NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2017年04月

早霧(さぎり)せいなさん

咲妃(さきひ)みゆさん

ダブル退団サヨナラ公演

『幕末太陽傳』

「Dramatic"S"!」 

HK先生のご厚意でS席チケットをゲット、
生徒や卒業生や保護者と教員数名とに交じって、
鑑賞しました。

指定席での集合解散なので団体引率の気分はなく、
とても優雅でリッチな時間を過ごしました。


全く予習無しで、
ストーリーの流れが読み切れたら、
パンフレットを買うまいと決めて臨んだのですが、
イマイチ掴み切れませんでした。

結果手元に購入パンフがあります、
明日から職員室の貸し出し本棚に並びます。
クリアファイル・付箋・ポストカードなどと共に画像は割愛です。


時は遡って・・・。

10時半開場の一時間以上前に着いたので、
9時半の開門後に外館内でヅカモーニングセット(NPネーミング)。
武庫川沿いのテラスコーナーなどで、
そよ風に吹かれ寛いだ後、
内館(上演ホール)に入場。

11時開演で12時30分頃ミュージカル・コメディは終演、
30分間の休憩(客席飲食可)後にショー・スピリットが開幕そして約一時間で閉幕。
満員の退場客と、
二回目の15時開演への入場待ち客とで大混雑。

まさしく流れ集合のままに流れ解散。

・・・・・・・・・・・・

一人になって、
自己予定通り、
手塚治虫記念館へ、
何年ぶりなのかも判然としないままに・・・。


目的はただ一つ・・・、
偉大な漫画家が、
「戦争と平和」について、
どう描いていたかを見たかった。

ただ、
館内展示を見回ってみると、
さらに漫画家は、
もっと大きかった。

戦争と平和でさえも小さいのだ。


入り口すぐ横に、
肖像写真とともに、
こんな案内ポップ掲示が貼られていました。
写真撮影一切禁止なので、
メモ用紙に書き留めて持ち帰った文面です。

人間がどのように進化しようと、
物質文明が進もうと、
自然の一部であることに変わりないし、
どんな科学の進歩も、
自然を否定することはできません。
それはまさに自分自身=人間そのものの否定になってしまうのですから。

(手塚治虫「ガラスの地球を救え」より)


館内の自主製作コーナーで、
鉄腕アトムの「ぬり絵」をしました。
小さい子どもはもっともっと大胆な色遣いをします、
枠から食(は)み出ます、
気が向かない所は塗りません。
アトムのモティーフ以外にも何種類もありました。

漫画家のカサハラテツローさんが来ていて、
サイン会に行列が出来ていました。
とても腰の低い謙虚な創作家のかたと見受けました。

創作と言えば・・・、
一句だけ浮かんで「俳句手帖」に書き留めました。


新緑や火の鳥の飛ぶビルの谷
(宏)
⇒「〇〇ひろし」さんという俳人のかたがいらっしゃるので差異化するために漢字にしています。本当は高校時代に名乗っていた名前の「豊」にしてみたいのですが、とてもややこしいので。


以下は一日を振り返った画集のようなもの。

「世界」というものが何であるのか、
今のうちに繰り返し自問自答し、
また学びたいですね。

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永井荷風*の「戦争に関わる文章」をこの機会に読んでいます。
直接ではなく描いたものが沢山あります。
明治・大正のイメージも強いのですが、
実際には太平洋戦争後の十数年まで生きて「日記」を書き抜いています。

『濹東綺譚』(ぼくとうきたん1937年)を今日中に読了します。
「隣家のラジオの音がうるさい」というモティーフは「鐘の声」とも通底しています。
この書は果たして単なる「放蕩三昧(ほうとうざんまい)」の小説なのでしょうか、
「background(背後⇒影響下)」に描かれる「世俗風俗の真の意味」があるのではないでしょうか?

