六月も明日三十日の「夏越の大祓」*でお仕舞いです。

旧暦では閏(うるう)五月の調整に入ったばかりなので、
明日が閏五月七日。

一か月と三週間余り、
旧暦に足して新暦の気候・季節感に同調できることになります。

平均的には、
「旧暦に一か月から一か月半足して新暦季節は進む」(NP)・・・、
という短歌擬(もど)きになっているようです。

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DCIM4050

ルピシア30の「さくらんぼティー」をのみながら、
福岡伸一先生の教えを学び続けています。

桜桃の月も明日まで動的平衡
(宏)



夏越祓に確かな意味があるように、
生命生物に関するあらゆる不思議にも必ず意味があるようです。


超専門的で高度で先進的な理論ばかりではなく、
「なぜ学ぶのか」についても、
福岡ハカセの明確な答えが載っています。

暫(しばら)くは考えを巡らせてから、
下方の回答を読んで下さい。


シンプルイズベスト納得します。
勉強も学習も学びも同じように思えてきます(^o^)丿。

よかったら本書を入手して、
この項を探して読んでみて下さい。



*夏越の大祓(なごしのおおはらい・おおはらえ)・・・
民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。6月のものを「夏越の祓」、「名越の祓」(なごしのはらえ)または「夏祓」「夏越神事」「六月祓」などとも呼ばれ、12月のものを「年越の祓」と呼んでいる。拾遺和歌集に「題しらず」「よみ人知らず」として、「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」という歌にも見える。
夏に挙行される意味として、衣服を毎日洗濯する習慣や自由に使える水が少なかった時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で、残りの半年を疫病を予防して健康に過ごすようにする意味があったのではと考えられている。またこの時期は多くの地域で梅雨の時期にあたり、祭礼が終わると梅雨明けから猛暑と旱(ひでり)を迎えることになるが、この過酷な時期を乗り越えるための戒めでもあった。
応仁の乱で宮中行事として廃絶した以降は、神仏習合の影響で民間でも行われることはほとんどなくなった。元禄4年(1691年)に再興されたものの内侍所や一部の神社に限り、「夏越神事」「六月祓」と呼ばれて形式的な神事のみが伝わるだけだったなど、わずかしか執り行われていなかった。
1871年(明治4年)の太政官布告では、「夏越神事」「六月祓」の呼称を禁止をして大祓の復活が宣ぜられた。これにより神仏分離が行われた全国の神社でも毎年の大祓が行われるようになった。戦後になると「夏越神事」「六月祓」の呼称も一部では復活し現在に至っている。
【茅の輪くぐり(輪抜け)】
夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うというものである。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたとされる。




Q:
なぜ、学ぶことが必要なのか(第1章:脳にかけられた「バイアス」最終節の小題)

A:
私たちを規定する生物学的制約から自由になるために、私たちは学ぶのだ(福岡伸一)


「直感に頼るな・・・つまり私たちは、直感が導きやすい誤謬(ごびゅう)を見直すために、あるいは直感が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ、勉強を続けるべきなのである。それが私たちを自由にするのだ。」(同)




ほど近い所から「同一カード3連敗の七連敗」という放送が聴こえてきます。
直感に頼らないオーダーを組んで、
プロ野球チームも立て直したいものです。

セリーグでもう一つ好きなチームには、
直感(&お金)に頼らない「育成の力」があるようです。
「育成」とは「学びを育て成すこと」に他なりません。

「育成」から這い上がってきた本校OBの西田選手、
二軍で懸命の調整登板を続ける同 藤浪投手、
今こそ「学んだ力」を発揮して・・・、
ガンバレ先輩!!

ガンバレ後輩!!

ガンバレみんな。
ガンバレじぶん。