ジークムント・フロイト『精神分析入門』*の第二部「夢」序盤記述から・・・。
(前出の河出書房「世界の大思想」による。)

「・・・夢は精神分析学的研究の対象になるのであります。夢もまた失策行為と同じく取るに足りないあふれた現象で、一見実際上の価値がないように思われます。夢は健康人にもあらわれるという点で、失策行為と共通しているからです。しかし、もし健康人にもあらわれるのであれば、それらの条件はむしろ失策行為よりはわれわれの研究にとって都合が悪いのであります。」

要は「夢には失策行為を軽視すべきではないこと以上に重要な意味がある」と言うのです。
(「失策行為」は下方wikipedia註では「錯誤行為」となっています。)

「失策行為」とは・・・、
①「言い違い」(「書き違い」「読み違い」という副次的な形式を含む。)
②「失念」(固有名詞・外来語・企図・印象によって細分化される。)
③「紛失」(「置き忘れ」「取り違い」、自発的な犠牲・反抗・自責とも。)
の三つにフロイトは分類しています。
(上記・第一部「失策行為」終盤記述から。)

これらを包括した意味と同等以上に、
「夢」にも、
分析理解できる意味や価値があるということです。

とりわけ「健康人」にとって・・・ですね。

失策行為も夢も、
村上春樹作品(今は『風の歌を聴け』『海辺のカフカ』など)読解に関わる重要素として、
捉えています。


「二百十日」ですが、
台風一過のように晴れ渡っています。

「健康人」に相応しい一日でありますように。


(続きます。)



*精神分析入門・・・
オーストリアの精神科医・心理学者フロイトは精神分析を提唱し、1915年から1917年にかけてウィーン大学で一般向けに講義を行った。本書はその講義の内容が編集をへて収録されている。その構成は第1部「錯誤行為」、第2部「夢」、第3部「神経症総論」、そして精神分析入門の続編から成り立っている。
フロイトは精神分析の研究を講義するために錯誤行為の知見を導入する。錯誤行為とは意図した行為とは異なる行為を行ってしまうことである。この現象を説明するためにフロイトは心理における葛藤のモデルを用いて錯誤の原因を明らかにしようとする。錯誤行為を心的行為であると把握すれば、錯誤行為は二つの意図の葛藤の表出であると考えられる。つまり何かをしようとする意図が存在するにもかかわらず、それを抑圧することが錯誤行為を行う不可欠の条件である。
フロイトは続いて夢の分析を行っている。夢をみる本人の心理には無意識の領域があると考えれば、夢と無意識との関係が問題となる。フロイトは夢を無意識的なものを歪曲した代理物として見なしており、夢を解釈する目的はこの無意識的なものを発見することと定められる。そもそも夢は願望を直接充足させるものであり、同時にそれは歪曲されて表出されるものである。つまり夢は睡眠を妨げる願望を幻覚的な充足により解決する心的作用である。
また神経症についての概説でフロイトは神経症の症状に対して精神分析のアプローチはどのような着眼点を提供するかを論じている。精神医学にとって神経症は患者の無意識が発現したものであり、錯誤行為や夢のように意味があると考える。