NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2016年07月

七月末日です。
明日は新暦八朔(はっさく:新暦8月1日に芸妓や舞妓さんがお茶屋や芸事の師匠宅へ挨拶に回る伝統行事)。

一週後の日曜日は「立秋」です。

本校はまだ夏休みに入るまで五日間ありますが、
瞬く間に季節は過ぎてゆきます。

5日(金)1~4限:授業、5限:終業式
6日(土)広島原爆忌
7日(日)二十四節気:立秋、夏の甲子園開幕

9日(火)長崎原爆忌(旧暦7月7日・七夕)

11日(木)山の日、上弦の月 
12日(金)七十二候:寒蟬鳴(かんせんなく=蜩ひぐらしが鳴き始める頃)、日航ジャンボ機事故慰霊の日

15日(月)月遅れ盆(旧暦7月13日)、敗戦記念日
16日(火)京都五山送り火
17日(水)旧盆
18日(木)満月:旧藪入り

20日(土)1限:始業式、2~5限:授業


スプレー菊の一種である「ピンポンマム」が初めて花屋店頭に出ました。

コペンハーベスト・パンの昼食を経て・・・。
 
ようやく雷が鳴って夕立、
「盛夏」を思わせる夕刻でしたが・・・。

エビチリもどこか秋。
きのこ御飯は秋。

やはり吉田兼好『徒然草』の一節(第155段)、
「夏より既に秋は通ひ」は本当ですね。

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7月30日は特忌日でした。
三人の著名文人の忌日。
(とっきじつは造語)

露伴忌
潤一郎忌
佐千夫忌

NOT「教えてあげる君(くん)」、
BUTクイズにします。

作家のフルネームと、
代表作と、
活躍した時代と、
文学史的位置付けと。

分かる範囲で考察して、
そのあと調べて読んで、
さらに考察して見直して、
時には書いてみませんか?
確認のため問い質(ただ)しましょう、
互いにそして指導者に。


「国語力をつけたいんですが、どうしたらいいですか?」
という生徒さんは(大人のかたも)多いのですが、
これがNP回答です。

「教えて君(くん)」がネット中心社会に蔓延(まんえん⇒分かるよね、書けるよね)して、
「教えてあげる君」が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ⇒調べてね)しています。


「自主・自律の精神」で「主体的に学ぶ」とはどういうことでしょうか?


最近当ブログに登場した「ベルジョ(シ)」*さんたちは、
何も言われなくても、
いいえ言われないからこそ、
楽しそうに学んでいます。
森鷗外や夏目漱石や、
尾崎紅葉や芥川龍之介を、
「旧漢字・仮名遣いの方がいいですね」などと言いながら・・・、
読んで考えて調べています。
時には先日のように自発的に「自主レポート」を提出してくれます。

男子にも「歴史オタク」や「鉄道マニア」はいます。
「レキオタ」
「テツマニ」(てっちゃん・てつこさん)
と呼んでおきましょう。
(テツオタ:哲学オタクはなかなかいません。)

皆いい意味で「エンタテイナー」ですね、
一緒に話していると楽しい。


ピアノやクラシック音楽の本当に好きな生徒さんもいます。
「ピアジョ(シ)」**
「クラダン(シ)」
でしょうか。


当たり前の提案です。

自分がとっても好きな世界、
それ以外のことから得た知識・教養を、
どんどん自分の世界に取り入れましょう。

それが、
敷衍(ふえん⇒調べてね)であり普遍(ふへん⇒考えてね)につながります。


その「ゲーム(一事)だけ」の世界に遊んでいても、
それは「単なるアソビ」に終わってしまい、
「遊び」が「学び」にならず、
とても勿体ないのです。
おそらくそれは「本物」ではありません。

「ゲーム」が「国語」であっても「ピアノ」であっても、
まったく同じことです。


「本物」とは、
「時・場・人・物・事」を越える「情」を告げ奏で与えてくれます。

ネーミングは浅く感じられますが、
本物に近づくと、
どんどん深くなります。


一事だけの一日を越えよう!!


