NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

2017年05月

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小林愛実さんは2015年ショパン国際ピアノコンクールのファイナリストで現在21歳。

今朝は、
デビューアルバムでバッハ・ベートーヴェン、
そして特にショパンをずっと聴いています。




ショパンのスケルツォ*☆第1番・第2番が入っています。
下記にあるような「凶暴なまでの激情の発露」を、
十四歳の天才的ピアニストがどのように弾き熟しているか、
ということです。

・・・・・・・・・
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昨夜、
NHK交響楽団の大阪公演(NHK大阪ホール)があり、
井上道義さん(当ブログに関連記事あり)指揮で、
小林さんのピアノを初めて「目の当たりに聴く」ことが出来ました。




モーツァルトのピアノ協奏曲第23番一曲でした。
大好きなモーツァルトで直に視聴できたことが嬉しくて、
音楽通の知人にすぐメールしたのですが、
「とても力強く、でも柔らかく優しい」と、
訳の分からない表現になっています。

もう一曲を求める聴衆は何度も拍手を送り続けたのですが、
小林さんも何度も舞台袖に入っては出てを繰り返したのですが・・・、
おそらくN響楽団のためのコンサートなので、
プログラム台本に本来なかったのでしょう。

ひと言も無く、
小林さんは去り、
休憩を挟んでの三曲目で中央に据えられていたヤマハのピアノも、
片づけられてしまいました。
小林さんの「言葉」も聴きたかったNPは、
とてもとても残念でした。
DCIM3590さざ波のように客席全体に漂う寂しさを、
すかさずトークで繋いで救って下さったのが井上道義さんでした。
イエス・キリストの生誕を告げる部分の描写が、
マタイとヨハネの福音書で「差異」があることを、
もちろん音楽と関連させて、
たいへんユーモラスに語っていらっしゃいました。

御年70歳で愛称ミッキー、
この春3月で大阪フィルの首席指揮者を退かれました。

このかたの指揮でお話が聞けたのも僥倖でした。
NHKホールでの指揮は意外にも初めてだそうです。
シンフォニーやフェスティバルなんですね普段は。

N響にはNHKの、
N響の流儀があるようで・・・、
客員指揮にゲストピアニストはメインではないのだ、
と強く感じたことです。
(だからS席の当日券が余って売られていたのね…)
(アンコール曲も一曲だけって決まっていたのね…)
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でも、
でもよかった。

「名前と顔と言葉とパフォーマンスとが一致すること」は、
とてもとても安心できて有り難いことです。

間違いなく。



モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」も久しぶりに聴きましたが、
これだけのレベルのフルオケで聴けると、
とても満足です。


井上さんは正直に仰って、
聴衆の穏やかな笑いを誘っていました。
「オーケストラにもいい時と悪い時とがあって、今日みなさんは、いい時にあたりました。N響は今、いいんですよ。」


(小林さんは、今、いい時じゃないのかな・・・あまり嬉しそうじゃなかった・・・客寄せのお人形にならないで下さいね・・・きっと大丈夫。)



*スケルツォ(scherzo)・・・
楽曲の区分に用いられる名前のひとつ。イタリア語で「冗談」を意味し、語源的にはふざけた音楽を指すが、その意味あいは形骸化していった。諧謔曲(かいぎゃくきょく)。
☆ショパンの4曲のスケルツォ(Op.20, Op.31, Op.39, Op.54)・・・
ベートーヴェンのものとは異なり独立した作品群。内容が深刻な点はスケルツォとして共通しているが、時に凶暴なまでの激情が発露されている。ショパン自身は温和でありこうした一面を顕わにしなかったといわれるが、シューマンに、「冗談」でこれなら「真面目」はどうなるのか、と評されている。
このほか、ピアノソナタ第2番、第3番、チェロソナタの第2楽章にもスケルツォがおかれている。
[以上は共にWikipediaより抜粋]



Hey和
作詞作曲:北川悠仁

神は僕らの心の中にある
一つ一つの命の中に
耳を澄ませば聴こえてくるだろう
気付かずにいた生命(いのち)の声を

見上げた夜空に君を想うよ
体中に感じる温もり
どこにいたって一人じゃないんだ
深い悲しみに涙溢れても

wow...
祈るように今日も唄う

Hey和この地球(ほし)に生まれ
Hey和僕らは出逢えた
君の為に何が出来るのだろう
Hey和絶えない微笑み
Hey和喜びの唄を
消せない明かり灯し続けてゆく
君がいるから

神は僕らを試し問うのさ
罪を過ちを歴史は繰り返す
癒えることなく残る傷跡
決して忘れずに僕ら生きる

人は何故にこんなにも苦しみを抱き
全てを奪う争いは今もまだ止まない
子どもたちの笑い声未来を写す瞳
重ねた手と手をかけがいのない日々
愛しい...

