NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2016年10月

アスパラ・クリームシチュー

紀ノ川みかん小玉
です。
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例えばシンプル食を心掛けています。


simple(シンプル)*とは、
「量より質」のことだと、
しみじみ分かる冬間近。

下記「むだなところがなく」というのは、
実に難しいものです。

・・・・・・・・・・・・

村上春樹さん『海辺のカフカ』に一切「むだなところはない」ように思えてきました。
今、
ジョニーウォーカーの正体、
さくらさん・佐伯さんの正体などに迫っています。
カーネルサンダース・大島さんの正体を募集中です。


メタフォリカル(metaphorical=メタフォリック)とは、
隠喩(暗喩)的、比喩的であることですが、
意外とシンプルなものかも知れません。

「シンプルに考えれば・・・」
謎解きの妙味が続いています。


*simple・・・
símpl[形](-pler, -plest)1 簡単な, 単純な, 扱いやすい, 使いやすいa simple question|単純な質問simple English|やさしい英語
[プログレッシブ英和中辞典(第4版)]

シンプル(形容動詞)
① 単純なさま。簡単なさま。 「 -なデザイン」 
飾りけのないさま。素朴。 「 -な感じの人」 [派生] -さ ( 名 )
[大辞林 第三版]
単純なさま。また、飾り気やむだなところがなく簡素なさま。「シンプルな柄」「シンプルな生活」
[デジタル大辞泉]








 

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「霜降」(そうこう)の候、
通勤路にて、
午前八時前。
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今朝は早起きして、
高三生の大学入試自己推薦書三種の添削をしていました。
どうか恙(つつが)無く出願・受験・合格できますように。

懐かしいな、
もう三年前です、
高三生たちのクラス担任だった時。

NPは、
以前の男子中高一貫校で三回、
現在の共学中高併設校で一回、
受験生卒業生を送り出したことがあります。

先日お世話になったA医師は、
中2で初めて担当して初めて送り出した教え子ですね。
彼からは昨夜も、臍(へそ)のテープはもう剥がして下さいという、
懇切なメールをいただきました。


もう一度受験生を担当して、
高三生を送り出したいなと思っています。


でもその前に、 
今の中三生の中学卒業と高校進学とを、
全員やはり恙無くと祈っています。


雲外蒼天
(うんがいそうてん)

今辛くても、
必ず心の晴れる日が来ますよ。 

あっという間にレースは終わり、
1番人気(2.3倍)のサトノダイヤモンドという、
栗毛の綺麗な馬が勝ちました。

えーと(>_<)、
カフジプリンスは1枠1番からの好スタートで、
いい位置取りだったのですが、
直線で馬群に包み込まれて伸び切れず、
8着(4番人気)でした(18頭のフルゲート)。 

ピンときた俄(にわか)ファンは全然駄目ですねm(__)m。
ずっと以前応援していた元カリスマ武豊騎手(エアスピネル)を信じれば、
3着に来ていましたね。

・・・・・・・・・・・・

「競争や勝ち負けだけで生きていると劣等感が生まれる」
「能力の高さでは無く共有できる喜びを褒めよ」 

(アルフレッド・アドラー) 

反省(何を(?_?))して夕刻は心理学のガクシュウです。

ある行為を選択する時点でその選択の責任はその人にあります。
その意味でアドラー心理学は責任を問う厳しい心理学である、ということができます。
しかし、他方、誤るにせよ選択の自由を認めるということから教育や治療の道は開かれている、と考えることができます。

(岸見一郎『アドラー心理学入門』ベスト新書:上記アドラーの言葉も同著より)

短く纏(まと)めてみます。
「誤るにせよ教育と治療の道は開かれている」
なるほど。
ただ、誤り続けるわけにはいきませんよね。
それも、責任ですからね。
道を開くという責任は人にとって重大です、
教育と治療に於いても。

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自由に仕事場に行ってきたのですが・・・、
昨日よりも元気でしたね教室花瓶の花々。
誰にも見られていないのにね。

自分自身がそうでした、
・・・これが「実存主義」なんですよ、実は・・・。

・・・・・・

「人間は本質に先立つ実存である。」(サルトル)
[NP解1:人間はその存在の意味は分からずに生きている。]
[NP解2:人間はその行動によって自分を作って生きていく。]

「人間は自由へと呪われている」(サルトル:標題に同じ)
[NP解1:人間は自由な生きざまに全責任を負わねばならない。]
[NP解2:人間は本来自由なので自由に生きる以外にできない。]


