17世紀フランスの数学者ピエール・ド・フェルマー(1601年 - 1665年)の最終定理(Fermat's Last Theorem)・・・
3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組が存在しない、
という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。
3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組が存在しない、
という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。
フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、
長らく証明も反例もなされなかったことからフェルマー予想とも称されたが、
360年後にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、
ワイルズの定理あるいはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった。
[Wikipediaより]
(ここで n とは n乗のことで、おそらく画面上では再現できていないと思われます。)
先日援用させていただいた「哲学的な何か、あと科学とか」というサイトでは・・・、
このフェルマーの最終定理の意味を理解するのは、
とても簡単だ。
結局のところ、フェルマーの最終定理とは――
Xn+Yn=Zn という数式について、
n = 2 の場合、
つまり、
つまり、
X2+Y2=Z2 の場合は、32+42=52 (X=3,Y=4,Z=5)という解が見つかるけど、
n ≧ 3 (n が3以上)の場合、
n ≧ 3 (n が3以上)の場合、
つまり、
X3+Y3=Z3 や
X4+Y4=Z4 や
X5+Y5=Z5 の場合は、
その式を満たす自然数 X、Y、Zは、絶対に存在しないよ~
と言っているだけの話である。
・・・と記されています。
Xのn乗+Yのn乗=Zのn乗で、
n=1の場合、
X=1、Y=2、Z=3で成り立ちます。
n=2の場合、
X=3、Y=4、Z=5で成り立つわけです。
これは「ピタゴラスの定理」ですね。
どちらも美しい数字の並びです。
n=0でも成り立つように見えますが、
あらためて、
0は自然数ではないことを再認識します。
X=0、Y=0、Z=0では、
X=Y=Zになってしまいます。
X ≠ Y ≠ Zでなければなりません。
これは自明つまり公理系です。
それに美しくありませんね。
では、なぜ、上記Wikipediaで「0でない自然数」と断り書きがあるのでしょうか。
高校までの数学では、
0は自然数ではないというのは「公理」なのですが、
大学以上の数学では、
0は自然数であるという立場もあるそうです。
このように・・・、
「公理」というのは、
正しい・正しくないの二元論で分けて、
「正しい」としているために、
間違っていないが正しさも証明されていない、
という、
まさに逆説(パラドクス)的な領域が存在することを、
排除しているように見えます。
そこにまた数学的問題も生じるということです。
・・・美しい解があるような気がするのですが、
n が3以上では成り立たない。
それを八年がかりで証明したワイルズは・・・、
一度公開公表(1993年)した証明の最終部分にミスがあることで、
さらに一年悩みぬいて1994年に最終証明を完了させています。
「二十世紀に起こったもっともドラマティックでもっとも感動的な出来事のひとつ」
(ロジャー・ペンローズ「NYタイムズ・ブックレビュー」=下記文庫本の裏表紙=より)
・・・でした。
成り立つことの証明ならアグレッシヴ(積極的・攻撃的)に思えますが、
成り立たないことの証明でも研究者にとっては多分同じなのでしょうね。
ある命題があって、それは正しいとします。
その正しさの中では、真偽は証明できません。
(ゲーデルの不完全性定理2)
フェルマーの最終定理は、
それが正しい正しくないという問題よりも、
成り立たない(解無し)ということが成り立つ(解)という証明であり、
本人が証明を残さないままであったため、
「予想」になってしまい、
3世紀の時を経て「定理化」されたのです。
・・・以上、
サイモン・シン著で青木薫訳、
『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)を読み返し、
つまみ読みしながらのガクシュウ(う~ん「愕習」かな)です。
この本のちょうど真ん中辺りには・・・、
二十五歳の無名の数学者クルト・ゲーデルの一篇の論文によって、
