NPブログ - Leitmotiv ~言葉・論理・主題連鎖への旅~

2016年05月

大学・大学院時代のゼミ研究室同期だった中井康行氏(大阪城南女子短大教授・夏目漱石研究家)から、
標題の研究紀要・抜刷(ぬきずり)を送っていただきました。

「暇つぶしにでもお読みください。」という一筆箋(いっぴつせん:津和野の葛飾北斎美術館の北斎漫画)が添えられていました・・・。

懐かしく有り難く嬉しく・・・、
年来ご無沙汰の距離感を覚えて、
少し哀しかったことです。


「漱石の胃病はよく知られることであるが、『吾輩は猫である』から『明暗』に至る作品には、自身の胃病に逆らうようにして、度々食物の話や食事の場面が現れる。これは、漱石が創作上素材の多くを日常生活から得ていたことと符合する。ただ、宿痾(NP注:しゅくあ⇒業病、生涯の病)となった胃病を抱え執筆活動を続けた作家をして、なお作中に繰り返し食物の話や食事の場面を取り込ませたことには、格別の意味も含まれていると推察される。・・・」
と、第1章は始まります。

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冊子終盤には、
漱石のロンドン下宿でのメニューであった、
プディング(パンプディング)が再現撮影・掲載されています。
岡本貴司講師による短大現代生活学科・実習での「振る舞い」とのこと。

漱石の、
食に対する好奇と貪欲さは、
作品中に常々感じていましたが、
さらに高度な「愕習(がくしゅう:驚愕の内に学習すること)」をさせていただきます。

よく読み込んで、
御礼の返事を、
相応しい一筆箋(鎌倉文学館の中原中也を予定)と共に差し上げたいと考えています。


・・・暇じゃなくても読むのになあ・・・。

・・・・・・・・・・・・

以下、最近のデザートから「優秀作品集」(旨い!(^◇^))です。

小豆羊羹(あずきようかん)アイスキャンディ
黄粉(きなこ)揚げパン&アーモンドクロワッサン
アーモンドチーズケーキ&冷緑茶
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「食は命」・・・。
中間考査の範囲となった井上ひさしさんの「握手」という作品中で・・・、
末期の悪い腫瘍(しゅよう)に冒されたルロイ修道士は、
「おいしいですね」と言いながら、
上野の西洋料理店での再会に、
プレーンオムレツをほぼ一口も食べることが出来ません。
元・施設の教え子で主人公の「私」は、
先生最後となる別れの挨拶に込められた意味を、
葉桜も終わる頃の一周忌に、
漸(ようや)く「分かる」のです。

「分かる」とは「別れ」なのです。
 

「漱石の食」・・・、
何と物悲しいモティーフなのでしょうか・・・。 

このシリーズでは、
『えんぴつで奥の細道』(ポプラ社:伊藤洋 監修/大迫閑歩 書⇒「奥の細道」サイト記事)と、
『別冊 山と渓谷・奥の細道』(山と渓谷社:芭蕉紀行三百年記念企画)とを参照しています。
ただ、
それは史実や原文確認の意味合いなので、
考察は基本的にNP(えぬぴ)オリジナルです。


芭蕉と曾良は念願の「白河の関」(現・福島県白河市)へ4月20日(新暦で今年の場合は五月二十六日)に入りました。
ちょうど今頃からもう少し先(六月初旬頃)の気候だったのでしょうね。
江戸深川を出て23日目のことです。

東京都江東区深川(旅の起点)から白河市まで約183km(以下google map検索参照)、
国道4号線を休みなく北上して歩き続ければ、
38時間で着くようです。
 
23日で平均しても、
一日約8km。
そのうち全く移動していない(散策はしている)日が四分の三はあると換算して、
一日約32Km平均でしょうか。

徒歩で一日32km・・・、
そうですね、認識としては
平均時速4kmで8時間歩いて可能ですね。

ふうむ・・・。

既に①~⑧で噴出している「大いなる謎」の一部に関わります。


早馬を頻繁に使っていたと考えると、
このような紙上計算は全く無意味なのですが・・・。

それにしても健脚ですね。
再確認しておきますが・・・、
芭蕉は46歳
当時は「翁」(おきな:おじいさん)の老齢でした。


(須賀川:元禄2年4月22日~29日⇒新暦で五月二十八日~六月四日)
    
 とかくして越行まゝに、あぶくま川を渡る。左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山つらなる。かげ沼と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず。すか川の駅に等窮といふものを尋て、四、五日とヾめらる。先「白河の関いかにこえつるや」と問。「長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず。
風流の初やおくの田植うた(ふうりゅうの はじめやおくの たうえうた)
【ずっと思い描いていた本物の風流をようやく初めて感じることができたよ、奥地の田植え歌でね】 
無下にこえんもさすがに」と語れば、脇・第三とつヾけて三巻となしぬ。

 此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山もかくやと閒に覚られて、ものに書付侍る。其詞、栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや 。