*ベルジョ(シ)・・・
NP新造語で、
ノベル(novel)・述べる・ベルを鳴らす系の女子・女史・女氏。

**ピアジョ(シ)・・・
同じく、
ピアノ大好き・仲間(pia)好き・桟橋(さんばしpia)からリリース(出航)する系。


 

『音楽の友・8月号』の連載エッセイ。
「ピアニストだって冒険する」第39回目のサブタイトルは「バーキン」、
冒頭文は・・・。

 このところ世を賑わせた、舛添前東京都知事の一連の報道を見ているうちに、ふと昔のことを想い出した。
 
舛添さんが、「ファーストクラスが何故いけないんですか」「香港の知事が二流のホテルに泊まりますか」などと強気の発言をし、世の反論を更に盛り上げたときのことだ。(なんで、東京とホンコンを同列で引合に出したのか分からないけど)

文章はこの後、N響初の「世界一周演奏旅行」に出掛けたときのことに移り、「日本が誇る大指揮者」岩城宏之さんが泊まるホテルの話題になってゆく。

そして舛添さんのフランス留学、ご自身のニューヨーク留学の話を踏まえて、抽象化は「価値観」。

さらにフランス・エルメスのブランド・バッグ「バーキン」 という象徴的な例が出る。「パークアヴェニューの妻たち」という本で最近読んだという、「あまりの馬鹿馬鹿しさにほとんど卒倒しそうになってしまった」超人気・超高額の「バーキン」ハンドバッグの「必要」性。

対比して「或る大国の元駐日大使夫妻のつつましい」話。

末尾の二文はこうなっています。

 ところで又舛添さんだけど、舛添さんがもし奥さん同行で、都知事としてニューヨークに行って、パーティーなどで例の「パークアヴェニューの妻たち」に出会ったなら、泡くってバーキンを買いに走ったかも。もちろん必要経費で


なんて洒落たエスプリ*とアイロニー**に満ちているのだろう、と感心しました。
特に最後の一文に盛られた「明るい毒気」。


最期ではないことを祈っています、第40回目があるのでは・・・と。


今朝は中村紘子さんのショパン「華麗なる円舞曲」「幻想即興曲」を繰り返し視聴しています。
ショパコンでの当時日本人最高位「4位」入賞(1965年)から、
おそよ半世紀に亘(わた)って・・・、

ご自身の生き方が弾き方そのもののように思えます。


あらためて合掌です。



*エスプリ(espritフランス語)・・・
精神、機知、才気。本来「肉体」に対しての「精神」の意味であるが、一般にはフランス人特有の機知のことをさすようになった。明晰(めいせき)さこそフランス的であるというように、エスプリも明晰、直截(ちょくせつ)で、間髪を入れず、ときには人の肺腑(はいふ)をえぐるような鋭さをもった表現であり、しかも理知的であることが理想である。エスプリはまた、その矢面にたった人が相手のことばを上回る機知をもってやり返すときに真価が出るのであって、笑って答えなければ愚鈍とみられてしまう。ユーモアが自己を客体化し婉曲(えんきょく)な表現となることが多いのに対して、エスプリはあくまでも主観的で、遠慮や気どりを排斥した明快さに特色がある。
[「日本大百科全書」船戸英夫・解説より]

**アイロニー(irony)
日本語では「皮肉」と訳され、遠回しの非難、当てこすりの意味で使われるが、近代西洋語では、自分の意図する意味と反対の意味をもつ表現(たとえば「君はたいしたものだ」)によって、意図する意味(この場合は相手に対する軽蔑(けいべつ)を表す修辞技法を一般にさす。類比関係に基づかないという点で比喩(ひゆ)とは区別され、また肯定、否定を逆にするのでなく、反対概念を意味する点で修辞疑問と異なっている。元来は古典ギリシア語で「意図的に装われた無知」を意味するeirneiに共通の語源をもち、プラトンの『対話篇』中のソクラテスの態度をさすことが多かった。F・v・シュレーゲルは逆に、文学作品において作者の意図が達せられないことを表すために、ロマン的イロニー(アイロニー)という概念を提出した。演劇では、観客にはストーリーの結末がわかっていても、登場人物にはそれがわからないこと(たとえば『オイディプス』におけるように)をさし、転じて一般に意図せざる結末(「運命のいたずら」ironie du sort)を意味することがある。
[同上・土屋俊・解説より]
 

