2015年06月
再開間近(6月19日:夜更け)
桜桃忌*に、
桜桃(おうとう:さくらんぼ)と枇杷(びわ)。
6月19日(金)。
ずっと以前にNP授業で、
「その日覚えていたら、皆でさくらんぼ食しながら太宰を語るね・・・」
と、いくつかのクラスで言ってしまったのに、
「高くて目が飛び出たので、企画は見送り・・・」
などと、一部期待していた生徒たちを落胆させてしまいました。
特に、この日十四歳のバースデイだったEさん、
「残念です」と、
提出物の片隅に書いてくれました。
御免ね、
代わりに世界遺産(合掌造り)の絵葉書などを届けます。
せめて、画像だけでも・・・。
桜桃忌
再開間近
ブログ書く
(NP)
*桜桃忌・・・
6月19日は、昭和23年の6月13日に玉川上水に愛人・山崎富栄と入水した太宰治の遺体が発見された日です。本来の命日は13日のようですが、太宰の本名は津島修治、津島家のお墓のある東京三鷹・禅林寺で、19日(奇しくも満39歳の誕生日でした・・・)に作家を偲ぶ特別法要が毎年営まれています。
枇杷は・・・とても熟していて、
「やはり家族が大事**」と
思わせてくれます。
**「家族が大事」・・・
亡くなる年に発表した作品『桜桃』の中で、太宰は、
「家族よりも自分が大事」と、
本心とは裏腹のようなことを書いています。
枇杷を剥(む)く
その軟らかさ
家族笑む
(NP)
桜桃(おうとう:さくらんぼ)と枇杷(びわ)。
6月19日(金)。
ずっと以前にNP授業で、
「その日覚えていたら、皆でさくらんぼ食しながら太宰を語るね・・・」
と、いくつかのクラスで言ってしまったのに、
「高くて目が飛び出たので、企画は見送り・・・」
などと、一部期待していた生徒たちを落胆させてしまいました。
特に、この日十四歳のバースデイだったEさん、
「残念です」と、
提出物の片隅に書いてくれました。
御免ね、
代わりに世界遺産(合掌造り)の絵葉書などを届けます。
せめて、画像だけでも・・・。
桜桃忌
再開間近
ブログ書く
(NP)
*桜桃忌・・・
6月19日は、昭和23年の6月13日に玉川上水に愛人・山崎富栄と入水した太宰治の遺体が発見された日です。本来の命日は13日のようですが、太宰の本名は津島修治、津島家のお墓のある東京三鷹・禅林寺で、19日(奇しくも満39歳の誕生日でした・・・)に作家を偲ぶ特別法要が毎年営まれています。
枇杷は・・・とても熟していて、
「やはり家族が大事**」と
思わせてくれます。
**「家族が大事」・・・
亡くなる年に発表した作品『桜桃』の中で、太宰は、
「家族よりも自分が大事」と、
本心とは裏腹のようなことを書いています。
枇杷を剥(む)く
その軟らかさ
家族笑む
(NP)
再開決意(6月14日:早朝)
二泊三日、岐阜県・郡上(ぐじょう)高原での夏期研修旅行に行ってきました。
初日、ひるがの高原・牧歌の里です。
少年たちの行方遥(ゆくえはる)か、白山連峰が見えます。
足もとには、初夏の花がポツポツと咲いています。
全国的に梅雨入りしましたが、高原では雨に逢わずに過ごしました。
これは、世界遺産・飛騨高山の合掌造り見学の散策。
高原ホテル施設での手打ちうどん・藍染体験、
夜には郷土史講義や和太鼓実演、
ロックフィル式の御母衣(みぼろ)ダムの堰堤(えんてい)や、
お隣の福井県に回って同式の九頭竜(くずりゅう)ダムの見学、
締めは恐竜博物館などなど盛り沢山でした。
NG(NPと併用開始、「Nじい」に通じる。)の故郷・武生近くも通りました。
「故郷(ふるさと)」を、帰りのバスの中で歌いました。
折しも(恐竜博物館への道すがら、道の駅で休憩中に)、
お母さんを病気で亡くしたばかりの男子卒業生(一年前で29期卒)から、
電話があったのです。
「わかっていたことだけど、悲しくてどうしようもないんです・・・」と。
・・・・・・・・・・・・
「いつでも母校に帰っておいで。話をしよう、キミのふるさとなんだから」 。
「風に立つライオン」と「主人公」 、
さだまさしさんの歌のあと、生徒と一緒に歌いながら、自分が随分涙脆くなったことをあらためて感じました。
ついでに、さださんは、古い大阪フェスティバルホールでのコンサートに於いて「故郷」を歌い、
CD(「さだまさし白書」)にも収録しています。
[高野辰之作詞・岡野貞一?作曲、1914年=大正3年発表]
第一次世界大戦勃発の年なんですね、漱石『こころ』連載の年・・・。
それから・・・そう101年目ですね、今年は。
彼ら彼女たちの道は、まだまだ続いています。
どうか、志高き、心清らかな地平へと繋がってゆきますように。
決意:公式ブログ「LETMOTIV ライトモティーフ」復活!!