世の人の見付ぬ花や軒の栗(よのひとの みつけぬはなや のきのくり)
【世間の人たちには見つけられない花だよ、この軒先の栗の花のよう(な人)だね】 

4月22日、矢吹から福島県須賀川市へ。相良等躬宅へ。ここで早速、「風流の初めや奥の田植歌」に始まる芭蕉・曾良・等躬の三吟あり。
4月23日、「世をいとう僧」こと可伸を訪ねる。
4月24日、等躬宅の田植えがあった。午後からは可伸の庵で、「世の人の見付けぬ花や軒の栗」に始まる七吟あり。雷雨。[この時訪ねていた等躬(とうきゅう)という人物へのメッセージが「世の人~」の句の暗喩]
4月25日、等躬は物忌み。
4月26日、小雨。杉風宛に書簡執筆
4月27日、くもり。三つ物。芹沢の滝見物。
4月28日、朝は曇。今日、須賀川を発つ予定であったが、矢内彦三郎が来て延期となる。午後、彦三郎宅を訪問。
4月29日、須賀川を後にする。快晴。石河の滝を見物。途中、本実坊・善法寺などに立ち寄って、夕方郡山に到着して一泊。
 

例の江戸出立の間際にやたら長居をしていたお宅で連絡を待っている、
弟子(同僚部下?)の杉山杉風(すぎやまさんぷう)に、
何やら「隠密書簡」を認(したた)めているように思えてなりません。

上記二句に、
暗号のような謎めいた秘密連絡があるとすれば・・・、
「白河近辺の田植えは順調に進んでいる、重い年貢米を初めて課するような豊作が期待できる。」
「現地情報を入手できる指定人物と接触、庶民に紛れて周囲には知られていないことを確認した。」


なんてね・・・(^◇^)。
うわあああ・・・(+_+)、
超妄想ですね。
「下衆(ゲス)のかんぐり極み・えぬぴ」♪♪♪

・・・まあ、
ひたすら面白く演出したいがゆえの、
「超・二次創作」ということで御勘弁を・・・。

でも、
発句自体の【現代語訳】については、
その通りだと考えています。
 

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過日当ブログで紹介したエドワード・ゴーリーの絵本を、
ゴーリー・ファンの才媛*のかたから、
いただきました。

『うろんな客』(河出書房新社:初版2000年11月の21刷・2015年6月版)です。


あの柴田元幸**さんの翻訳!

さらに絵本の「画(え)」に添えられている二行分ずつの短い散文詩(韻文的)を、
柴田さんは歌人の水原紫苑***さんの「強力なご支援」(絵本あとがき)を得て、
全ページ短歌で訳しています!!

しかも、
その短歌(57577)の末尾7音は、
すべて四字熟語なのです!!!


作中の「うろんな」****珍客の暗喩的解釈(謎解き)も、
上記あとがきで審(つまび)らか(≒詳細)に語られています!!!!


絶妙絶佳(ぜつみょうぜっか≒すばらしい!!)(^^♪♪♪♪。


書棚にあった『翻訳夜話』(ほんやくやわ)を合わせて読み始めました。
こちらは村上春樹さんとの共著(文春新書:2000年10月第1刷の2010年7月第8刷版)です。


・・・レイモンド・カーヴァー(当ブログ既出の「謎を秘めた現代アメリカ作家」)を読みたくなります。
書棚にあった『ぼくが電話をかけている場所』(村上春樹訳:中央公論社1983年7月初版)を読み始めました。



こうして休日の早朝は、
延々たる「ライトモティーフ」で連鎖してゆき、
ブログ記事の定点はぼやけてしまいましたが・・・、


エドワード・ゴーリーの描画と詩文に驚嘆そして・・・、
今、手元に届けられたことに深く感謝しています。




*才媛(さいえん)・・・
高い才能・教養のある女性。

**柴田 元幸(しばた もとゆき、1954年7月11日~)・・・
日本のアメリカ文学研究者、翻訳家。東京大学名誉教授。東京都大田区出身。ポール・オースター、チャールズ・ブコウスキー、スティーヴ・エリクソン、スティーヴン・ミルハウザー、リチャード・パワーズなど現代アメリカ文学、特にポストモダン文学の翻訳を数多く行っている。彼の翻訳した本は注目を集めるため、レベッカ・ブラウンなどは本国アメリカよりも日本での方が人気が高い。
(Wikipediaより)

***水原 紫苑(みずはら しおん、1959年2月10日~ )・・・
日本の歌人。神奈川県横浜市生まれ。父は陸軍士官学校卒の軍人で戦時中は皇居にいた。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒業、同大学院修士課程修了。1986年「中部短歌会」に入会し、以後春日井建に師事。1987年に『しろがね』で第30回短歌研究新人賞候補。1989年に第1歌集『びあんか』を刊行し翌年現代歌人協会賞受賞。第3歌集『客人(まらうど)』で第1回駿河梅花文学賞受賞。第4歌集『くわんおん(観音)』で第10回河野愛子賞受賞。第7歌集『あかるたへ』で第5回山本健吉文学賞・第10回若山牧水賞を受賞。世代的には穂村弘、加藤治郎ら「ニューウェーブ」と重なるが、水原の作風は端正な古典文法を駆使した伝統的和歌の衣鉢(いはつ:師から弟子に授けられるもの)を受け継ぐものであり、紀野恵らとともに「新古典派」と称された。テレビにも出演し、1999-2000年には『太陽』で、文化人女性へのインタビュー「美女論」を連載した。歌舞伎好きとしても知られる。また小説を『すばる』にいくつか発表したことがある。
(同上より、編集)


