枯野かな・・・、

明治33年、高浜虚子27歳の時の作品。生涯最も気に入っていた句とも、彼の人生を表す句とも言われています。

でも、昭和34年に84歳で亡くなった虚子が、正岡子規(明治35年没)存命中で、後継者にと俳誌『ほととぎす』を託された頃に、すでに「人生を表す」代表句を生み出していたとは驚きです。

〈 遠山と今いる場所 〉の対比
〈 日当たりと枯野 〉の対比

心境は、遠くの山・日当たり・枯野のいずれでしょうか。
「切れ字」を強くとれば、「かな」のある枯野ですね。

遠望として、温かい陽射しがスポットライトのように山に当たっているのでしょうか。
それとも、陽射しが当たったところにくっきりと寒い枯野が見えているのでしょうか。
どちらもでしょうね。

中学(現在の松山東高校)から、三高(京大)を経て二高(東北大)へ、そして中退。
親友でライバルだった同級生の河東碧梧桐(かわひがしへきごとう=後に自由律俳句を唱え虚子と対立)と共に駆け抜けてきた、青春時代の「終焉・訣別」を、この句に見ます。
アンビバレント(二律背反)です。

27歳・・・NPは教員として正職に就いた年齢です。
あの時に「枯野」は全く見えませんでした。
ずっと以前には、この句を晩年の境地かなと勘違いしていました。
だから虚子は、やはり凄いと思うのです。


・・・まだ朝晩ようやく寒くなってきたばかりの現在の暦(こよみ)なのですが・・・、
ふいに、晩秋から冬へと思いを馳せてみました。

枯野でも
  日当たりながら
   時季(つぎ)を待つ  (NP)