今、旬(しゅん)間近です。
まだ、やや高値、でもとても美味しい。

我が家は普段から玄米で、よく噛んで食べているのですが、緑の色鮮やかな豆ご飯にして ほくほく噛み締めると、実に至福。

豌豆の花は、「まるで翅(はね)を広げた蝶がとまっているようで、色は赤紫あるいは白。」と歳時記カレンダーに絵柄が載っています。

テーブルには、保存料・着色料無添加の、それでも薄黄色の沢庵(たくわん)が添えられています。


玄(くろ:黒)・緑・赤紫・白・薄黄・・・五色の彩(いろど)り揃って、ああ 春・春 ・・・です。


*いわゆる五原色について・・・
古来、中国では黒・青・赤・白・黄を指していて、イメージ的には・・・


            黒(玄武)・冬=北(子:ね=0時)


白(白虎)・秋=西(酉:とり=18時)  ★ 青(青龍)・春=東(卯:う=6時)


           赤(朱雀)・夏=南(午:うま=12時)



この配置での ど真ん中 ★ の箇所に、四方四季四六時(しろくじ=二十四時)を四神に守られた黄(=皇つまり皇帝)が入る形で捉えます。


**土佐日記(紀貫之)の二月一日(きさらぎついたち:今の3月中旬頃)・・・
「黒崎の松原を経て行く。所の名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のごとくに、貝の色は蘇芳(すほう:赤紫)に、五色にいま一色ぞ足らぬ。」となっています。
⇒⇒⇒足らぬのは「黄」ですね、もちろん。何かの暗示(隠喩)と考えてみます。
934年末に四年間の国司(地方官≒知事)としての任を解かれ、十二月(しはす)の二十一日(はつかあまりひとひ)戌の刻(いぬのとき:20時)門出し、船で京に戻る途中の出来事が中心です。
自邸帰着は、二月十六日(きさらぎとおかあまりむひか:今の3月下旬頃)で十六夜(いざよい)の月夜ですから、大凡(おおよそ)二か月弱の旅日記、それが「土佐日記」として935年にまとめられます。
⇒⇒⇒足らぬのは土佐守(とさのかみ)在任中に亡くした「愛娘」、エンディングとの一種の符合ですね、きっと。
貫之はすでに六十五歳を越え、もう一つの偉業「古今和歌集」の編纂(へんさん)=905年から ちょうど30年後のお話です。
さらに「古今和歌集」から ちょうど300年後の1205年には「新古今和歌集」(藤原定家・編)が完成することになります。


さくら花 ちりぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞたちける (古今89)


人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける (百人一首35)



花よ散れ 見事なまでに 花よ散れ 一年の後の 美しさのため (NP)