『音楽の友・8月号』の連載エッセイ。
「ピアニストだって冒険する」第39回目のサブタイトルは「バーキン」、
冒頭文は・・・。

 このところ世を賑わせた、舛添前東京都知事の一連の報道を見ているうちに、ふと昔のことを想い出した。
 
舛添さんが、「ファーストクラスが何故いけないんですか」「香港の知事が二流のホテルに泊まりますか」などと強気の発言をし、世の反論を更に盛り上げたときのことだ。(なんで、東京とホンコンを同列で引合に出したのか分からないけど)

文章はこの後、N響初の「世界一周演奏旅行」に出掛けたときのことに移り、「日本が誇る大指揮者」岩城宏之さんが泊まるホテルの話題になってゆく。

そして舛添さんのフランス留学、ご自身のニューヨーク留学の話を踏まえて、抽象化は「価値観」。

さらにフランス・エルメスのブランド・バッグ「バーキン」 という象徴的な例が出る。「パークアヴェニューの妻たち」という本で最近読んだという、「あまりの馬鹿馬鹿しさにほとんど卒倒しそうになってしまった」超人気・超高額の「バーキン」ハンドバッグの「必要」性。

対比して「或る大国の元駐日大使夫妻のつつましい」話。

末尾の二文はこうなっています。

 ところで又舛添さんだけど、舛添さんがもし奥さん同行で、都知事としてニューヨークに行って、パーティーなどで例の「パークアヴェニューの妻たち」に出会ったなら、泡くってバーキンを買いに走ったかも。もちろん必要経費で


なんて洒落たエスプリ*とアイロニー**に満ちているのだろう、と感心しました。
特に最後の一文に盛られた「明るい毒気」。


最期ではないことを祈っています、第40回目があるのでは・・・と。


今朝は中村紘子さんのショパン「華麗なる円舞曲」「幻想即興曲」を繰り返し視聴しています。
ショパコンでの当時日本人最高位「4位」入賞(1965年)から、
おそよ半世紀に亘(わた)って・・・、

ご自身の生き方が弾き方そのもののように思えます。


あらためて合掌です。



*エスプリ(espritフランス語)・・・
精神、機知、才気。本来「肉体」に対しての「精神」の意味であるが、一般にはフランス人特有の機知のことをさすようになった。明晰(めいせき)さこそフランス的であるというように、エスプリも明晰、直截(ちょくせつ)で、間髪を入れず、ときには人の肺腑(はいふ)をえぐるような鋭さをもった表現であり、しかも理知的であることが理想である。エスプリはまた、その矢面にたった人が相手のことばを上回る機知をもってやり返すときに真価が出るのであって、笑って答えなければ愚鈍とみられてしまう。ユーモアが自己を客体化し婉曲(えんきょく)な表現となることが多いのに対して、エスプリはあくまでも主観的で、遠慮や気どりを排斥した明快さに特色がある。
[「日本大百科全書」船戸英夫・解説より]

**アイロニー(irony)
日本語では「皮肉」と訳され、遠回しの非難、当てこすりの意味で使われるが、近代西洋語では、自分の意図する意味と反対の意味をもつ表現(たとえば「君はたいしたものだ」)によって、意図する意味(この場合は相手に対する軽蔑(けいべつ)を表す修辞技法を一般にさす。類比関係に基づかないという点で比喩(ひゆ)とは区別され、また肯定、否定を逆にするのでなく、反対概念を意味する点で修辞疑問と異なっている。元来は古典ギリシア語で「意図的に装われた無知」を意味するeirneiに共通の語源をもち、プラトンの『対話篇』中のソクラテスの態度をさすことが多かった。F・v・シュレーゲルは逆に、文学作品において作者の意図が達せられないことを表すために、ロマン的イロニー(アイロニー)という概念を提出した。演劇では、観客にはストーリーの結末がわかっていても、登場人物にはそれがわからないこと(たとえば『オイディプス』におけるように)をさし、転じて一般に意図せざる結末(「運命のいたずら」ironie du sort)を意味することがある。
[同上・土屋俊・解説より]
 

誤記訂正
当ブログ読者からのご指摘があり、NPの「勘違い」記述をお詫び訂正致します。
「歴代」となっていましたが、その5年後に内田光子さんの「2位入賞」があります。