NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2016年06月

ちょっといいことと、
ついでとがあったので、
午後遅めに梅田へ。
阪急百貨店で夕食弁当とデザートをショッピング。

「つの田」の「黒毛和牛牛めし・ステーキ重」
「ミャムミャム」の「シェフのおまかせタルト」 

この他に、
「トマトとモッツァレラのジェノバ風サラダ」(バジルソース)と、
「たっぷり海の幸の美味サラダ」(マヨネーズあえ)とを付けました。 


その前に上がった9階の吹き抜け階段・祝祭広場の中央ステージでは、
ハワイアン・ソングと共にフラダンス・ショー♪♪♪


ようやく夏本番ですねえ・・・、
ウメダ一帯では明日からサマー・バーゲンとか。

七月が来ます。


地下街の人波夏のフラダンス
(NP)

DCIM0554
DCIM0556
 

蛸壺やはかなき夢を夏の月(芭蕉)

この句の季語は「夏の月」です。

蛸は季語では無いという考え方と、
夏の季語として採用している歳時記とがあります。


酢の物の蛸柔らかく哲学す
(NP)
DCIM0543




















昨夜のNP家 食材にまつわる駄句ですが・・・、

この「哲学す」が、
「音楽す」でも「観察す」でも、
「描画する」でも「書道する」でも、
「調理する」でも「夢見する」でもよいのか、
あるいはどれが最もよいのか、
すべてよろしくないのか、
そんなことを考えていました。

「形而上」(けいじじょう:具体的な形を越えた)の世界は、
常に、
「形而下」(けいじか:具体的な形で表せる)在ってこそ成り立っています。

芭蕉の夢も蛸壺の中にあり、
同時に夏の月として見えていたのでしょう。

「はかなき」ものとして。

芭蕉は哲学する忍者のようだったのでは・・・・。
蛸壺に隠れるように夏の月に見せかけるように、
変幻自在だったのではないでしょうか。

・・・・・・・・・・・・

あのサルトル*がタコやカニが大嫌いだったという話**が伝わっています。
そのことは、
「実存は本質に先立つ」
「人間は自由という刑に処せられている」
「地獄とは他人である」

といった至言で知られる実存主義の大哲学者を、
少しだけ身近に感じさせてくれます。

こちらも「はかなし」***なのです。


*ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル・・・
(フランス語: Jean-Paul Charles Aymard Sartre、1905年6月21日-1980年4月15日)
フランスの哲学者、小説家、劇作家。内縁の妻は作家で哲学者のシモーヌ・ド・ボーヴォワール。強度の斜視があり、1973年には右目を失明した。なお、1964年にはノーベル文学賞に選ばれたが、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と言って辞退。このときは候補に挙がっていたことを知ってあらかじめ辞退の書簡をノーベル賞委員会に送付していたが、書簡の到着が遅れたためノーベル賞受賞決定後に辞退することとなった。なお、サルトルは公的な賞をすべて辞退しており、この数年前にはレジオンドヌール勲章も辞退している。1966年9月には、ボーヴォワールとともに来日した(NP注:この年の6月にビートルズが来日公演をしている)。
[Wikipediaより編集]

**
1935年、想像力についての実験のため、友人の医師・ラガッシュによってメスカリン注射を受ける。サルトルはこの際に全身をカニやタコが這いまわる幻覚に襲われ、以降も幻覚を伴う鬱症状に半年以上悩まされることになる。甲殻類に対する恐怖は生涯続いた。 
[同上]
 
***はかなし(果無し・形容詞ク活用)・・・
①頼りない。むなしい。あっけない。
②ちょっとしたことだ。何ということもない。
③幼い。たわいない。
④粗末だ。取るに足りない。
(注意①は事物から受ける感じに、②以下は事物そのものの状態に重点を置いた意味である。)
[学研全訳古語辞典より、用例省略] 

ウラディーミル・アシュケナージ*
マルタ・アルゲリッチ
マウリツィオ・ポリーニ

『音楽の友・7月号』の特集記事を読みながら・・・。

・・・これまでのキャリア・人気・実力、すべてを総合して、いま現在の「3大ピアニスト」としても異論は少ないのではないか(取材・文:上田弘子さん)・・・とのこと。

今年4~5月にかけて三人とも相次いで来日して、
ファンを喜ばせたばかり(記事より)です。

ショパン・ショパコン(ショパン国際ピアノコンクール)が三人の共通項であることは言うまでもなく、
特にショパンの「練習曲集」(エチュード)では、
アシュケナージ盤とポリーニ盤が最高峰として鎬(しのぎ)を削っていることも有名ですが・・・、
アシュケナージのピアノ録音の金字塔は、
ラフマニノフの「24の前奏曲」だとのこと。


今朝は、
その前奏曲**をずっと聴きながら、
「音友」読んで「小川珈琲」飲んでいます。

コンサート会場に行って、
実際の音をよく聴いて、
こうした文面を載せる方がよいのでしょうが、
「読みながら聴く、聴きながら読む、聴きながら記す」ということに慣れてくると、
これも「音楽の在り方」のひとつかなと思えてきます。
PCの前でしか出来ない楽しみ方ですね。