・・・・・・・・・・・・

昨日から今朝までのアラカルト画像です。
①岡本駅前のDONQのオブジェ(すべてパン生地素材の「神戸ポートタワー」)
②厚揚げリクエストの煮物(「里芋」の加減が難しいらしくこの後下げられ別食に)
③シンプル美味の極み春菊**の味噌汁(春菊=春菜は一年中ある「春の季語」)
④今朝の読み物&飲み物(川上未映子vs村上春樹 「ただの対談ではあらない」)
⑤DVD「かんたんピアノの弾き方」(三舩優子さんによるバッハ「メヌエット」)


さあ、
今日は「宝塚」観劇 (^^♪(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪ です。
感激の一日の始まりです。

一日は間隙の如し、
「我々は何を為し得るだろうか」。

・・・「成し得る」では無いのです、
まだまだ「為し得る」レベルに過ぎないのです。

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*永井荷風(ながいかふう)・・・[Wikipediaのテンプレート表より]
誕生:1879年12月3日(東京市小石川区)
死没:1959年4月30日(満79歳没、市川市)
職業:小説家・翻訳家
最終学歴:高等商業学校(現一橋大学)附属外国語学校清語科中退
活動期間:1900年 - 1959年
ジャンル :小説・翻訳・随筆・日記
主題:反骨、フランス文学、江戸情緒、遊蕩
文学活動:耽美派
代表作:『あめりか物語』(1908年)『ふらんす物語』(1909年)『珊瑚集』(1913年、訳詩集)『腕くらべ』(1918年)『濹東綺譚』(1937年)『断腸亭日乗』(1917年 - 1959年、日記)
主な受賞歴:文化勲章(1952年)
デビュー作:『おぼろ夜』(1900年)


**春菊・・・
[「旬の食材カレンダー」より]
春菊の旬は11~3月。
一年中手に入るが、茎や葉がやわらかく、香り高いのは秋から冬にかけて。食べるのは冬だが、春に花を咲かせるため春菊と呼ばれる。呼吸器系や胃腸を整える成分を持ち、食べる風邪薬とも呼ばれる。加熱し過ぎると苦味が増すため、鍋物などではあとから投入する方が良い。




 

相応の長編ですが、
立ち読み・座り読みのできる書店で、
計三回で読み通しました。 

また「裏旋の超絶☆塩レビュー」という凄まじい読書レビュー・サイトで、
詳細な解析記事を読みました。
このかたのネタバレ予告込みの文章は実に見事です。
原作自体よりも優れているように思えるほどです。

作品はいわゆる「叙述トリック」を、
存分に味わわせてくれます。
(東野圭吾さんのいくつかの作品にもありますね。例えば表現上で当然のことながら男だと思っていた人物が、実は女だったというような・・・薫=カオル、カオリとか、マコト=誠、真琴とか。)

してやられた、
との意外感もじゅうぶんに堪能できます。


ただ・・・それだけです。

2003年に刊行されて、
2004年に「このミステリーがすごい1位」を獲って、
裏表紙(文春文庫)には各賞を総なめにした・・・とありますが、
同じく二度三度読み直したくなる・・・とありますが、
後者は大いに疑問ですね。

でも、
著者の歌野晶午さんを見下げるわけでないのです、
もちろん偉業に拍手です。

ただね・・・。
「週刊朝日」の辻村深月さんの連載小説もそうです、
なんだか「身につまされるようなリアル」を同時に孕んでいて、
心から楽しめないのです。

後味・・・、
いいのかな本当に。

まあいいや、
葉桜の画像をアップします。

徒歩での最寄り駅からの通勤路です。
こちらは、
いいですね本当に。
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昭和二十年の日記です。
筑摩書房の現代日本文學全集16「永井荷風集」から。

正月元日から始まりますが、
日付を72年前の今日に戻して、
「現代語NP訳」で以下転載します。























【4月29日】
曇って風が冷たく三月彼岸前のようだ。
夕食のあと中野永川町の古本屋白紙堂に行き、
売れ残りの洋書を見て、その中の二三冊を買う。
店主から巻煙草「ひかり」一箱と南京豆一合とを貰う。

帰り道はすでに日が落ちて暗い。
一人の酔っ払いがいて、
通りかかった女性を脅して、
私にも殴りかかってきた。
驚いて逃げ帰った。

【4月30日】
晴れのち曇り。
黄昏時に五叟子(ごそうし)の家を訪ねた。
偶然にも銀座の信楽新道で出会った「いはでしのぶ」というバーのオーナー老人に再会。
五叟子とその子どもが見送りで中野のアパートまで来てくれた。
日暮れや夜中の路上が物騒だからである。

【5月1日】 
午前中は水道が断水。
先月15日に大空襲があってからガスが出なくなり、
毎日炊事をするのに、
取り壊した家屋の木屑を拾い集めて燃やしている。
敗戦国のような生活で水なし火なし
悲惨この上ないと言うべきだろう。

