白露の九月七日にスーパーの花コーナーで買い求めて、
22日目です。
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ずっと備前焼きの花瓶に活けてありました。
丈の高さは、
さすがに三分の一ぐらいの印象にまで低くなりました(水切り)。

でも「健気(けなげ)」です。
普通は年少者や弱いものが困難に向き合ってゆく強さを称える言葉で、
「殊勝(しゅしょう)」に近いのですが、
ここでは「格別にしっかりとした様子」という意味です。


「殊勝」の方は心がけが感心なことですが、ここでは「とりわけすぐれているさま」で、こちらには
「もっともらしい神妙な様子」という別意もあります。




















折よく、
ずっと以前に在職中の松岡たけを先生からいただいた、
「正岡明」氏の紹介チラシが見つかりました。
氏は「樹木医 作庭家 子規の孫」を自任されています。
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この子規画(仰臥漫録ぎょうがまんろく:死去する前年の1901=明治34年9月・10月の日記が主な内容)にあるように、
子規のじっと見ていた「十四五本もありぬべし」の鶏頭は、
本当は庭先ではなくて、
画中の詞書にあるように、
床屋さん(弟子かも)の持参した「鶏頭の盆栽」だったのです。

すごく大きな盆栽を思わせますね。

野生の鶏頭は、
こんなにひょろっとしながら長身で面長(おもなが)
それこそ健気・殊勝だったんですねえ。

だからこそ子規が、
その生命感のしなやかな強さ(強靭さ)に憧れたのでしょうね。

無骨な美しさと豊かさとを持っています。
「宿痾」(しゅくあ:宿病)と闘いながら、
最期まで花と食を愛し、
「健啖家」(けんたんか:食いしんぼ)でもあった、
子規そのものです。

九月の記事に間に合ってよかった。

子規忌は九月十九日でした。
標題のNP句には「二十日間」と「九月二十日」の意が掛けられています。
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