「読む・聴く・記す」NPです。


ラフマニノフについては、
何度か当ブログで取り上げました。
1873年ロシア生誕アメリカ死没69歳、
ピアニストで作曲家で指揮者というキャリア・・・。

アシュケナージ(御年78歳)については、
1955年第5回ショパコン第2位(アルゲリッチとポリーニは別年の第1位)の逸話がよく知られています。
18歳時の超特急・超絶的な演奏は他を圧倒していたにも関わらず、
ポーランド出身者が第1位になり(ソ連・ポーランド間の政治的背景)、
不服とした審査員の一人は審査結果にサインをしなかったという「伝説」。


「時として作品の上っ面をなぞっただけの模範的」「とくに最近の演奏は八方美人的」(「ショピニストへの道」参照)という批判記事もありますが、
その場合も「現代人の求めるショパンらしさに一番近い」とされています。
「大変な努力家」「ピアニストの鏡」とも。


このような専門家の「批評」は さて措(お)いて、 
下記にあるような「ラフマニノフ作品への献身的姿勢」(共にロシアがキーワード) は、
やはり「アシュケナージらしさ」なのでしょうね。


(^^♪ いいなあ (^^♪。


自問自答・・・
で、キミは聴いてどうでしたか?
ん、とても心地よかったですよ。


浅!

朝!


まずはアサ型で行こう、
いずれ深くなって目がさめるよ!!

 
 

*ウラディーミル・ダヴィドヴィチ・アシュケナージ( Vladimir Davidovich Ashkenazy、1937年7月6日~ )・・・
ソヴィエト連邦出身のピアニスト、指揮者である。ヘブライ語の姓「アシュケナージ」が示す通り、父方はユダヤ系であるが、母は非ユダヤ系のロシア人である。現在は妻の故国であるアイスランドの国籍を持ち、スイスに在住している。マウリツィオ・ポリーニ、マルタ・アルゲリッチ等と並んで、20世紀後半を代表するピアニストの一人である。
身長168センチと小柄な体格だが、演奏至難なパッセージも楽々と奏出してしまう卓越したテクニックの持ち主である。その洗練された音色と端正で中庸を得た解釈は彼の音楽を万人に親しみやすいものにしている。レパートリーは極めて広汎にわたり、クラシック音楽のスタンダードなピアノ曲の大部分を網羅しているといって過言でない。録音の量も膨大に上り、そのいずれもが高い水準を誇っている。
ショパン・コンクールをきっかけに国際的な名声を確立した経緯もあってショパン作品には精力的に取り組んでおり、その評価も高い。またラフマニノフ作品に献身的ともいえる姿勢で取り組んでいることも特筆すべきであり、協奏曲全曲とピアノ独奏曲のほとんどをレパートリーとしている。
[Wikipediaより編集(ただしピアニスト項目のみ)]

**前奏曲(ぜんそうきょく)・・・
プレリュード(英語: prelude、フランス語: prélude)、フォアシュピール(ドイツ語: Vorspiel、ただし古典派音楽以前に関しては通常Präludium; プレルーディウム)ともいい、(他の楽曲の・大規模な楽曲の)前に演奏する楽曲の意味である。普通、声楽を伴わない器楽曲である。類似する形態として序曲(オーヴァーチュア)やシンフォニアがある。
[同上] 


DCIM0546
 

当ブログ既出の「カワクミ」さんから、
「離脱の件ですが、周りが若者世代ということもあり反対派が多数を占めています。」との報告をもらいました。

六年前、
本校での中3秋に、
お父さんの英国転勤に伴ってマンチェスターのハイスクールに転校して行ったOGさん。
インペリアル大学(Imperial College of London) *で物理学を専攻しています。

「何とか大学生活を送っています」とのことですが、
下註にあるように素晴らしいアカデミック環境なので、
続報がとても楽しみです。

「冬に帰国する予定なので、是非伺わせていただきますね!」

NPホームルームクラスに遊びに来てもらって、
オールイングリッシュで交流してもらうことにしています。

それまでには、
EU離脱問題も少しは落ち着いていることを願っています。
英国も日本も世界もね。

「若者は離脱反対」・・・なぜ離脱派が勝ったのでしょうか。
「移民問題」・・・彼女も広義では移民の一人になってゆくのでしょうか。


「問題」と言えば・・・、
日本の大学の「非アカデミック化」(?)は懸念されるべき問題です。
この五月に発表された「最新アジアの大学ランキング」で、
日本1位の東京大学は、
昨年までの3年連続1位から大幅にダウンしています。
1位も2位もシンガポールの大学で、
以下、中国・香港などが続いています。

格付けランキングも各社いろいろあるようですが、
共通して「学術性」が大きな査定ポイントの一つになります。
例えば研究論文の質・量などですね。

「世界の大学ランキング」では・・・、
はるか下方に沈んでいるのが日本の大学群の実状です。

インペリアル大学は、
毎年必ず「世界のベスト10」に入っているようです。


日本の中3で「英検2級」を持っていても(数学も理科も国語も苦手でしたよ彼女は)、
イギリスへ行って苦労したのは勿論のことでしょう。
カワクミさんは、
すでに大学生になっていた1年半前、
クリスマス帰国の際に職員室に来てくれて、
「ある時ぱあっと目の前が開けるように、英語で考えて話せるようになったんですよ」と、
言っていたのがとても印象に残っています。
(当ブログ記事参照)

笑顔の素敵なレディになっていることでしょう。


習うより慣れよ。

世界へ!!