ヒルベルトの夢が永遠に叶わぬものになった・・・という、
前回お伝えした「ヒルベルト・プログラム」に関するエピソードや、
「第一・第二不完全性定理」という命題と解説も載っています。
当然リンクしているということです。
さらに、
何度も読んだ本ですが・・・、
数学者・藤原正彦さんと作家・小川洋子さんの共著(対談書)、
n=1の場合、
X=1、Y=2、Z=3で成り立ちます。
n=2の場合、
X=3、Y=4、Z=5で成り立つわけです。
これは「ピタゴラスの定理」ですね。
どちらも美しい数字の並びです。
n=0でも成り立つように見えますが、
あらためて、
0は自然数ではないことを再認識します。
X=0、Y=0、Z=0では、
X=Y=Zになってしまいます。
X ≠ Y ≠ Zでなければなりません。
これは自明つまり公理系です。
それに美しくありませんね。
では、なぜ、上記Wikipediaで「0でない自然数」と断り書きがあるのでしょうか。
高校までの数学では、
0は自然数ではないというのは「公理」なのですが、
大学以上の数学では、
0は自然数であるという立場もあるそうです。
このように・・・、
「公理」というのは、
正しい・正しくないの二元論で分けて、
「正しい」としているために、
間違っていないが正しさも証明されていない、
という、
まさに逆説(パラドクス)的な領域が存在することを、
排除しているように見えます。
そこにまた数学的問題も生じるということです。
・・・美しい解があるような気がするのですが、
n が3以上では成り立たない。
それを八年がかりで証明したワイルズは・・・、
一度公開公表(1993年)した証明の最終部分にミスがあることで、
さらに一年悩みぬいて1994年に最終証明を完了させています。
「二十世紀に起こったもっともドラマティックでもっとも感動的な出来事のひとつ」
(ロジャー・ペンローズ「NYタイムズ・ブックレビュー」=下記文庫本の裏表紙=より)
・・・でした。
成り立つことの証明ならアグレッシヴ(積極的・攻撃的)に思えますが、
成り立たないことの証明でも研究者にとっては多分同じなのでしょうね。
ある命題があって、それは正しいとします。
その正しさの中では、真偽は証明できません。
(ゲーデルの不完全性定理2)
フェルマーの最終定理は、
それが正しい正しくないという問題よりも、
成り立たない(解無し)ということが成り立つ(解)という証明であり、
本人が証明を残さないままであったため、
「予想」になってしまい、
3世紀の時を経て「定理化」されたのです。
これで標題の考察自体は終了です。
最初で最終でもいいかな。
・・・以上、
サイモン・シン著で青木薫訳、
『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)を読み返し、
つまみ読みしながらのガクシュウ(う~ん「愕習」かな)です。
この本のちょうど真ん中辺りには・・・、
二十五歳の無名の数学者クルト・ゲーデルの一篇の論文によって、
ヒルベルトの夢が永遠に叶わぬものになった・・・という、
前回お伝えした「ヒルベルト・プログラム」に関するエピソードや、
「第一・第二不完全性定理」という命題と解説も載っています。
当然リンクしているということです。
さらに、
何度も読んだ本ですが・・・、
数学者・藤原正彦さんと作家・小川洋子さんの共著(対談書)、
『世にも美しい数学入門』(ちくまプリマー新書)を、
今また読んでみたくなりました。
『フェルマーの~』は生徒の誰かさんに貸し出し中なので、
急遽(きゅうきょ)新本を買いました。
『世にも美しい~』は職員室の貸し出し本棚にあるはずですが、
明日確認してみます。
最終定理に寄せて、
最初の一回で終了・・・、
それは数学の美しさに反する行為ですね。
(続きます。)
下のアレンジメントも二回目のアップです。
「最終開花&落花」も、
予想しながら撮り続けてみます。
数にも花にも、
上記繰り返し出てきた「美しさ」が共通しています。
今また読んでみたくなりました。
『フェルマーの~』は生徒の誰かさんに貸し出し中なので、
急遽(きゅうきょ)新本を買いました。
『世にも美しい~』は職員室の貸し出し本棚にあるはずですが、
明日確認してみます。
最終定理に寄せて、
最初の一回で終了・・・、
それは数学の美しさに反する行為ですね。
(続きます。)
下のアレンジメントも二回目のアップです。
「最終開花&落花」も、
予想しながら撮り続けてみます。
数にも花にも、
上記繰り返し出てきた「美しさ」が共通しています。
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