結局は午後に哲学をしています。
下記の参考文献には、
サルトルの無神論的実存主義のキーワードの一つがアンガージュマンである。」とあります。
アンガージュマンとは「社会参加」のことです。

人間は自由な存在であるが、
どう行動して生きるかの選択を絶えず迫られているとも言えます。
時代の状況と無縁には生きていけないので、
現実社会の状況に拘束されている存在ということになります。

「戦争などの過酷な状況の中でこそ、状況とどう関わるかを決める自由が明らかになる」、
「我々はナチス占領下にあった時ほど自由だったことは無かった」と、
サルトルは逆説的なニュアンスで言いました。

・・・・・・

確かに・・・、
今秋入院して点滴で身動きできない「不自由」な時に、
「自由」の意味・有り難さを痛感しましたね。

自由な中にあっては自由の意味など考えませんからね、ホント。

・・・・・・

10月20日付けで出たばかりの本で、
白取春彦さん監修の青春文庫(青春出版社刊)。
今朝記した事柄と関連付けて、
「自由」の不可思議さを少しばかり考察してみました。

面白い?!

はい・・・、
「コンビニ・ジャンク本」と呼んでいますが(それでも370頁以上ある)、
キャッチコピー通り「?が!に変わる!」ような気もします。
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午後の紅茶(いつもの日東オーガニック・オリジナルブレンド)とともに。
自由はいいね。

選択する自由(^^♪。
応援する自由☆彡。

菊花賞(GⅠ3000m京都・芝)を関テレで見ます。
グリーングラス、
セイウンスカイを想い出します。

ピンと来ました。
七文字の馬を応援します。

カフジプリンス!
長距離歓迎、
岩田騎手頑張れ!!
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先日お伝えしたように夜のクラシックも含めてトライアングルで、
六時からNHK・Eテレの短歌・俳句番組を鑑賞します。
第四週は共にタレントも集い賑やかに進行します。
(下記投稿、第四週はインターネットのみ)

自称ヘタレ歌人&俳人のNP、
どちらも25日必着の締め切り分を、
テキスト(今回は10月号)巻末葉書に書き記します。

今日は12月放送分への投稿になります。
短歌は第一週選者:坂井修一さん(当ブログ既出)の題「老い」、
俳句は第二週選者:堀本裕樹さん(同)の兼題「水鳥」にしました。

筆ペンは、
投稿専用に使っているKuretakeの「筆ごこち」、
筆風サインペンで極細感が着実な心地良い逸品です。


このあと軽く朝食(ロールパン・ロースハム&サラダ、コーヒー)、
もうテレビは消しています。
以前は面白かったTBS張本解説者の「喝!」も疲れるから・・・。


マイカーで仕事場へ、
途中セブンで「日刊スポーツ新聞」をゲット、
近畿大会一回戦で硬式野球部が龍谷大平安に勝利した記事が楽しみ。

午前中に、
教室花瓶の花の「水切り」をします。
ついでに新聞切り抜き記事を貼ります。

本日は机周りの整理整頓が目標、
机向かい側の数学S先生が来ていることが多く、
四方山(よもやま)話も楽しみ。
[追記:早めに引き上げたこともあって話せず仕舞いでした。]


帰宅後の午後から何をしようかなと、
あれこれイメージするのも、
「自由」にできる休日があってこその楽しみ。






三位一体型(当ブログ既出)対比の、
「自由」を確立できますように。

自由とは「主体性」があることです。

・・・・・・・・・・・・

1901年に始まったノーベル賞の歴史で、
受賞辞退者は六名いるそうです。

ソ連・ドイツ・オーストリアなど四名の作家・学者は、
国家主義やナチス政権下での圧力あっての辞退。

平和賞辞退のレ・ドク・ト氏は、
当時のベトナム戦争により戦火が残る、
北ベトナム側の政治局員で米国のキッシンジャー大統領補佐官と同時受賞発表。
「まだ平和は来ていない、米国は停戦違反を繰り返している」との理由から、
「自分の意思」で辞退しています。


そして、
もう一人のジャン・ポール・サルトルはフランスの実存主義哲学者です。
(何度か当ブログでも紹介していますね。)

どんな人間も神格化されるべきではない。」との自らの哲学主義理由と、
ダイナマイト発明者の作った賞は受けない。」(あらゆる賞を受けない)との個人的主張理由と、
ともに主体的な「自分の意思」が風聞されています。

だから、
ボブ・ディランの「無視」は史上初めてのことです。
ノーベル財団関係者は遂に「無礼で傲慢」と言い始めたそうですね。

自分の意思で生きられますように。



 

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