大正3年です、1914年。
第一次世界大戦開戦・・・、

ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟
VS 
イギリス・フランス・ロシアの三国協調 

前者が後者に戦いを仕掛けたという図式ですね。
予想以上に長期化して、1918年(大正7年)まで続いてゆきます。

日露戦争(1904年・明治37年2月 から約1年7か月の間) で、超莫大な費用を使ってしまった日本は・・・、
(第一ラウンドだけで年間国家予算2億5千万円の6倍:「世界一おもしろい日本史の授業」による。) 
勝ったとは言えポーツマス講和条約で「賠償金は一切獲得できないなど、国民には不満が残った:同上」状況 。

そこへ・・・「大正新時代の天佑(てんゆう=天の助け:元老 井上馨かおる の言葉)」・・・、
対岸の火事」で「火事場泥棒」のように・・・、
(自虐史観ではありませんよ、比喩ですが実際的にそうなったのですから。)
「大戦景気」(大正4年~8年)に、日本は沸いてゆくのです。
①交戦中のヨーロッパに、軍需品・日用品が大量に売れた。
②独占したアジア市場に、綿糸・綿織物が大量に売れた。
③大戦の影響がなく好景気なアメリカに、生糸が大量に売れた。
(「世界一~」伊藤賢一さんによる「景気の要因」です。)


しかし・・・。
その反動も、一層凄まじく・・・大戦終結(1919年ベルサイユ条約)とともに、モノが売れなくなり・・・、

「戦後恐慌」(1920年・大正9年) に陥り、時代は不透明もしくは暗黒色に彩られてゆきます。

因(ちな)みに、大正時代を代表する作家 芥川龍之介は・・・、
蜜柑(みかん1919:龍之介27歳時) 
舞踏会(1920)
秋(1920)
南京の基督(なんきんのきりすと1920)
杜子春(とししゅん1920)
アグニの神(1920)
藪の中(やぶのなか1921) 
・・・といった名品を次々とモノにしてゆきます。
もっとも、「蜜柑」に描かれたエピソードは1916年の体験談ですから、時代は表向きには好景気の真っ只中なんですね・・・あの前半部までの「倦怠感」は不思議です。
「藪の中」はいかにも不透明で不明確な時代背景を想像して得心出来ますね。 

そして、その頃・・・次の大戦に向かって日本が、強(したた)かに明確に歩み出したのではないでしょうか。


 これが「戦いの後先」です。
後先(あとさき)とは「物事の前後」ということ。

憂慮すべきではないでしょうか。
100年前に学ぶとすれば・・・、
を、です。


肝心の標題に戻ります。

ちょうど百年前の1914年4月20日~8月11日に110回に亘(わた)って、朝日新聞に連載されたのが・・・、
東京朝日の契約社員*であった夏目漱石の「心 先生の遺書」という作品でした。
同年9月には岩波書店が同社初めての出版物として、漱石自身の自費出版・装丁(そうてい)という形ながらも、
『こゝろ』 として刊行しました。

考えてみれば・・・、
『こころ』も壮絶な愛と魂の「戦いの後先」だったことに変わりはありません。

「100年前」その時のいろんな人たちの「こころ」に思いを馳せながら、やはり「今」に考えを致したい。
そう思い考える、八月末の土曜日朝です。

読んでいただいて有り難うございます、佳き週末でありますように。


*明治40年に東京帝大を含めた一切の教職(の誘い)を振り切って職業作家として入社、「月給200円+賞与」の厚遇で、当時の社長が月給150円の時代。(1円≒現在の2万円)