NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2016年02月

ゲーデルの不完全性定理について、
WIKIの言葉を変えて、分かりやすくしてゆきます。
数学というよりも論理学ですね。

①第1不完全性定理
「ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する」

②第2不完全性定理
「ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない」

数学的には「ある矛盾のない理論体系」とは「公理系」ということです。
数学には、前回お伝えしたように、「大前提」としなければ次に進めないようなことが必ず決まっています。
例えば自然数で、1の次は2とする・・・などでしたね。

つまり上記の定理①②をさらに換言すれば・・・、
①大前提とする「正しいこと」の中に、「正しいとも正しくないとも言えないことが必ずある」。
②大前提で「正しい」としても、その中では「自らが正しいことを証明できない」。
・・・ということですね。


これは有名な哲学者エピメニデスの「クレタ島人のパラドクス」
(当ブログ記事「逆説」カテゴリー参照)と似ています。

「すべてのクレタ島人は嘘つきである」と、
あるクレタ島人が言ったというお話です。 

もしこの言葉が「真実」であればクレタ島人は「嘘つきである」ことになるが、
そのクレタ島人は「嘘つきなのに真実を言った」ことになってしまい、
矛盾している。
一方でこの言葉が「嘘」だとすればクレタ島人は「正直者である」ことになるが、
そのクレタ島人は「正直者なのに嘘を言った」ことになってしまい、
矛盾している。

クレタ島人の言葉が真実でも嘘でも、
どちらも矛盾していることになる。

これは「自分自身について真偽を確かめようとするときに発生してしまうパラドクス」であることから、
一般的に「自己言及のパラドックス」と言われています。


「私は正直者です」と言った場合を考えてみます。
この言葉が「真実」だった場合は正直者が「自分は正直者だ」と真実を言ったことになるので、
問題なく成立するわけですが、
この言葉が「嘘」だった場合でも嘘つきが「自分は正直者だ」と嘘を言ったことになるので、
これも問題なく成立してしまうのです。

「私は正直者です」という命題は、
真偽どちらでも成り立ってしまい、
真とも偽とも言えないということです。


ゲーデルの不完全性定理の意義は、
「自己言及パラドクス」が数学においても発生することを証明したということです。


1930年に数学界の巨匠ダフィット・ヒルベルトは、
「数学理論には矛盾は一切無く、どんな問題でも真偽の判定が可能であること」
を完全証明しようとして全数学者に提唱しました。
「ヒルベルトプログラム」と呼ばれる、
数学全体の完全性と無矛盾性論理的な完成を目指す一大プロジェクトとして、
当時世界中から注目を集めたそうです。

そこへ、若き数学者クルト・ゲーデルが現れ、
「数学理論は不完全であり決して完全には成り得ない」ことを、
数学的に証明してしまったのです。


証明自体の内容については難しいのでワ~プ・・・、
結論として、
あるネット記事(「哲学的な何か、あと数学とか」:このサイトでは『14歳からの哲学入門』を紹介していますね。)からさらに援用編集して換言表現します。

①一見すると完全無欠に見える数学理論の中にも、
「真とも偽とも決められない命題」「証明も反証もできない命題」が含まれている。

②数学理論において証明不能な命題を含むということは、
「正しいとも間違っているとも言えない不明な領域」が数学理論の中にあるということなのだから、
数学理論が「自らの理論体系は完璧に正しい」と証明することは不可能である。


この不完全性定理は、
数学だけではなく哲学・科学・論理学・法律学・経済学など理論体系一般全てに適用できるため、
「論理的に突き詰めていけば、どんな問題についても真偽の判定ができ、それを積み重ねていけば、いつかは真理に辿り着けると信じていた人に大きな衝撃を与えた(上記ネット記事)。」のです。


ゲーデル・ショック」です。

 
これは、
「ヘーゲル弁証法」による正反合の無限連鎖で、 
自らの発展進化を信じて疑わなかった「近代」自体の、
破綻・敗北を予告していたとも言えるのではないでしょうか。


・・・とすれば、
ここからポスト・モダンが忍びやかに始まったと言えるのかも知れませんね。

1930(昭和5)年・・・、
日本は戦争への足がかりを築き始め(与党民政党の衆議院選挙圧勝)、
世界は日・英・米・仏・伊5か国がロンドン海軍軍縮条約に調印。


正しさの中では自らの正しさを証明できない。

日々思い当たります。
例えば生徒に対する自らの言葉・態度ですね。

猛省です。


正しさの中では正しさを証明できないことを、
謙虚に自問できるような、
潔い一日でありますように・・・。

(wwだから、どんな一日やねんww)
 










