それはそれは大昔の話でNPの青年時代、ずっと以前勤務していた職場に同期採用された社会科の男性教員がいます。現在でも大切な知人です。

その人から最近いただいたメールの言葉です。

かなりええかげんですが、ギリシャ語のミュトス(神話)は
「語られた言葉」で、ロゴスは「語る言葉」だと生徒に説明します。
厳密に言えば 間違いかも知れませんが…

そして、「語る言葉」の背景には「考える働き」がなければ
ならないので、ロゴスには「ことば」とともに「理性」という意味が
つけられていると説明します。

さらに、ぼくは かつて人間を超えた何ものかからの「語りかけ」
を聴く力をひとびとはもっていたのではないか、神話は作為的な
意図をもった人間の創造物ではなく、ほんとうに そういう語りが
あって、そういう語りを聴く力をもった人たちがいたのではないか?
などと問いかけます。

そして、ぼくたちの奥底にも そういう現実の人間を超えた声を
聴く力があるのに、生活の喧騒にかきけされているのではないか?

聴こえるかどうかわからないけれど、聴こうとする時間をもちたい…
などと話します。


NPが出雲と伊勢に行く・行ったという別話は、また後日いたしますが・・・上の文章は、出雲行の直後・・・

出雲はよかったでしょうね。
神話の世界はいいですね。

・・・という出だしで語られた言葉に続くものです。

御本人(ハンドルネーム:インターネット上の別名 を当方のネーミングで「ソクラテスN」とします。)の許可を得て転載させていただき、ロゴス・ミュトスについて学ぶ好機と、そっくりそのまま拙話の序論に仕立てました。まさに援用です。

ソクラテスNさんは、実際に当時の生徒会新聞「新任紹介」の欄に、手描きの巧みな似顔絵でソクラテス風に載っていたような記憶があります。既に何年かの講師勤務を経ての実力採用だったので、生徒諸君には倫理哲学を語る大物学者然とした風情が伝わっていたのでしょう。
 
拙話(せつわ)・・・最近気に入っています。説話にならない折話と節話と切話・・・そんな感じで続けます。