・・・・・・・・・・・・

ライヴの20曲メドレーに入った好きな曲です。
北川さんの歌詞にはこのようなスケールの大きさを、
構造主義的に見い出すことが出来ます。

英詩にして歌い世界に発信してほしいと願っています。
その時に曲のタイトルはどうなると思いますか?
(NP回答は最下方に)


ゆずの曲の歌詞はそれぞれ全文は援用しません。
著作権尊重の一端と言えるほど大袈裟ではなく、
単に♪♪聴き取って調べて打つのが大儀(たいぎ≒億劫おっくう)になるからです。
楽しめる文量でじゅうぶんです。

この詞曲で言えば「kimi」は「kami」なんですね。
ことばの発音としては「kimihitoe」です。

川上弘美さんの『神様』という小説がありますが、
その中では「kuma」は「kami」です。
ことばの発音としては「kumahitoe」です。

ことばの「紙一重」は神一重であり君一重であり熊一重・・・。

kimiもkumaも「もの」であり「いきもの」です。
ことばは「もの」でしょうか?
ことばは「いきもの」でしょうか?

言葉鴨の怪奇ものか?


「存在」の実体も、
このように得体の知れないものかも知れません。


(゜o゜)「連文節変換」って凄いですね。

想像を越える「存在」「もの」を出してくれるので、
半日楽しめそうです。

「もの」は「存在」だと、
ひとまず考えることにしています。
「言葉」によって「もの」は「存在化」します。
それが構造主義・言語学者ソシュールの原点であると考えられます。
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「ゆずシンクロニシティ」
昨日撮った画像です。
「Yuzu Candy ピーチ味」は、
隣席のKB先生も面白がって写していました。
「なぜゆず味にしなかったんですか(大笑)」

昼食にセブンの「ゆずいなり」一個差し上げました。
NPは「ゆずいなり」と「冷やし中華」でした。
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「馬路村ぽん酢しょうゆ・ゆずの村」は帰宅後に撮った我が家の定番で一年中冷蔵庫にあります。
高知県の山里で「完全無農薬有機の大量生産しかも大ヒット」に成功している例だと思われます。
徳島県でNPが二年間住まいしていた木頭村(きとうそん)にも勿論同様の商品があります。
山を隔ててお互いに接しているような間柄の地形ですが何だか悔しいことに商戦では…。
(馬路村には「おらが村・心臓やぶりフルマラソン」という大会がありました。NPも参加したことがありますが2011年の第20回で終了した模様です残念。)
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「Hey和」の回答:Hey Wah 

【補説】
このwahという英語の言葉の発音は「ほわ」「ほー」というラッパの音のようです。
「ほわ」「ほー」という発音ならば、
中国語の「何」のピンイン(拼音:発音記号)変換にも近づくのではないでしょうか。
つまり「和」は「何」に通じるんですね。

Hey ! 平和って何?




(以下も十日後の追記です。)
【少しだけ驚いたことに、この「存在編」も全く「そのまま修正無し」で成立しました。・・・ということは・・・AをBであると完全に間違えて思い込んでいても、確率三分の二(「ゆずライヴ①②③」のうち修正が必要だったのは①のみ)で、そのまま通るのですよね・・・インターネット記事の怖さを「存在論」的に身に沁みて感じました。ご指摘下さったKPさん、本当にありがとうございました。】





スマホ携帯撮影自由。
「ゆずだけに融通が利く」(KB先生評)
ゆずの圧倒的自信の表れです、
ライヴでしか味わえないものがある。

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20年前にゆずはデビューしました。
20年前にあなたは何をしていましたか。
自分ではわからないあなたや、
まだ生まれていなかったあなたは、
20年後の父母に尋ねてみて下さい。
20年前って何をしていたの?

それから何年後かに命を授かってよかったですね。
大切にして下さいね。
ゆずの歌には命を大切にしている人の心がこもっています。
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夏色
作詞作曲:北川悠仁

駐車場のネコはアクビをしながら 今日も一日を過ごしてゆく
何も変わらない 穏やかな街並
みんな夏が来たって浮かれ気分なのに 君は一人さえない顔してるネ
そうだ君に見せたい物があるんだ

大きな五時半の夕やけ 子供の頃と同じように
海も空も雲も僕等でさえも 染めてゆくから

この長い長い下り坂を君を自転車の後ろに乗せて
ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく

・・・・・・・・・・・・

二人乗りは違反です
よいこはマネをしないように
下り坂はあぶないよ
命を大切にね

あれ?


