文科150分:一評論文、二古文、三漢文、四随想文or評論文
理科100分:一評論文、二古文、三漢文

一の評論文問題だけが、全く同一です。ここに東京大学の求める思考・学術的なレベルの高さ・広さ・深さを読みとることになります。

センター試験の一もそうですが、今という時代において敢えて問わねばならない火急的な、それゆえに普遍的なモチーフ・テーマが対象です。

逆説的な言い方ですが、「その時でなければならない上にその時でなくてもいいもの」が指摘開示されるわけです。

私たちが見失っている、見えているはずなのに見ようとしない、大切な何かであるはずです。

昨年のセンター試験:大問一の評論と、東大国語:大問一の評論との「生物学から人間学という主旨」や「出題・設問の問いかける意味」の類似性・共有性は、当ブログでも早々に指摘しました。その大きな敷衍(ふえん=押し広げて述べる)の中に、昨年の山中伸也教授のノーベル医学生理学賞もあったのではないでしょうか。

たったひとつのトライアングルを偶然の一致としてではなく意味付けるのです。

とすれば・・・東大の2013年大問一は、間違いなく「文化論」になるのです。
予測詳細を展開しながら、この後「ブリコラージュ」をしてゆきます。

*レヴィ・ストロースは、構造主義的な解釈の基幹として、原始的偶然の中に科学的精神を見ました。「ブリコラージュ」(フランス語)とは、有り合わせの日曜大工(この比喩自体は廃語ですね…)・寄せ集めの器用仕事 という意味ですが、そこに「確固たる目的意識」を見出せば、眼前のモノは異なって映ります。