「逆説」を語るプロローグとして、
「新明解国語辞典・第七版」の「逆説」を引いてみます。

逆説・・・表現の上では一見矛盾しているようだが、よくよくその真意を考えてみるとなかなか穿(うが)った説。例、「急がば回れ」など。「逆説的に言うならば」〔広義では、パラドックスをも指す。〕

この辞書は明らかに「逆説」というよりも「逆説的」の説明をしているように見受けられます。
(念の為「逆接」ではありませんからね御注意を。)

では本説明・・・、
ずっと以前に当ブログに連載したものを集約して再編集しています。
(A~J までの十項目仕立て)


A【 「逆説(パラドックス)」は次の「三位一体型対比構造」を持っている。】
1  正しいようで正しくない
2  正しくないようで正しい
3  正しいか正しくないか決められない

B【有名なパラドックスの例】
①ゼノンの四つのパラドックス・・・a 二分法 b アキレスと亀 c 飛矢静止 d 競技場の馬車 
②プラトンの「探求のパラドックス」
③ソクラテスの「無知の知」と「徳のパラドックス」
④砂山のパラドックス
⑤テセウスの船
⑥全能者のパラドックス
 【その解析】
①′ a 中間点の無限成立による移動不可能
   b 追いついた時には必ず僅かでも前方にいることの無限連鎖で追い越せない
   c 飛行中の定点における瞬間停止の無限成立による静止不動
   d 競技場で重なって見える馬車同士が同時に逆方向に移動する時の観客席から見た運動認識不可能
 
②′ 探求するためには対象が何であるか知っていなければならず、知っているなら探求は成立しない。
③′ ソクラテスは最も知恵ある者とされたが、その知とは自分は何も知らないという自覚であった。さらにこうも言った・・・徳は善の知識として教えるものだが、人の道である以上悪に辿り着くことがある以上、徳は教えることができない。
④′ 砂山から数粒ずつの砂を減らしていった時、砂山でありながらいつしか砂山ではなくなる。
⑤′ ギリシャ神話でテセウスが若者たちとクレタ島の旅から帰還して以後、一つずつ船の部品を新しく交換してゆく時、最後に全ての部品を交換し終わってもテセウスの船と呼べるか否か。 
⑥′ 全能者は自分が解けないような問題を作れるかという問いにおいて、作れるなら彼は解けないから全能者ではないし、作れないなら彼は全能者ではない。     

C【パラドックスということを考察する】(16字・句読点なし、以下同じ)⇒言葉の逆説遊び
『この文は十六字で構成されている』この文自体は15字で構成されているので正しくない。
『この文は十六字で構成されていない』この文自体は16字で構成されているのでやはり正しくない。・・・さて、このジレンマをどう考えたらいいのだろうか? 

D【ジレンマ(内在対比⇒二律背反・自己矛盾・アンビヴァレント)】
パラドックスは、それ自体が「対比」を利用していることになる。特に内在対比・重複対比(類比)。
ゼノンの四つのパラドックスは、いずれも数学の微分積分法や無限極限という思考方法と密接な関係がある。例えば、或るジレンマ(アキレスは亀に追いつけない)を打ち破る計算式も、ネット上には載っている。 

E【「自分という逆説」】
自分は一瞬後には今の自分ではなくなり、やがて(8年後に)完全に自分ではなくなるが、自分は自分であり続ける。・・・人の体は新陳代謝を組織細胞の末梢(まっしょう)単位で繰り返しているため、一瞬後にはもちろん「テセウスの船」のようになり、人体(の全ての部位)が完全に入れ変わるのに8年かかるという説をとれば、8年後には全く別人の自分が存在することになる(諸説あり)。
しかし、自分は自分なので、ではアイデンティティ(自己同一性)とは?・・・ということ。


F【さらにBの追補としての「背理」】
逆説は「背理」「逆理」とも言う、以下は背理の象徴例。
⑦「すべてのクレタ島人は嘘つきだ(クレタ島人はいつも嘘をつく)と、あるクレタ島人が言った。」
・・・エピメニデスの「嘘つきのパラドックス」として有名。「この文は偽である。(この文は真ではない。)」も同様。しかし、「この文は真である。」は逆説ではない。
⑧「自分の髭を剃らない床屋は村人ではない。」
・・・ラッセルの「集合のパラドックス」として考察。人をある集合に含まれる人と、その集合に含まれない人とに分ける場合に、どちらにも入る人はどちらにも入れない。
「村人の男性すべては床屋に髭を剃ってもらう、では床屋の男性自身は村人ではない。」
(→重複対比という考え方で解決できる。)
⑨「2つの干し草の完全な真ん中におかれたロバはどちらに行くべきか迷い餓死する。」
・・・ビュリタンの「ロバのパラドックス」として微笑。(あまり笑えない・・・ロバを一人の独身男性に、干し草を全く同じ双子の美人姉妹に置き換えてみると切実・・・)。
⑩「この命題は証明不可能である、は正であり得るし、証明不可能であるからと言って偽ではない。」
・・・ゲーデルの「不完全性定理のパラドックス」として苦笑。「ひとつの公理系において、正しいとされるその枠内では、その中の正しくない偽を証明できない。」
⇒ゲーデルはこれを完全証明した。

