本来は陰暦六月晦日(つごもり)が
夏越祓(なごしばらい)で厄災邪気
を祓う神事なのだが月日の同じ陽暦
の六月末にも、茅(ち)の輪抜けや
人形代(ひとかたしろ)での大祓い
… 最下方の画像は総社大神宮の門前。
翌日六月三十日開催の第20回花はす
早朝マラソンに参加する為を口実に
前日から帰省先でもある越前市入り。
JRから三セクハピラインになり閑散
たる武生駅なのか大河ドラマ越前編
の恩恵で意外と賑わっているのかを
体感しようとしたが土曜日は微妙…。
市役所の横断幕を初めとして紫式部
(吉高由里子)の越前下向シリーズ
はタイムリーな筈で歓迎ムード一色
か否かも微妙… それは北陸新幹線の
越前たけふ駅もそうなのだとの情報
を500円定額チケット使用時に乗車
タクシーの運転手さんから聴取した。
地方創生とはいまだにかくも難しい。
定着人口(居住する人やUターンや
Iターン)は減少一途、関係人口
(通勤通学などで出入りする人)
も限られていて、交流人口(観光
や人気スポットに来る人)もイン
バウンドにはさほど期待出来ない。
気を取り直して、大河ドラマ館と
紫式部公園や紫ゆかりの館を梯子。
青空の下、気の晴れる逍遥(しょうよう)
で、式部像の見つめる日野山も美しかった。🗻
【長徳へタイムトリップ五月晴れ】⚡☀
⚡長徳(ちょうとく)・・・
元年(西暦996年)に藤原道長左大臣
(帝に次ぐ地位)に、同時に中関白家
(亡き道隆の息子伊周と隆家)排斥と
いう長徳の変があった。
翌二年には後の紫式部の父親藤原為時
が、当時の大国であった越前の国司に
任ぜられ、京から23歳の式部を伴って
五日間かけて国府(武生)に下向した。
清少納言が中宮定子のもとで『枕草子』
を記したのも丁度この頃だった。
☀五月(さつき)晴れ・・・
陰暦五月は梅雨の頃で、五月雨(さみだれ)
の合間にめずらしく晴れ上がった日のこと。
この日陽暦6月29日は陰暦五月二十四日
で下弦の月🌗、夜には天気下り坂で見えず。
🗻
《ここにかく日野の杉むら埋づむ雪
小塩の松に今日やまがへる》
(紫式部)
⇒NP訳








夏越祓(なごしばらい)で厄災邪気
を祓う神事なのだが月日の同じ陽暦
の六月末にも、茅(ち)の輪抜けや
人形代(ひとかたしろ)での大祓い
… 最下方の画像は総社大神宮の門前。
翌日六月三十日開催の第20回花はす
早朝マラソンに参加する為を口実に
前日から帰省先でもある越前市入り。
JRから三セクハピラインになり閑散
たる武生駅なのか大河ドラマ越前編
の恩恵で意外と賑わっているのかを
体感しようとしたが土曜日は微妙…。
市役所の横断幕を初めとして紫式部
(吉高由里子)の越前下向シリーズ
はタイムリーな筈で歓迎ムード一色
か否かも微妙… それは北陸新幹線の
越前たけふ駅もそうなのだとの情報
を500円定額チケット使用時に乗車
タクシーの運転手さんから聴取した。
地方創生とはいまだにかくも難しい。
定着人口(居住する人やUターンや
Iターン)は減少一途、関係人口
(通勤通学などで出入りする人)
も限られていて、交流人口(観光
や人気スポットに来る人)もイン
バウンドにはさほど期待出来ない。
気を取り直して、大河ドラマ館と
紫式部公園や紫ゆかりの館を梯子。
青空の下、気の晴れる逍遥(しょうよう)
で、式部像の見つめる日野山も美しかった。🗻
【長徳へタイムトリップ五月晴れ】⚡☀
⚡長徳(ちょうとく)・・・
元年(西暦996年)に藤原道長左大臣
(帝に次ぐ地位)に、同時に中関白家
(亡き道隆の息子伊周と隆家)排斥と
いう長徳の変があった。
翌二年には後の紫式部の父親藤原為時
が、当時の大国であった越前の国司に
任ぜられ、京から23歳の式部を伴って
五日間かけて国府(武生)に下向した。
清少納言が中宮定子のもとで『枕草子』
を記したのも丁度この頃だった。
☀五月(さつき)晴れ・・・
陰暦五月は梅雨の頃で、五月雨(さみだれ)
の合間にめずらしく晴れ上がった日のこと。
この日陽暦6月29日は陰暦五月二十四日
で下弦の月🌗、夜には天気下り坂で見えず。
🗻
《ここにかく日野の杉むら埋づむ雪
小塩の松に今日やまがへる》
(紫式部)
⇒NP訳
ここに見える日野山に雪が積もって
杉林は深く埋もれそうだが、今日は
都でも小塩山の松に雪が降っていて
同じなのかしらと思う。
都でも小塩山の松に雪が降っていて
同じなのかしらと思う。