***うろん(胡乱)
[名・形動]《唐音》
1 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。「胡乱な者がうろついている」
2 確かでないこと。真実かどうか疑わしいこと。また、そのさま。
3 乱雑であること。また、そのさま。補説:「胡」は、でたらめの意。また胡(えびす)。
[デジタル大辞泉より]
 

「アウフヴィーダーゼーエン、フロイライン(またお会いしましょう、お嬢さん)」・・・、
村上春樹さんが前出の文藝春秋六月号で、
ベルリンフィルハーモニックホールでの小澤征爾さん演奏会エピソードとして記しています。

 休憩時間にのあいだに、とても可愛い案内係の女の子(金髪のドイツ娘)が僕のところにやってきて、「ムラカミさんですか?」と英語で尋ねる。そうだ、と言う。お会いできてとても嬉しい。あなたの本を読んで、わたしの人生は変わりました、と彼女は言う。どんな風に変わったのか、とても怖くて訊けなかった。訊いておくべきだったのかもしれないが。それはとてもありがとう、と丁寧にお礼を言い、プログラムにサインをし、握手をして別れる。アウフヴィーダーゼーエン、フロイライン。 

当ブログの有力コメント氏の一人であるHTさん(ドイツ長期留学経験者)に訊いてみました。
標題の「アウフヴィーダーゼーエン」の意味ですね。
コメントでの回答は「再会を期待して~」でした。

・・・・・・・・・・・・

以下はHTeine Information(アイン・インフォルマシオン?=piece of information)の一つひとつです。

英語がドイツ語同様一般に用いられる、
むしろドイツ語を使わなくても済むことが問題化して久しい、
街なかに普通に突然「遊園地」が出来上がって期間限定で営業される、
それは街に大きな広場があり公園があるから出来る、
列車の駅に改札が無い、
車掌が対応するから仕切れない時はキセルも出る、
おいしいビールが水よりも安い、
ビールを冷やさずに水のように飲める、
・・・それがドイツ。

その遊園地の規模をHTさんに訊いてみたところ、
「ひらパーの半分ほどはある」そうです。
「ジェットコースターもある」とのこと。

えっ、それってかなり大きいんじゃない!?

・・・・・・・・・・・・

ドイツで一番有名な日本人は?
「ムラカミハルキ!」と、
彼は即答しました。
二週間ほど前、
母校に帰ってきて、
NP担任クラスに遊びに寄ってくれた時の「一問一答コーナー」でのことでした。


「あなたの本を読んで、わたしの人生は変わりました」

「どんな風に変わったのか、とても怖くて訊けなかった」


村上春樹さんらしい素敵なやりとりの描写です。 


HTさんは来年の三月にはカナダに留学しているそうなので、
中三生が語学研修に行く予定のバンクーバー、カルガリーで再会できたらいいと考えています。

アウフヴィーダーゼーエン・・・???(フロイラインの対義語は・・・)
 
 
【はてなコーナー】
HTさんへ・・・公開質問です。
村上春樹さんの用いた「フロイライン」は、
実は性差別用語なので現在のドイツでは使わないことになっている・・・、
とのネット記事を読んだのですが現地ではいかがでしたか?
なぜムラカミさんは使ったのでしょうか?


 

(殺生石にて:元禄2年4月19日=新暦で今年の五月二十五日)
 是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、「短冊得させよ」と乞。やさしき事を望侍るものかなと 、
 
野を横に馬牽むけよほとゝぎす(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす)
【野が横にくるように馬を引いて方向を変えなさい、ほととぎすが夏を告げるように真っすぐに】 
 
  殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す。



芭蕉は心優しい馬牽き(道案内)の男に「(発句)短冊を下さい」と懇願されて上記の一句をプレゼントしています。
貰った者が途惑うような意味不明の、
もしくは解釈自由の謎の句です。



那須湯本に現在もある殺生石(せっしょうせき)を見ながら、
温泉湯気の有毒ガス漂う場面を描写しています。


次の歴訪地「遊行柳(ゆうこうやなぎ)」は、
芭蕉の憧れであった西行法師ゆかりの「歌枕」(うたまくら:古来の歌人が歌を詠んだ場所) です。

(遊行柳:元禄2年4月20日=同上、五月二十六日)
 又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る。此所の郡守戸部某の、「此柳みせばや」など、折をりにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ 。



田一枚植て立去る柳かな (たいちまい うえてたちさる やなぎかな)
【田の一区画を早乙女が植えてから、わたしは同じ素早さで早々に立ち去ることにしよう、柳の陰に佇んでいただけだからねえ】


いしとほととぎす・・・春を終えた今、見直すべき初心の堅固(けんご)。
たうえとやなぎ・・・夏を迎え、旅も佳境に入ってゆく心の柔軟。

見立て、です。
 

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