G 【逆説は絶対的に逆説であり得るか。】
例えば①dの「競技場の馬車」や、④の「砂山のパラドックス」を分かり易く言い換えてみる。
前者は、つまり移動ひとつぶんなのに二つぶんに相当するのは不可解、ということ。
後者は、要するに砂山がどこから砂山と呼べなくなるかは分からない、ということ。

「逆説とは相対的であるべき前提・過程・結論の設定に絶対性を適用して生じた矛盾」

ゆえに、「逆説自体は絶対的では無い」。
ところが、この文言自体、「相対的であることが絶対的」でない限り成立しない。
果たして「相対即絶対」や「絶対即相対」は成り立つのか。
あたかも「色即是空」「空即是色」という「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の世界観。

H 【シュレーディンガーの猫「認識と存在」】
「認識論」と「存在論」を重複対比的に捉える端緒としての逆説。
⑪「シュレーディンガーの猫」
物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーが、第2次世界大戦中にオーストリアからアイルランドに亡命していた時、量子力学の確率解釈に反対して提出した思考実験。

蓋(ふた)のある箱の中に猫を一匹入れ、放射性物質のラジウム一定量と、ガイガーカウンター1台、青酸ガスの発生装置を1台入れておく。ラジウムからアルファ粒子が出れば、ガイガーカウンターが感知して青酸ガス発生装置が作動し、ガスを吸った猫は死ぬ。ラジウムからアルファ粒子が出なければ、発生装置は作動せず、猫は生き残る。蓋を閉めて一定時間経過後、猫は生きているか死んでいるか。

形而上的な【逆説】と捉えた場合・・・猫は生きているが死んでいるという中間的存在である。
 【解析】
猫の生死はアルファ粒子が出るかどうかで決定する。アルファ粒子は原子核のアルファ崩壊によって放出される。例えば箱に入れたラジウムが1時間以内にアルファ崩壊してアルファ粒子が放出される確率が50%だとする。この箱の蓋を閉めてから1時間後に蓋を開けて観測したとき、猫が生きている確率は50%、死んでいる確率も50%である。したがって、この猫は、生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっている、あるいは並行して成立している、と解釈しなければならない。
しかし・・・猫が生きている状態と猫が死んでいる状態という別々の状態を認識することはできるが、「生きている」と「死んでいる」重なりあった状態を認識することはない。
=「確率50%という存在状態」は「実際には有り得ない」。

いわゆる重複対比もしくは三位一体対比・・・。
こう置き換えられる。・・・50名のクラスでテストをしたところ、100点が25名、0点が25名、つまり平均点は50点。しかし、このクラスには50点の生徒は誰一人として存在しない。「平均点」あるいは「平均値」とはこのように、実際には存在しない状態であることも多い・・・ということ。

I 【Aの反復補強】
三位一体型・重複対比の一例として「逆説」を挙げられる。
(「矛盾」の内在対比とはまた異なって)・・・、
逆説(パラドックス)とは
①正しい ②正しくない ③正しいか正しくないか分からない 
という三つの状態の同時成立・重複対比。

「認識論」と「存在論」とを重複対比的に捉えると、
「認識しなくても存在する」「存在しなくても認識する」という状態は当然ながら有り得る。
さらに、
認識論においては、
a認識するb認識しないcどちらとも言えない、
存在論においては、
a存在するb存在しないcどちらとも言えない、
・・・という三位一体型対比としてそれぞれ捉えることが出来る。


J 【双子の宇宙旅行のパラドックス ~宇宙の旅は続く~】
このパラドックスを理解(解明ではない)するには、アインシュタインの「時計のパラドックス」や特殊相対性理論(1905年)・一般相対性理論(1915‐16年)、さらに慣性系・運動系・加速系といった説明語を学ばねばならない。
⑫「双子の宇宙旅行のパラドックス」
ポール・ランジュバンが1911年に出した・・・「光速に近い速度」の「宇宙船に乗る兄と地球に残る弟」で「加齢の逆転」が「双方に起こる」・・・というもの。
「Uターンして戻ってくるのだから解決できる」とする説もある。
これはNPいまだに理解・解明できず、遥かな宇宙旅行のようなもの。


逆説だけではなく言葉の旅を、
これからも宇宙を感じながら続けてゆきます。