誤記訂正
当ブログ読者からのご指摘があり、NPの「勘違い」記述をお詫び訂正致します。
「歴代」となっていましたが、その5年後に内田光子さんの「2位入賞」があります。
 

7月26日ご逝去との悲報を本日未明すぐのデジタル朝日配信で知りました。

先週発売の『音楽の友・8月号』には、
変わらずにカラー連載エッセイの、
「ピアニストだって冒険する」第39回目が載っています。

4月30日にはがん治療を経ての復活コンサートを開いたばかりでした。

素晴らしい名エッセイスト・著述家でもあったと確信しています。
当ブログでも2016/02/21に「ピアニストだって冒険する」の標題記事があります。
(ホロヴィッツ、ショーンバーグ関連のエッセイについてでした。)

若き日のNPが初めて買ったピアノ・ソロのCDは中村紘子さんのものでした。
(二番目は内田光子さん) 

中村紘子さんを知ったのは、
夫となった作家:庄司薫さんの小説が好きだったから・・・、
かも知れません。
同じく当ブログ2015/03/21に記事があります。
武庫川女子大での庄司さんの講演を聴きに行ったことがあります。

とてもとても残念なことに、
中村紘子さんのコンサートには、
遂に一度も行けず仕舞いでした。

下記Wikipediaには本当に悲しいことに、
すでにピアニスト人生を終えた日付が記されていました。
その下方に載っている「エピソード」、
真偽の程は分かりませんが、
とても印象的なので援用させていただきます。

また、
これも同様に定かならぬ告白記事・・・、
「音楽の友」連載エッセイにおいて詳しく知ったのですが、
ご自身の元師匠であった井口基成氏の「ハイフィンガータッチ奏法」を「正しくない」と批判して、
ジュリアード音楽院で「自然奏法」に改めるのに大変な苦労をしたことも伝わっています。


勇気ある凛とした生き方をされた稀代のピアニスト、
いまだに彼女のショパコン4位入賞を越える日本人は現れていません。
⇒(誤記訂正・8月2日付け、1970年内田光子さんの2位が最高位です。)

まったくの素人ファンの一人ですが、
ご冥福をお祈りいたします。


すでに何人もの人が視聴に来て、
追悼コメントも記されている、
「バラード 第1番」と、
「別れの曲(練習曲第10番)」とを、
繰り返し静かに聴いています。



☆☆☆中村 紘子(なかむら ひろこ、1944年7月25日 -2016年7月26日)は、日本のピアニスト。旧姓名、野村紘子。本名、福田紘子。1965年のショパン国際ピアノコンクールで、日本人として、田中希代子の1955年初入賞 以来、10年ぶり2人目の入賞者として広く知られている。 山梨県東山梨郡塩山町(現・甲州市)に生まれ、東京都世田谷区等々力で育つ。夫は小説家の庄司薫。紘子自身も後年著述業に進出した。

【エピソード】1999年ごろ、母校である慶應義塾中等部から招かれてリサイタルを行った際、演奏をはじめてもいっこうにおしゃべりを止めない生徒たちのあまりの態度の悪さに演奏を中断し、静かにしなさい、と叱責した。しかし生徒の方はそれで静かになったものの、保護者のおしゃべりはやまなかったという。また演奏終了後、楽屋に挨拶に来た校長から「よくぞ言ってくださいました」と声をかけられ、本来おしゃべりをやめさせるのは校長先生の仕事だろうに、世も末だ、と慨嘆したという。 



 

①自家製の糠漬け
②万菜家(まんさいや)の本わらび粉
③岡山産の白桃
 DCIM0781
DCIM0782

 

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