【5月2日】
雨が降り止まない。
ふとんの中で読書。

【5月3日】
曇って風がひどく冷たい。
新聞がヒットラーとムッソリーニの二元凶の戦死を報じている。
天網恢恢疎にして漏らさず 平和回復の日もそう遠くあるまい

【5月4日】
晴れ。

【5月5日】
曇り。
午前中に麻布区役所に行く。
途中で市兵衛町で空襲後の焼け跡を通ると、
一隊の兵卒がそこに大きな穴を掘っている。
士官らしく見える男に訊いてみると、
市民所有地の焼け跡は軍隊で自由に使用することになっている、
詳しいことは麻布区役所防衛課で訊いてくれとのこと。

軍部の横暴はいまさら腹を立てていても仕方ないので、
そのまま放っておくしか方法がない。
我々はただこの仕返しとして、
国家に対して冷淡で無関心な態度をとるだけだ。

・・・・・・・・・・・・

国語総合の授業で、
論理エンジン収録の永井荷風「鐘の声」を扱います。

本文中終盤の「昭和七年夏以来」、
聞こえてくる「鐘の声」が、
何を暗喩しているのかという・・・、
とても優れた随筆です。


荷風は準戦時(まさに昭和七年夏以降でしょうか…)と、
太平洋戦争の戦時下において、
一見断筆したかのように思えるのですが、
実に強(したた)かに、
日記『断腸亭日乗』を継続して “ささやかな抵抗” を続けています。
1917年(大正6)から1959年(昭和34)にかけて記されたもので、
大正~昭和の激動の時代にある日本の状況がよくわかる資料として、
とても優れたものとされています。
標題の「罹災日録」は、
昭和二十年の1月1日~12月31日の日記です。

・・・・・・・・・・・・

先達て学校管理職より、
ミサイル発射飛来の緊急速報が学校に入った時の対応を、
生徒に伝えておくこと、
・・・という教員への共通指示がありました。

①窓から離れて外を見ない。
②頭をかかえて机の下に隠れる。

概ねこのような主旨だったかと思われます。


『海の向こうで戦争が始まる』**を読んでみます。




*天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)・・・
天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ(『老子73章』)。
[「デジタル大辞泉」より]

**・・・
村上龍の長編小説で、『群像』1977年5月号掲載、同年に講談社から刊行された。
『限りなく透明に近いブルー』(芥川賞受賞)に続く第2作。
(Wikipediaより)
 


 

愕習です。

治安維持法が成立した1925年(大正14年)3月から、
公布された同年4月22日から、
92年が過ぎ去りました。

【治安維持法】
ちあんいじほう
大正一四年四月二二日公布
第一条〔1〕国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮(きんこ)ニ処ス
〔2〕前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
第二条 前条第一項ノ目的ヲ以(もっ)テ其(そ)ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議ヲ為(な)シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第三条 第一条第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ヲ煽動(せんどう)シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第四条 第一条第一項ノ目的ヲ以テ騒擾(そうじょう)、暴行其ノ他生命、身体又ハ財産ニ害ヲ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第五条 第一条第一項及前三条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若(もしく)ハ約束ヲ為シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦(また)同シ
第六条 前五条ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減軽又ハ免除ス
第七条 本法ハ何人ヲ問ハス本法施行区域外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス
[出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)]


【治安維持法に関する説明記事】
大正14年法律 46号。大日本帝国憲法体制下で,思想運動,大衆運動弾圧の中心にすえられた法律。 1924年6月に成立した加藤高明内閣 (護憲三派内閣 ) は,大正デモクラシーの要望に譲歩して 25年3月に普通選挙法を成立させたが,これに反対する枢密院工作として治安維持法を同時に成立させた。 22年に審議未了となった過激社会運動取締法案や,23年の関東大震災時に緊急勅令として公布された治安維持令などを集成して,「国体ヲ変革シ,及ビ私有財産制度ヲ否認セントスル」結社や運動を禁止するため違反者に懲役 10年以下の実刑を科した。さらに 28年の田中義一内閣は緊急勅令で法改正を行い,「国体変革」の罪には死刑をも適用することにした。さらに 41年には予防拘禁制の導入などの改正があり,最初7条だった治安維持法は 65条にもなった。この法の最初の適用は,25年 12月~26年4月の学連 (全日本学生社会科学連合会) 事件だが,第2次世界大戦後の 45年 10月に GHQ指令で廃止されるまで,社会主義運動や労働運動はもちろん,思想,学問,言論,表現など一切の自由への過酷な弾圧の法的根拠として,処断者は数万人にも及んだ。
[出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | ]