決意即実践。
これは、常々生徒たちに言っていることです。
初日、ひるがの高原・牧歌の里です。
少年たちの行方遥(ゆくえはる)か、白山連峰が見えます。
足もとには、初夏の花がポツポツと咲いています。
全国的に梅雨入りしましたが、高原では雨に逢わずに過ごしました。
これは、世界遺産・飛騨高山の合掌造り見学の散策。
高原ホテル施設での手打ちうどん・藍染体験、
夜には郷土史講義や和太鼓実演、
ロックフィル式の御母衣(みぼろ)ダムの堰堤(えんてい)や、
お隣の福井県に回って同式の九頭竜(くずりゅう)ダムの見学、
締めは恐竜博物館などなど盛り沢山でした。
NG(NPと併用開始、「Nじい」に通じる。)の故郷・武生近くも通りました。
「故郷(ふるさと)」を、帰りのバスの中で歌いました。
折しも(恐竜博物館への道すがら、道の駅で休憩中に)、
お母さんを病気で亡くしたばかりの男子卒業生(一年前で29期卒)から、
電話があったのです。
「わかっていたことだけど、悲しくてどうしようもないんです・・・」と。
・・・・・・・・・・・・
「いつでも母校に帰っておいで。話をしよう、キミのふるさとなんだから」 。
「風に立つライオン」と「主人公」 、
さだまさしさんの歌のあと、生徒と一緒に歌いながら、自分が随分涙脆くなったことをあらためて感じました。
ついでに、さださんは、古い大阪フェスティバルホールでのコンサートに於いて「故郷」を歌い、
CD(「さだまさし白書」)にも収録しています。
兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)
如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)づる 故郷
志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷
[高野辰之作詞・岡野貞一?作曲、1914年=大正3年発表]
第一次世界大戦勃発の年なんですね、漱石『こころ』連載の年・・・。
それから・・・そう101年目ですね、今年は。
彼ら彼女たちの道は、まだまだ続いています。
どうか、志高き、心清らかな地平へと繋がってゆきますように。
決意:公式ブログ「LETMOTIV ライトモティーフ」復活!!
決意即実践。
これは、常々生徒たちに言っていることです。
再開願望(6月7日:夜)
再開準備(6月7日:午前)
6月6日は「芒種」(ぼうしゅ:イネなど芒=のぎ のある穀物の植え付けの頃)。
翌7日が「芒種」の「初候」 で「蟷螂生」(とうろうしょうず=カマキリが現れ始める頃)。
再確認ですが・・・、
前者は「二十四節気」の一つ、
後者は「七十二候」の一つ。
もう少し「初夏」が続きます。
6月11日が「新暦」の「入梅」(にゅうばい)、これは「雑節」 (ざっせつ)と言って日本で補助的に作られた季節語の一つ。
「旧暦」の「入梅」は、6月15日(陰暦の4月29日=末日=晦日・晦・月籠:つごもり)に当たります。
11日~15日にかけて、全国的に「梅雨入り」しそうに思えます。
(近畿は、すでに3日に梅雨入りしたようです。)
初夏の夕食。
おにぎり
(玄米&ふりかけ入り)
煮浸し
(水菜・薄揚げ・ブナしめじ)
冷奴
(絹越:大葉・生姜・刻み葱)
高野豆腐
(出汁醤油)
さて、今日は29回目の結婚記念日です。
季節のお花を飾って、ささやかに「感謝」します。
翌7日が「芒種」の「初候」 で「蟷螂生」(とうろうしょうず=カマキリが現れ始める頃)。
再確認ですが・・・、
前者は「二十四節気」の一つ、
後者は「七十二候」の一つ。
もう少し「初夏」が続きます。
6月11日が「新暦」の「入梅」(にゅうばい)、これは「雑節」 (ざっせつ)と言って日本で補助的に作られた季節語の一つ。
「旧暦」の「入梅」は、6月15日(陰暦の4月29日=末日=晦日・晦・月籠:つごもり)に当たります。
11日~15日にかけて、全国的に「梅雨入り」しそうに思えます。
(近畿は、すでに3日に梅雨入りしたようです。)
初夏の夕食。
おにぎり
(玄米&ふりかけ入り)
煮浸し
(水菜・薄揚げ・ブナしめじ)
冷奴
(絹越:大葉・生姜・刻み葱)
高野豆腐
(出汁醤油)
さて、今日は29回目の結婚記念日です。
季節のお花を飾って、ささやかに「感謝」します。