北海道からの贈り物 続編。
日本のサケのほとんどは「シロザケ」だそうです。
(『魚の基本』より)

親子セット。

「内包対比」でしょうか、
社会 VS 個人 を思わせます。

鮭の筋子(すじこ)、
「鮭卵」をイクラと読んでもいいようです。
DCIM0079














・・・何気なく書棚に目をやると、
『夜になると鮭は・・・・』(レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳:中央公論社・昭和60年7月初版)が そこに・・・。

タイトルは巻末近くの詩の題名です。

夜になると鮭は
川を出て街にやってくる・・・
(原題“At night the salmon move”)に始まるユーモラスな詩です。

この短い詩一篇を含む一冊が少しだけ話題になって売れたのは、
1985年ちょうど30年前の夏だったのです。
そのさらにちょうど2年前の夏には、
同じくカーヴァーの短編集、
『ぼくが電話をかけている場所』(同訳:同社)が出版されています。
『中国行きのスロウ・ボート』(村上春樹自身の短編集:同社)が刊行された年です。

この三冊は、
さらに、
『マイ・ロスト・シティー』(フィッツジェラルド短編集 村上春樹訳:同社・昭和56年初版で本棚には58年第7刷版)と並んで、
今宵NPに偶然手に取られて、
少しだけ読まれるのを 待っていました。


時の織りなす、
物の奇跡のようにも思えるのです。
まさに、
「夜になると本は・・・・」なのでした。


今夜、
まったく偶然に、
四半世紀ほど前の写真を、
古いアルバムの中から引っ張り出しました。

1989年11月の日付け、
幼いGPとの七五三詣りのスナップ写真と、
同年1月1日の日付け、
同じく和歌山県白浜での観光写真です。

後日何気なく、
クラス掲示の生徒全員写真に紛(まぎ)らせて、
そっと貼り出しておきます。


何も言わない、
何も語らない。



「時」に内包される「物」の本質が、
ここにあるような気がします。

時 VS 物・・・、
これも内包対比なのかも知れません。


だから、
ただ、一切は過ぎてゆきます
(太宰治『人間失格』末尾より)
・・・ということなのでしょう。


イヴイヴに相応しい夜になりました。

山下達郎の「クリスマス・イブ」が聴こえてきます♪♪♪。


読んでいただいて有り難うございます。