(以下は十日後の追記です。)
【あらためて思い知る「文章の虚構」と「画像の写実」・・・この「画像編」では文章が少なく、修正が全く必要なかったのです。「言葉によって存在が生じる」というソシュール言語学の基本の大切さと、だからこそ「AをBという言葉で間違えることの怖さ」を教えてもらいました。】

・・・と北川悠仁さんは本当に悲しそうに語りかけました。
ライヴコンサートも終盤に差し掛かる頃です。

・・・・・・・・・・・・

NPは京セラドーム6番ゲートから三塁側前方席へと向かうべくSPと少しだけ並んで、
開演17時の40分前にスイスイ入場しましたが、
正直に言うと、
セキュリティ・チェックの甘さに、
まだまだ平和だと勘違いしているんだこの国は…と思えてなりませんでした。

マンチェスターであれほどの悲惨があったにもかかわらず、
そしてターゲットになって当然の「同盟国」日本の、
第二の都市・大阪での4万1000人を越える大規模コンサートでの、
この緩やかさ穏やかさは何なのだろうかと。
(スマホ等での撮影がOKであることと無関係ではありません…。)


でも幸せなことです、
有り難いことです。

私たちはおそらくは守られているのでしょう。
裏切られることなくいつまでも守っていただけるのでしょう。
「あやしい」ことを私たちがしなければ。
お国の言うことを信じてさえいれば。

しかし信じられなくなって、
そのことについて誠実に語ろうとすれば、
本気で心配を訴えようとすると、
必ずやパージされるような時代が、
ひょっとするとすぐそこまで来ている…のかも知れませんね。


取り敢えず、
ゆずはそのことに一言でも触れてくれたので、
それは本当に悲しいのだけれど、
ほんとうによかったと思えたことです。

迂闊(うかつ)なことが、
音楽コンサートでも言えなくなる、
当ブログも閉鎖命令が出る、
そんな日が来ないように共に刮目(かつもく)して参りましょう。

・・・・・・・・・・・・

「僕たちは歌い続けるしかない」


ゆずのリーダーは北川さんで、
サブ・リーダーは岩沢厚治さんです。
岩沢さんはほとんどトークしません。

それはもう徹底しています。
作詞作曲は北川さんのイメージが強く、
ヒット曲も彼の手によるものが多いのでしょうが、
岩沢厚治はかなり真面目な顔でサブ的に歌い続けます、
ギターも弾き続けます、
ハーモニカも吹き続けます。

フォークソング全盛期の、
吉田拓郎や加藤和彦を想い起こすことが出来ます。
彼らもギターにとても思い入れが深くテクニックも最上質でした。
アコースティックギター一本だけでコンサート全曲弾き熟せたのが拓郎で、
スリーフィンガー奏法でなおかつボーカルが出来たのが加藤和彦でした。
(前者はKinKi Kidsにギターを教えキンキが巧くなったレベルの高さで指導者の技量が分かります。また後者は「あの素晴らしい愛をもう一度」という不滅の名曲をスリーフィンガーで歌い切ることが可能でした。)

北川さんは弾き語りコーナーの途中で、
「チューニングが気持ち悪い」と言って曲を中断し、
「湿気が凄いね」と言ってチューニングし直しました。
さらにギターそのもの(ギブソンの名器)を交換し、
もう一度トークの最初に戻ってリピート再開したところに、
ギターの超絶技巧もさることながら、
二人の「プロ意識の超絶至高」を垣間見ました。

特に岩沢さんはアコースティックギターに於いて、
現在の(バックを除く)ミュージシャンの中で最高峰に近いそうです。
(特にピッキングやスリーフィンガー奏法ですね。⇒ネット記事諸説参照。)


二人揃って「人間性・品格の高さ」を示してくれるような気がしました。
メッセージ型のシンガーソングライターですね。
(ネット記事では北川さんの作詞は直接的で岩沢さんの作詞は比喩的といった評も見受けられましたが、必ずしもそうではないと思われます。)



メジャーデビュー20周年コンサートライヴ・・・、
SPのバースデイプレゼント代わりだったのですが、
3時間の着席席で、
(アリーナ席=オールスタンディングモードのすぐ外側で、三塁側の前から4列目の上々席)
喜んでもらえたかな。


序盤の「悲しみの傘」という曲がとてもよかったなアコースティックにピッタリ。
20曲メドレーの中の「Hey和」も詞曲ともによかったな全曲通しでぜひ聴きたい。
最終盤までとっておきだった「夏色」はとてもとても懐かしく切なくよかったな。
ラストは「栄光の架け橋」言わずもがな&言わんや架け橋をやレベルよかったな。


