モナド(Monad)」は後期近代の直前に現れたドイツの哲学者・数学者ライプニッツ の案出した、空間を説明するための概念。モナス(個、単一)、モノス(単一の) に由来して、単子と翻訳される場合もある。「予定調和」という概念に近づくための「宇宙を構成する形而上的な根本原理」。

さだまさしさんのコンサートがまさにそうでした。
3991回目、堺市民会館、オープニングは「案山子」(かかし)、ファイナルは「主人公」。

トークは定評通りの絶品。御本人のバイオリンも歌もハイレベルで上手い、後方に控えたチェロも重厚で素敵だ・・・ったのですが・・・何かが違う。

いや・・・「違う」というより「同じ」だったのです。予想通りの極み・匠(たくみ)・・・彼のコンサート中の言葉で言えば、皮肉にも「妖精」(日本で滅びつつある美術工芸などの業師・わざし)の姿そのものだったのです。
つまり、予想と全く同じであることから生ずる違和感という逆説が、そこに感じられたのです。

小泉八雲(こいずみやくも=ラフカディオ・ハーン)の件(くだり)、即ち(明治中期~37年に54歳で急逝するまでにおける)「日本人自らによる日本喪失」予告という先見の明のお話も、彼自身の人脈の広さに基づいたフリーエピソードも、「秋桜」(コスモス)という曲に絡(から)めた結婚披露宴ネタも、落語家のお手本になるという「真打ち」の語りも・・・

陥穽(かんせい)≒落とし穴・策略

警鐘(!?)・・・ドキッとしました、NPのライトモティーフ手法も、その誹(=謗・そし)りを免(まぬか)れないからです。
今日は、出来るだけの「短文」を目指して述べ始めました。
饒舌(冗舌・じょうぜつ)であることの確かな証(あかし)・・・長文化。

「長文・化」は「超・文化」であるのかも知れません、ハイ御後(おあと)がよろしいようで。