【治安維持法に関する地方記事】 
治安維持法
1925年制定。天皇制や私有財産制を否定する運動を取り締まった。改定や拡大解釈を繰り返し、自由主義や反戦的言動も標的になった。28年に最高刑が死刑に、41年には予防拘禁制度ができた。作家の小林多喜二が拷問死するなど多くの犠牲者を出した。45年10月に廃止。
(2015-08-19 朝日新聞 朝刊 阪神・1地方)
[出典|朝日新聞掲載「キーワード」]

 
【デジタル大辞泉の解説】
ちあん‐いじほう〔‐ヰヂハフ〕〈治安維持法〉
国体の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社や行動を処罰するために定められた法律。大正14年(1925)制定、昭和16年(1941)全面的に改正。共産主義活動を抑圧するなど、思想弾圧の手段として濫用された。同20年廃止。
[出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例 ]


・・・・・・・・・・・・

端的に言って、
この罪悪法のとどのつまりに、
「太平洋戦争」がありました。

父が生きていれば、
数え90歳の年になります。
父は佐世保で終戦の日を迎えました。

二年前の12月に急逝した父からずっとずっと以前に、
「敢闘録」と表紙に印字された黒表紙の「軍人日記」を預かったことがあります。
漢字交じりのカタカナで几帳面に書かれた、
戦時応召期の個人覚書き手帳でした。

教材の参考に少しだけ使わせてもらい、
一旦返して実家のどこかにあるはずなのですが、
いまだに見つかりません。

あのまま貰っておけばよかった・・・。

軍隊の中で一兵卒が、
どんな思いで日々を過ごしていたかを、
かろうじて許された範囲で丁寧に記していたのです。


戦争につながってゆくあらゆるものに反対します。


・・・・・・・・・・・・

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NPがクラス担任をしたことのある本校生Tさん姉妹の、
おばあさまにあたる奥村久美子さまから三年前にいただいた、
『ちんオモーニ』を再再再読しています。
(無理をお願いして、表紙見開きにサインもしていただいた本です。当ブログでも紹介記事がすでにあります。)

戦争の中の子どもたち・・・という副題が付いています。

200頁を越える、
大人向けの文体と、
ドキュメント内容です。





奥村さまから御著書に副えられた便箋の文章を、
あえて掲載させていただきます。

「拙いものをお読みいただきまことにありがとうございます。子どもをこのように育て、子どもにこのような経験をさせたお国に対し、未だに強い怒りを感じております。」


まったく「拙い」なんてとんでもない、
子どもたちや親たちと、
何よりも、
何も教えていない学ぼうともしない教員たち(自戒です。)と、
読書会を開いて、
逐次(ちくじ)読み合わせをしたいような名著だと確信しています。

巻末には松蔭女子学院大学教授で神戸大学名誉教授だった故・小島輝正*氏の解説推薦文があります。

初版(1983年8月15日付け)から34年が過ぎ去ろうとしています。
(NPがいただいたのは、初版の年の12月8日付け再版)


今、
審議されつつある法案が通ると、
例えばこのような本で、
「ほんとうのことを学ぶための読書会」も、
許されなくなるのではないですか?

「うそつきで厚顔無恥の国家」がまかり通るのではないですか?

もしそうではないと宣(のたま)うのならば・・・、
「歴史の悲惨」から、
何をガクシュウしたのですか、
私たちは。




*小島 輝正(こじま てるまさ、1920年1月27日 - 1987年5月5日)・・・
日本のフランス文学者、翻訳家、文芸評論家。
父の任地札幌に生まれる。本籍地東京。東京府立高等学校から、1941年東京帝国大学仏文科をくりあげ卒業。仏印で貿易の仕事をするが敗戦で46年帰国。49年洛陽書院を興すがうまく行かず、50年神戸大学文理学部講師、55年助教授。『新日本文学』などに寄稿。64年教養部教授となり1983年定年退官、松蔭女子学院大学教授。1980年大阪文学協会理事長となり大阪文学学校の運営に携わり、織田作之助賞を創設。84年フランス政府よりパルム・アカデミー勲章を授与される。没後、大阪文学学校は小島輝正賞を創設した。





 

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