インターメッソウ(英語*)・・・間奏曲・幕間芸のことです。
インテルメッツォ(ドイツ語)・インテルメッジ(イタリア語)という発音の方が馴染みやすいかも知れません。

「レコ芸」(レコード芸術:音楽之友社)3月号付録CDの“INTERMEZZO3”を、
今朝(4時~)はずっと聴いています。
50曲入っていますが、
序曲・前奏曲・第一楽章の冒頭だったり、
途中楽章の冒頭・一部だったり、
まあランダム編集のように見えます。

ピアノ曲を探せば・・・、
J.S.バッハのパルティータ第1番・第2番やイギリス組曲第3番それぞれの前奏曲[p:ブッフビンダー]、
シューマンの協奏曲・第1楽章やピアノ小協奏曲や序奏とアレグロ[p:リシエツキ]、
ショパンの協奏曲第1番・第2楽章(ロマンス)[p:宮本ミサ]・・・、
などなどがあります。

こういう並べ方も面白いなと思います。
インターメッソウというタイトルの狙い通りなのでしょうね。

どれもこれも全体を聴きたくなる。

美味しいところだけではまったく物足りない。
もっともっと全体を味わいたくなる。


たった今、
モーツアルトの歌劇「フィガロの結婚~序曲」[バレンボイム指揮シカゴSO]を聴いていますが、
以前 帝国ホテル大阪で観たオペラ(当ブログ記事参照)を鮮やかに想い出させる入りです。

さらに今、
スメタナの交響詩「わが祖国・第2曲モルダウ」[同上]が大河のうねりのように流れました。
大好きな曲の一つで、さだまさしさんが映画『次郎物語』音楽担当で編曲した歌詞を覚えています。

シューベルトの幻想曲D.940とアレグロ《人生の嵐》[ともにp:シュトロッセ]を聴き納めにして、
今朝は日常へと戻っていくことにします。


間奏曲を心地よく木魂(こだま)させながらも、
現実という楽曲をしっかり奏でることのできる、
素敵な一日でありますように。



*intermezzo[研究社・英和中辞典より]
音節in・ter・mez・zo 発音記号/ìnṭɚmétsoʊ|‐təmétsəʊ/
【名詞】【可算名詞】
(《複数形》 音節‐mez・zi 発音記号/‐métsiː/,intermezzos)
1(劇・歌劇などの)幕間(まくあい)演芸.
2【音楽】 間奏曲.
【語源】
イタリア語から; INTERMEDIATE と同語源

京都「鼓月」(こげつ)の和菓子・・・、
「桃おさの音」

「桜もち」 です。

前者は小豆餡にピーチ濃縮果汁が入っていて、
後者は関東風で求肥*に桜葉が巻いてあります。

今日は久しぶりに駅前献血をしたので、
自分への御褒美です。
どちらも風雅風味。


今、
桃花盛りなり。
一月後、
桜花さもあらむ。


老舗菓子にて花亘り春来たる **
(NP)


*求肥(きゅうひ)・・・白玉粉・餅米粉を練って蒸し水飴・砂糖を入れたもので餅に似ている。

**老舗(しにせ)・・・[為似せ、つまり父祖の方針を守って踏み外さぬようにする意]先祖代々の事業を守って(繁盛して)いる店。(「新明解・第七版」)

亘(わた)る・・・渡る・渉る・亙る・航る・弥る・度るなどがあり、「移る」もワタると読み この意味を共有している。
DCIM1940




 

DCIM1913 (3)
DCIM1914
































ICUの「マクリーン通り」(正門前の約600m、100本以上に及ぶ桜並木)は、
通称「KASSOURO」と呼ばれているそうです。 
東京都三鷹市にあります。

学生時代に その滑走路を闊歩し、
通学自転車で駆け抜けたSH先生に、
今回いただいた絵葉書です。 

あわせて「礼拝堂」(れいはいどう)付近のライトアップで、
チャペルアワーがあったのはNPのKG学生時代も同様。
クリスマス・シーズンのものです。

留学生たちの通訳として、
普段に出入りしていたとのことで、
「お互いキズを嘗(な)め合っていました」と・・・。


超難関私立のひとつ国際基督(キリスト)教大学・・・、
今は皇族の内親王*のかたが学ばれる大学としても、
衆目を集めています。

間もなく訪れる、
桜の季節が楽しみです。
一昨年夏、三鷹・禅林寺などに行きました(当ブログ記事参照)が、
春にも、クリスマスにも行ってみたくなりました。

三鷹には「ジブリの森美術館」があります。
日時指定の予約チケット制なので、
入場門前で「チケット売って下さい」の手書き紙看板を持って、
座り込んでいる若者たちが相当数いたのを覚えています。
NPは三鷹市在住の江戸文学研究者・KK先生(当ブログ既出で有り難い教え子の一人)に、
チケットご希望の節は言って下さいね・・・と声を掛けていただいています。


三鷹を見たか?

