昨日の記載に関して、御本人から望外のコメントをいただきとても喜んでいます。

その中でこう教えていただきました。
罰が当たる・・・「バチ」は仏教用語として用いられる「罰」の呉音で、人間の悪事・驕りへの神仏の懲らしめという意味だと辞典にありました。バチが当たらないように「善く生きる」ことを心がけなければなりませんが・・・


こうお返しいたしました。
罪は積み、罰は×、咎(=科)は罪と罰が明らかなこと(咎められるべき罪、科されるべき罰)と、言霊にもかこつけて思い込んでいます。・・・釈迦に説法で失礼ですが・・・

ソクラテスと釈迦、ともにSですね・・・たくさん学ばせていただきます。

「天空海闊(てんくうかいかつ)」という四字熟語を思い出します。
高く広く深く、そして大らかに自在であること・・・とNPは解釈しています。学びの本質もそこにあるように。

日々を生きることは煩悩の思い込みに身を委ねること・・・罪が積まれ罰が当たり咎(とが)が科されてゆきます。
せめて「善く生きる」ことを心がけたい、叶わぬ願いと知ってはいますが、天空海闊への旅は楽しいものです。

一切感謝、有り難うございます。