爆ぜさうな 石榴の一つ 憂国忌       近藤明美
黒板を ねんごろに消し 憂国忌       柏原眠雨
憂国忌 止まつたままの 砂時計           墳崎行雄
憂国忌 どこかで靴の音しきり         石崎素秋

三島由紀夫も、1970.11.25 最期の刻(とき)に向かって、「はぜそうなざくろ」だったのでしょうか。
季語としては「石榴の花」が夏、「石榴」は秋、「憂国忌」自体は冬です。
「時が繋がる」ということ、「時を越える」ということ・・・
市ヶ谷辺りの坂を、杜(もり)を、真夏に徘徊(はいかい:うろうろすること)した覚えがあります。
意気盛んな青年教員として、教育研修全国集会に参加した時のことでした。

懇ろ(ねんごろ:ていねいなこと)に板書を消す。
今日もし三島について授業で語るとすれば、NPもそうするつもりです。
「時は今」、内田樹さん(神戸女学院大学・名誉教授)が11月23日付け朝日朝刊一面(関西版)で「特定秘密保護法案」について危惧したように、「凶器」を感じさせる衝迫感があります。
・・・「情報」の保全・守秘←→公開・流出、単なる対比構造では説明できないもの ですね。

そして、転がった砂時計のように「時は止まったまま」でも・・・
時代はどんどん先へ先へ私たちを駆り立てます。
砂時計のようなメッセージで・・・
しかし何かを伝えたいと考えます。
「情報」を持たせるだけ、聞かせるだけ、書き写させるだけでよいのかということですね。


靴の音」……………