目の前は期末考査の真っ只中ですが・・・、
生徒だけではなく、
見にきて下さった多くの皆さんにとって、
ワールドワイドな一日でありますように。



*正式名称はThe Imperial College of Science, Technology and Medicine )・・・
世界大学ランキングで常に上位にランクされており、オクスフォード大学、ケンブリッジ大学を含むエリート大学6校で構成される「ゴールデントライアングル」のうちの1校。科学、工学、医学の分野では以前から有名で、最近は、Imperial College Business School と人文科学も高く評価されている。
革新的な学業、最先端のリサーチはインペリアル大学の誇りであり、十数名のノーベル賞受賞者を輩出している。インペリアル・カレッジのメインキャンパスはロンドン中心部のサウスケンジントンにあり、以前はロンドン大学の構成カレッジであったが、設立100周年にあたる2007年の7月8日にロンドン大学から独立した。
《卒業生に下記有名人物》
Alexander Fleming アレクサンダー・フレミング(細胞学者、ノーベル生理学医学賞受賞者)
Thomas Huxley トマス・ハクスリー(生物学者、ダーウィンの番犬)
H.G Wells ハーバード・ジョージ・ウェルス(作家、宇宙戦争・タイムマシンなど)
Brian May ブライアン・メイ(ギタリスト、ロックバンド・クイーン)
[「UKeducation」より編集]

芭蕉と曾良は、
平泉以北へは向かわず一関に戻り、
南部道をはるかに見やりながら、
現在の宮城県大崎市岩出山辺りに来ています。



 南部道遙にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小島を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼ つて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す 。


芭蕉は「三日間風雨荒れて、とんでもない山中に泊まった」と記していますが、
実際に15・16日の二日間足止めをされて、
旧暦5月17日(新暦で今年は六月二十一日、ちょうど夏至でしたね。)までに下記の句を詠んでいます。
そこまでして山中で会わねばならなかった「あるじ」との会話の暗号メッセージとすると・・・、
これはかなりの難問ですね。 

蚤虱馬の尿する枕もと(のみしらみ うまのばりする まくらもと)
【ノミもシラミもいて馬が尿をする厩(うまや)で寝ているよ、まあいいか。】
(暗喩解読訳は次回に・・・。) 

 あるじの云、是より出羽の国に、大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。さらばと云て、人を頼侍れば、究竟の若者、反脇指をよこたえ、樫の杖を携て、我々が先に立て行。けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。あるじ の云にたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せしおのこの云やう、「此みち必不用の事有。恙なうをくりまいらせて仕合したり」と、よろこびてわかれぬ。跡に聞てさへ胸とヾろくのみ也。

(約80年後に与謝蕪村の画いた場面図:逸翁美術館所蔵)

この「屈強な若者」が「大山の定かならぬ道」を「反脇」(脇差刀)で送ってくれなかったら、
ひょっとすると山賊に襲われていたかも知れないと、
後で聞いても「胸とどろく」芭蕉なのでした。

ほんとは忍者だから勝てるんじゃないの・・・。


さらに5月17日から26日(新暦で今年の七月一日)まで尾花沢に泊まっています。

尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。


山形県尾花沢市にあった鈴木清風宅に着いています。
この人物は裕福なのに品格は高貴だったとのこと。
芭蕉の感覚では贅沢をしていると普通は心根が卑しいようですね。 

十日間で清風宅には三泊しています。
他家からのご招待もあり盛んに接待を受けています。
後に俳聖と呼ばれる大俳人ですからね、
その名も風流人の間では轟いていたようで、
よほど心地よかったのでしょう、
長居逗留(とうりゅう)をして三句・・・。

・・・果たしてそれだけなのでしょうか? 

清風は「紅花商人」で、
問屋業・貸倉庫業・貸金融業を営む大富豪でした。
もちろん俳人でもあって「都にも折々」通って、
名を知られていた・・・。

卑しいのでは無く、怪しいですね・・・。
やはり「ベニバナ」の取引商談・作柄監察など、
幕府の密命を果たしているのではと考えると妙味が増しますね。


まさに尾花沢は紅花の開花・収穫期だったのです。

芭蕉の出身地である伊賀上野もベニバナの産地(ともに盆地)で、
芭蕉が古里の風情を重ねて懐かしんだということ以上に、
なにやら裏・奥のありそうな三句です。
直訳と暗訳(暗喩的な口語訳・ずばり暗躍)はこれも次回に・・・。


涼しさを我宿にしてねまる也(すずしさを わがやどにして ねまるなり)

這出よかひやが下のひきの声(はいいでよ かいやがしたの ひきのこえ)

まゆはきを俤にして紅粉の花(まゆはきを おもかげにして べにのはな)

このページのトップヘ