捜査一課刑事の加賀恭一郎が、
学生剣道日本一だった時から、
NPはよく知っています。

それは勿論東野圭吾作品の中でという意味ですが、
彼がデビューした『卒業』(1986年初刊)は、
トリックの「雪月花ゲーム」の謎が面白くて何度も読み直しました。

とても気になるキャラだったので、
その後独立したシリーズの主役になって、
「やはり」と感じました。

でも『新参者』(2009年初刊)あたりから、
「何か違うな」と思い始めて、
少し遠くなってゆきました。

映画化されたような、
作品遡ってドラマ化されたような、
阿部寛さんのイメージではなかったからです。

では他のどの俳優なのかと言われると、
ドンピシャ嵌(はま)らず困ってしまうのですが、
かなり違和感があって映画もドラマも見ませんでした。

でも今回思い切って初めて「阿部恭一郎」を見て、
彼が何故独身のままなのか何故一課刑事になったのか、
そして何故日本橋勤務なのかと共に違和感も氷解しました。

映画『祈りの幕が下りる時』はMBSラジオで、
映画評論家でもあるパーソナリティ浜村淳さんがかなり長々と紹介されたように、
心底の予想通りに「暗い辛い切ない」作品でした。

生徒には薦めませんね(黙っとこー)、
一人で見に行ってよかった泣くからじゃなく、
阿部寛さんも松嶋菜々子さんも演技力が高く悲し過ぎます。

でもだからこそ、
警視庁へ戻ってゆく(これは所謂いわゆるネタバレでは無いと信じています…)加賀恭一郎は、
阿部寛さんでよかったのだと。

ただ「祈りの幕が下りる時」を迎えてしまったために、
このあとに繋がるライトモティーフが無くなってしまったようにも思えるんですよ、
そこがガリレオシリーズ(福山雅治さん主演)との大きな差異なんですね。

『容疑者Xの献身』について記すチャンス(森田貴之くんの「国語便覧」)が来た時、
偶然ではなく『祈りの幕が下りる時』を見に行く決意が固まったということ、
これは例によって大袈裟ではなく「シンクロニシティ」なんですよ。

分かりやすく言えば、
「偶然の一致に意味を見出すこと」
「意味ある偶然の一致」ですね。

ふう、
まあ、
いい。

でも暗かったな、
辛かったな、
切なかったな。

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