NEWS ZEROの新・テーマソングを、
「できたばかり」として歌ってくれました。
まだリリースされていませんね。
この曲もとても好きです
かなり(好き)やね。



カナリア
作詞作曲:北川悠仁

明日夜空は何色に染まってゆくのか
いつか僕らも羽ばたける そんな日は来るの?
時の流れは早すぎて 消えてしまうよ
握りしめてる約束 果たせないままで
なりたかった 焦がれた未来 ここになくても
謳おう カナリア
声にならない 想いが溢れ 泪は流れる
どんな時代へ変わり続けても
いつまでも君だけに聞こえるように
響け 泣いてないで ほら見上げてみろよ
何度だってまた明日の空へ 飛び立とう


(次回は画像編です。)

【AとBの存在を真逆に取り違えていた後遺症は甚大で、そのショックとイメージ補正に十日間かかりました。上質とはかけ離れた「悪質な自作ミステリー小説」を読んでいるようでした。ゆずファンだけではなく当ブログ読者の皆さんに心からお詫びします。・・・あの~、昨年リオデジャネイロオリンピックがあって、北川悠仁さんはNHKのドキュメンタリー番組「ゆず北川悠仁が見たオリンピック」に出演していましたよね。NPその放送を見たはずなんですよ(聞いていただけかも知れません)。・・・自分でも信じられませんが、北川さんの存在を「言葉」や「取材レポーター」としてのみ捉えて、「顔認識」「人物認識」していなかったことになります。・・・どうか、これ以上「修正」しなくても済みますように・・・。AKBメンバーの顔がどれもいっしょで名前でしか識別できない・・・という例は分かりやすいのですが、二人しかいない超有名フォークデュオのAとBの識別ですからねえ。やれやれ、とほほほ。】




「勝ち負けを競わない勝負」をシリーズ展開しています。

家食カレーと、
学食カレーと。
どちらも美味しいし辛いホントです、
平和カレーと名づけて、毎日食べたくなるほどです。
戦争になるとカレーは贅沢品で、当局様に召し上げられるんだろうな。
カレーは「華麗」に通じるから絶対禁止!!なんてね。
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麵屋「きつねうどん」(弁天町駅ホームの立ち食いチェーン店5分待ち)と、
日清「どん兵衛」(ネットのオススメ記事に従い10分待ち)と。
前者後者のコスパで勝負すれば、どちらも手強く大接戦に。
戦争になったらのんびり出来上がりを待っていられないんだろうな。
うどんじゃなく胡乱*な奴は許してもらえないんだろうな。
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(以下は4・4・3・3行で構成された「ソネット形式」のNP詩です)


「勝負~戦争が始まる~」

戦争って勝ち負けを残酷非道に競って決めるんですよね。
犠牲者はいつも名も無く弱い、その他大勢の人々ですよね。
人権蹂躙の極みを尽くし、勝った方にも負けた方にも、
甚大な被害と底の無い虚無と、徒労脱力感とをもたらすんですよね。

海外メディアからは治安維持法同然と評されているんですよね。
その治安維持法の名の下(もと)に、言論統制と思想弾圧はあったんですよね。
挙句の果てに日中戦争や、太平洋戦争があった時のように、
侵略や殺戮や強奪や破壊を、平和のためにと詭弁するんですよね。

どう控えめに考えても「戦争」へと、着々突き進んでいるのではないですか?
いざ戦争になった時点で、どちらも負けではないですか?
綺麗ごとを言わなくなって、あれあれ超現実派と同化してきましたね。

核弾頭とかICBMとか、真顔で本気になって脅し合いをしているのですか?
ほんとうに守ってもらうのですか、ほんとうに守ってもらえるのですか?
海の向こうでは無く海のこちらで、今、ほんとうにいつかではなく今、戦争が始まる。



さて、
今から京セラドームへ、
ゆずのコンサートに行きます。

確実に言えること。

戦争にゆずは似合わない。



*胡乱(うろん)・・・[「デジタル大辞泉」より]
[名・形動]《唐音》
1 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。「胡乱な者がうろついている」
2 確かでないこと。真実かどうか疑わしいこと。また、そのさま。
「誤を正したり、―な所は字書を引いて見たりして」〈風葉・恋ざめ〉
3 乱雑であること。また、そのさま。
「かき本は字が―ですぢない字どもをかきをけども」〈史記抄・高祖本紀〉
[補説]「胡」は、でたらめの意。また胡 (えびす) が中国を乱したとき、住民があわてふためいて逃れたところからという説もある。
[派生]うろんげ[形動]



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