何回目か忘れました。
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先日の日帰り帰省の際に、
越前市天王町にある「いわさきちひろ*の生まれた家・記念館」に立ち寄ってきました。

JR北陸本線のサンダーバード停車駅「武生駅」から徒歩で行けます。
10時開館まで間があったので周辺にも足を伸ばしました。
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先週降ったらしい雪の名残があります。
母に言わせると、
「除雪車が出て表通りは通れるようになるが家の前に雪を押し付けられるので困る」
・・・らしいです。
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館内は画像一切禁止です。
過日の「みんぱく」とは全く違います。


これも前回来た時と違う新たな企画で、
「ちひろのアトリエ」(畳の上の仕事机コーナー)が再現されていました。
机上の画材や文具を含めて、
手を触れることは勿論「御法度」です。


奥に小さめの新館が増設され、
そこでは今、
セルフで珈琲か紅茶を淹れて、
一杯無料で飲むことが出来ます。

飲み物で汚さないように気遣いながら、
さすがに蔵書本棚の著作は、
自由に手に取って読むことが出来ます。







ゆったりと木製の特設椅子に座って、
同じく木製のテーブルに、
『戦火のなかの子どもたち』を広げて読みました。

ずっと読みたかった、
ちひろ最後の作品です。
(発注した「ひつじ書房」のおばあちゃんからは連絡がありません。)


ベトナム戦争のことがモティーフですが、
文章自体は少なく、
日本の太平洋戦争や原爆のイメージも重ねられているようです。

彼女は「子どもの幸せと平和」を願い続けました。
『戦火のなかの子どもたち』を著した1973年は、
アメリカ軍が日本の基地から飛び立ってベトナム空爆を盛んに繰り返していた年でした。

ちひろの「命がけの静かな叫び」は、
彼女自身の命には間に合ったのです。

翌1974年に肝臓癌で55歳の生涯を閉じています。


ちひろの詩ではなく、
彼女へのオマージュ、
NPの詩です。


愛するもののために

戦争は繰り返される
戦火は子どもから奪う
愛するもの
愛されるもの

おとなはなぜ
愛する子どものために
戦争をやめることを
できないのだろう

愛された記憶のある人は
愛することをやめてはいけない

愛された記憶のない人は
愛することをあきらめてはいけない

平和のための戦争を
命をかけて止める

戦争のための戦争を
命をかけて戦う

そんな時代を
けっしてゆるしてはいけない

おとなたちは
子どもたちを

人は人を

愛することをやめてはいけない
愛することをあきらめてはいけない

愛するもののために
愛されるもののために

ちひろがそうであったように

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上り大阪方面行きホームから、
遠くに紫式部の詠んだ越前富士「日野山」**です。
このアングルだと、
左側が少しへこんで見えます。


*いわさき ちひろ(本名:松本 知弘、旧姓岩崎)・・・
1918年12月15日 - 1974年8月8日は、子供の水彩画に代表される日本の画家、絵本作家。福井県武生市(現在の越前市)生まれ。左利き。 常に「子どもの幸せと平和」をテーマとした。
初期作品には、岩崎ちひろ、岩崎千尋、イワサキチヒロ名義で発表されたものが存在する。夫は日本共産党元国会議員松本善明。孫は絵本作家の松本春野。
(中略)
・・・ちひろは「子どもの幸せと平和」を願い、原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいった子どもたちに心を寄せていた。1967年『わたしがちいさかったときに』は稲庭桂子の勧めで、作文集『原爆の子』(岩波書店版 長田新編)と詩集『原子雲の下より』(青木書店版)から抜粋した文にちひろが絵を描いて出版されたもの。1972年、童画ぐるーぷ車の展覧会に「こども」と題した3枚のタブローを出品。これがきっかけとなって制作された、ベトナム戦争の中での子どもたちを描いた1973年の『戦火のなかの子どもたち』がちひろ最後の絵本となった。1973年秋、肝臓癌が見つかる。1974年8月8日、原発性肝臓癌のため死去。
[Wikipedia参照編集]

**日野山の歌・・・
ここにかく日野の杉むら埋む雪
  をしおの松にけふやまかえる
(紫式部962年)⇒当ブログに既出解説あり。