「三鷹、五代」(『めぞん一刻』**)・・・を想い出します。
久しぶりに漫画を読みたくなりました、全巻今でも持っています。
学生時代にリアルタイムで読んでいましたが、
その後単行本で揃え折に触れて何度か読み返しています。






クリスマス

チャペル

学生時代はいいね。



*内親王(ないしんのう・うちのみこ)・・・
天皇直系の二親等以内女子
**めぞん一刻・・・
高橋留美子の代表作の一つで、時計坂という街(西武池袋線の東久留米市・北口辺りがモデル)のアパート一刻館に住む怪しい住人たちと、管理人の若く可愛い未亡人を描いたラヴ・コメディ漫画。「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に創刊号(1980年)から連載後に単行本化され、アニメ化・映画化されました。管理人のモデルは夏目雅子で、「音無響子(おとなしきょうこ)」というネーミングは「サウンド・オブ・サイレンス」(サイモンとガーファンクル)にちなんでいると言われ、映画では若き日の石原真理子が演じました。




















 

alternative・・・
二者択一。代替物。代案。 今までのものと取ってかわる新しいもの。
音楽・教育用語として用いられていますが、
昨日、某大学入試国語問題・評論で見かけました。
正解を指定の時限までに仕上げねばならなかったのですが、
その問題文章・冒頭で出てきて興味深かったのです。

←→既存(existing)ですね。

正・反・合(ヘーゲル弁証法)
守・破・離(世阿弥能楽)
の、「反・破」にあたるイメージですね。

温故知新(『論語』為政)で言えば、「知新」。

・・・・・・

ゲーデルの不完全性定理で言えば、
←→公理(系)でしょうか。

先日始まった数学・哲学シリーズですが、
今回は、使用する言葉をまず整理しておきます。

「援用」が長くなります、
ご容赦下さいね。

(続きます。)

こうり【公理】
①一般に広く通用する真理・道理。 「人生の-」
②〔axiom〕㋐真なることを証明する必要がないほど自明の事柄であり,それを出発点として他の命題を証明する基本命題。㋑数学の理論体系で定理を証明する前提として仮定するいくつかの事柄。
(大辞林・第三版より)

数学や論理学における各理論はいくつかの命題を前提とし、それらだけを用いて理論が展開される。その前提とする各命題がその理論の公理であり、前提とするいくつかの命題を併せたものが公理系である。採用する公理系を変えれば理論が証明する定理にも変化が起こる。ふつうの幾何学の公理系によるユークリッド幾何学に対し、平行線の公理の採用をやめて二種類の一方を採用した非ユークリッド幾何学の存在はその例である。
(日本大百科事典・第2版より)

自然数論の公理系として有名なペアノの公理がある。次の(1)~(5)がそれである。
(1)1は自然数である。
(2)nが自然数ならばn+1も自然数である。
(3)nが自然数ならばn+1≠1である。
(4)n+1=m+1ならばn=mである。
(5)自然数xについての述語P(x)について、P(1)および「任意の自然数kについてP(k)ならばP(k+1)」が成立すれば、すべての自然数nについてP(n)である。
かつては、公理とは「自明な命題」のことと考えられていた。つまり、いくつかの「自明な命題」から自明でない正しい命題を導き出すものが理論である、と考えられていたのである。紀元前300年ごろ集大成されたといわれているユークリッドの『幾何学原本』(ストイケイア)では、すでに、幾何学がこのように公理的に構成されている。そこでは、「任意の点から任意の点まで直線が引ける」などの公理からなっているが、そのなかには「平行線公理」といわれるものも含んでいる。この公理は他に比べて複雑で、あまり自明とも思われなかったため、他の諸公理から導けるものと考えられていたが、19世紀に至って、平行線公理のかわりに、その否定命題を公理としても新しい幾何学ができることが確かめられた。これが非ユークリッド幾何学である。
(日本大百科全書より) 



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