ただ、ここで難しいのは、日本の学校教育が画一的で少しでも異質なものを排除しようとする力が強すぎるので、どうしても創造性の高い人はそこに入っていくことができない、という点である。

(・・・と続いている文章・・・。)

(以上は・・・)
故・河合隼雄さん(京大・理学部出身の分析・臨床心理学者)の文章を、
息子の河合俊雄さん(京大・こころの未来教育センター教授)が、
〈子どもとファンタジー〉コレクション(岩波現代文庫)で、
『子どもと悪』という題名にして編集したものの一節です。


谷川俊太郎の詩を、授業で鑑賞しています。


「二十億光年の孤独」・・・。
17歳で詩作及び発表を始め、
哲学者で法政大学総長でもあった父・谷川徹三に、
詩人・三好達治を紹介された谷川俊太郎の、
推定18歳ぐらいまでに作られ、21歳時に、そのまま詩集『二十億光年の孤独』に収録された一篇・・・。


その俊太郎くんは高校(都立豊多摩高校)卒業の後、大学に進学せず受験勉強もしませんでした。
大学に行かずにどうしたいのか、と父親に問い質され、
創作詩を書きためた二冊のノートを差し出したというエピソードが、
現行の『二十億光年の孤独』(集英社文庫)に載っています。


大学に入って「一般的な知識を能率よく取り入れる」ことは、確かに「よい」でしょうね。
でも・・・「創造性の高い人」は・・・「画一的に異質排除」されるんですね。

それが「学校教育」・・・。


或いは ネリリし キルルし ハララしているか
(「二十億光年の孤独」第二連)

万有引力とは
ひき合う孤独の力である
(同上第三連)



ところで・・・このような「ライトモティーフ手法」を、
「小主題連鎖」とNPは意訳換言しています。

みなさんへ・・・、

大学に行ってよかったですか。
それ以前に・・・、
「学校教育」はよかったですか。
創造性の高い人が懊悩(OH! NO!)する場所になっていませんか。


行かなかった人も、これから行くつもりの人も・・・、
谷川俊太郎さん、そして河合隼雄さんのメッセージに何を感じますか。


谷川俊太郎さんの三番目に結婚した奥さんは、
当ブログでも紹介した『100万回生きたねこ』の絵本作家で詩人の、
佐野洋子さんでした。

合唱曲「二十億光年の孤独」を聴いてみました。
絶賛の声も多く聞かれますが・・・、
どうも原詩のイメージではなく、
「異質排除の後の調和」のようにも思えます。

穿(うが)った見方過ぎますね・・・ネロネロ、キリキリ、ハラハラ・・・。




 

寿司=鮨・鮓(すし)
辛子=芥子(からし)
重石=重し(おもし)

これらの名詞が、元は形容詞だったという文法について、今読んでいます。

古語文法における、ク活用型形容詞の終止形が元になっている、ということです。

酸し
辛し
重し 

これらが、そのままの形で名詞化したのは興味深いですね。
いわゆる転成名詞です。

高名な国文法学者である橋本進吉氏が、1948年に「品詞の転成」について規定しているのは・・・、
「或語が、そのもつてゐた或職能を失ひ、又は、これまでもたなかつた新な職能をもつやうになつて、一つの品詞の資格を失ひ、他の品詞の資格を得ることである。」・・・とのこと。

そして1965年の、外延*として具体例を列挙した「用語解説編」によると・・・、
上記の三つなどが「形容詞の職能を失った名詞」ということになっています。


重ねて、実に興味深いですね。
なぜ、かつての職能を失い、新たな職能を得たのか。

それも・・・、
どちらかと言うと、感覚的-(マイナス)イメージだった
酸し・辛し・重し・・・に対して、

寿司・辛子・重石は、
有用な+(プラス)イメージを持っていますね。

なぜ?

思い切って言うならば・・・言葉が定着化した時代の反映でしょうか。

折しも、高度経済成長期に当たる1950年~60年代前半・・・ということは、
世界的に見れば「ポストモダン」の、
そして「構造主義」の真っ只中。

恣意(しい:勝手気まま)的**ならず、偶然的ならず、
それは時代の要請に呼応すべく「構造的」に変化(へんげ)して・・・、
さらなる新時代に必須の言葉となっていったのではないでしょうか。

そうです。
寿司・辛子・重石。

何だか、見え隠れする繋がりが強く深くあるような、そんな気がして仕方ないのです。

牽強付会(けんきょうふかい:こじつけ)・・・強引に過ぎるでしょうか。

[参考:明治書院「研究資料日本文法①」]


*【外延:がいえん extension】
論理学において ある概念が適用される事物の集合。
**【恣意性:(フランス語) arbitraire 】
言語学者ソシュールの用語で言語記号の記号表現(能記)と記号内容(所記)との結びつきが恣意的であるということ。
[デジタル大辞泉]
 

避けられない苦しみなら、むしろ楽しもうよ。

中間考査を控えた、ある男子生徒に教えてもらったばかりの格言です。

うん。

いいね。

でも。

大きな災害や事故の前に佇(たたず)む時・・・、
それは、また違うのだと思ってしまいます。

(御嶽山おんたけさん、これ以上犠牲が拡大しないように祈っています。)

されど。

真理探究が苦しみの果てにあるものならば・・・、
目標達成が大いなる苦難を伴うものならば・・・、

打ち克ってゆかねばならない。
避けられないなら楽しまねばならない。


真理は今の時代には漠然としており、虚偽は確立しているので、
人は真理を愛さないかぎり、それを知ることはできないであろう。
(パスカル「パンセ」864 第14章:論争的断章)

現代(今の今)でも全く同じですね、感銘。


約350年以上も前、江戸時代初期に、既にこの言葉はヨーロッパにあったんですね。
水戸光圀(みつくに)が『大日本史』の編纂(へんさん)を遂行させていた1660年頃・・・。

どちらも偉業でした。


「愛することが楽しむこと」・・・ であるといいね。




 

シチュー・セットに続いて、カレーライス&サラダ

DCIM0241 


















ブラックペッパー
しょうが
赤ワイン

・・・で、辛味とコクを増してみました。
ルウは、「コクが決め手のスパイシーカレー・辛口」(COOP)。

エリンギ
玉葱
にんじん
メークイン
豚ミンチ

・・・具材はクリームシチューのあとさき(後先=前後)、というラインナップ。

サラダは、徳島・木頭地区のゆず・ぽん酢をかけて・・・。

加えて、昨日北陸から届いた新米は・・・、
米どころ越前の里・上庄(かみしょう)の、
清流水に育った最高級レベルとのこと。


半袖の
 戻りに暑さ
  感じつつ
   秋カレーの熱さ
    なごり深まる
      (NP)
    






 

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