7月26日ご逝去との悲報を本日未明すぐのデジタル朝日配信で知りました。

先週発売の『音楽の友・8月号』には、
変わらずにカラー連載エッセイの、
「ピアニストだって冒険する」第39回目が載っています。

4月30日にはがん治療を経ての復活コンサートを開いたばかりでした。

素晴らしい名エッセイスト・著述家でもあったと確信しています。
当ブログでも2016/02/21に「ピアニストだって冒険する」の標題記事があります。
(ホロヴィッツ、ショーンバーグ関連のエッセイについてでした。)

若き日のNPが初めて買ったピアノ・ソロのCDは中村紘子さんのものでした。
(二番目は内田光子さん) 

中村紘子さんを知ったのは、
夫となった作家:庄司薫さんの小説が好きだったから・・・、
かも知れません。
同じく当ブログ2015/03/21に記事があります。
武庫川女子大での庄司さんの講演を聴きに行ったことがあります。

とてもとても残念なことに、
中村紘子さんのコンサートには、
遂に一度も行けず仕舞いでした。

下記Wikipediaには本当に悲しいことに、
すでにピアニスト人生を終えた日付が記されていました。
その下方に載っている「エピソード」、
真偽の程は分かりませんが、
とても印象的なので援用させていただきます。

また、
これも同様に定かならぬ告白記事・・・、
「音楽の友」連載エッセイにおいて詳しく知ったのですが、
ご自身の元師匠であった井口基成氏の「ハイフィンガータッチ奏法」を「正しくない」と批判して、
ジュリアード音楽院で「自然奏法」に改めるのに大変な苦労をしたことも伝わっています。


勇気ある凛とした生き方をされた稀代のピアニスト、
いまだに彼女のショパコン4位入賞を越える日本人は現れていません。
⇒(誤記訂正・8月2日付け、1970年内田光子さんの2位が最高位です。)

まったくの素人ファンの一人ですが、
ご冥福をお祈りいたします。


すでに何人もの人が視聴に来て、
追悼コメントも記されている、
「バラード 第1番」と、
「別れの曲(練習曲第10番)」とを、
繰り返し静かに聴いています。



☆☆☆中村 紘子(なかむら ひろこ、1944年7月25日 -2016年7月26日)は、日本のピアニスト。旧姓名、野村紘子。本名、福田紘子。1965年のショパン国際ピアノコンクールで、日本人として、田中希代子の1955年初入賞 以来、10年ぶり2人目の入賞者として広く知られている。 山梨県東山梨郡塩山町(現・甲州市)に生まれ、東京都世田谷区等々力で育つ。夫は小説家の庄司薫。紘子自身も後年著述業に進出した。

【エピソード】1999年ごろ、母校である慶應義塾中等部から招かれてリサイタルを行った際、演奏をはじめてもいっこうにおしゃべりを止めない生徒たちのあまりの態度の悪さに演奏を中断し、静かにしなさい、と叱責した。しかし生徒の方はそれで静かになったものの、保護者のおしゃべりはやまなかったという。また演奏終了後、楽屋に挨拶に来た校長から「よくぞ言ってくださいました」と声をかけられ、本来おしゃべりをやめさせるのは校長先生の仕事だろうに、世も末だ、と慨嘆したという。