2013年10月4日~5日に当ブログで三回
「純文学と大衆文学の違い」について…
当時教えていた生徒さんから貰った質問
などに答えるかたちでNP述べています。
純文学と大衆文学の違い : NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅
重複対比なども本格的に解説していた頃
硲(はざま)についても当時の方が学究的
に且つ具体的に論じていますね…八年前
の生徒さん凄いです…NP自身は凋落一途。
凋落(ちょうらく)とは…本気で考える姿勢
や調べ学習含め語彙力・考察力に於いて…
ということですね…センター試験に向けて
中高一貫生の指導六年目の秋でしたから。
八年後の今…宮本輝さんの作品に標題の
硲を特に感じます…『流転の海』第二部
『地の星』を読み終え…一旦休憩を挟み
『花の降る午後』を再再読していました。
どちらも息を継がせぬ構成展開の面白さ
と迫真の描写表現力を持つ凄い作品では
あるのですが… 汎(はん)用性(一般論的)
の面でこんな陥穽(かんせい:落とし穴)
を感じてしまうのです…如何でしょうか
「深いと純文学で面白過ぎると大衆文学」。
宮本輝さん御自身は「面白い小説を書く」
という理念を持っていらっしゃるとのこと
を何かの後書きで見受けましたが… ただし
「面白いだけ」は「ラノベ」「エンタメ」
の虞(おそれ)あり…「大衆」の支持は即ち
「通俗」に堕してしまう懸念もあります
(それがよいという議論はまた別卓にて)
… 通俗に普遍(時空を越えた価値や意義)
は果たして有り得るのかと自問自答です。
『地の星』に純文学性を見出だしながら
『花の降る午後』に大衆文学性を感じて
ほんの硲のわずかなニッチ(隙間)… 文学
作品を書き分けるつもりもない作者には
言いがかりのような問いになってしまう
… こんなことを考えながら『花の~』の
次は又村上春樹さんの『1Q84』に戻り…。
「純文学と大衆文学の硲はありますか」
「純文学は大衆文学よりも普遍ですか」


現時点でひとつ大きくイメージ出来るのは
リアルであろうとすればするほど普遍から
遠ざかるのではないかということ
なのです。
とすれば『1Q84』にはそのリアルが…
程よく欠けているという「逆説」つまりは
「ノンリアルに普遍あり」…?
そして「文庫本の巻末解説」にもまた「純文学型」と「大衆文学型」があるのではないかと…。
画像の北上次郎さんは後者で
第一部『流転の海』の小川洋子さんは前者であるような…。
これが結論ではないので暫くまだまだ「文学の硲の旅」を楽しみます。
一週間以上も当ブログを更新出来なかったのですが
来訪者はむしろ増えていて有り難い限りです。
それにしても『花の降る午後』の文庫本 新装版表紙絵には「フオン」を感じますね。
このフオンの書き取りと意味を高二の「国語演習」一学期中間考査で出題しました。
この一週間は高一の「国語総合」と二種類の定期考査作りに「シンギン」して…。
さて
それでは漢字クイズです…冒頭のバックナンバー記事の頃には…
ずっと「らも検」という漢字クイズテストを定期的にブログ上
で実施していました… 懐かしいな「ライトモティーフ検定」。
縁語のような「フオンとシンギン」… 書き取りと意味は?
【三日後の追句】
梅雨入りの不穏呻吟早すぎて
時は今五月の雨にさみだれて
笋(たけのこ)の生えてうめいて厭(や)な予感
2021/05/16~5/20は
二十四節気「立夏」の末候にあたる期間
七十二候「竹笋生(ちくかん しょうず)」
… たけのこの生える頃… 陰暦卯月前節で
2021年入梅(雑節)の6/11までは約25日も
あるのに近畿・東海は5/16梅雨入り宣言。
不穏はいやな予感で呻吟はうめくこと
明るい句をつくれずに過ごしています。
「純文学と大衆文学の違い」について…
当時教えていた生徒さんから貰った質問
などに答えるかたちでNP述べています。
純文学と大衆文学の違い : NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅
重複対比なども本格的に解説していた頃
硲(はざま)についても当時の方が学究的
に且つ具体的に論じていますね…八年前
の生徒さん凄いです…NP自身は凋落一途。
凋落(ちょうらく)とは…本気で考える姿勢
や調べ学習含め語彙力・考察力に於いて…
ということですね…センター試験に向けて
中高一貫生の指導六年目の秋でしたから。
八年後の今…宮本輝さんの作品に標題の
硲を特に感じます…『流転の海』第二部
『地の星』を読み終え…一旦休憩を挟み
『花の降る午後』を再再読していました。
どちらも息を継がせぬ構成展開の面白さ
と迫真の描写表現力を持つ凄い作品では
あるのですが… 汎(はん)用性(一般論的)
の面でこんな陥穽(かんせい:落とし穴)
を感じてしまうのです…如何でしょうか
「深いと純文学で面白過ぎると大衆文学」。
宮本輝さん御自身は「面白い小説を書く」
という理念を持っていらっしゃるとのこと
を何かの後書きで見受けましたが… ただし
「面白いだけ」は「ラノベ」「エンタメ」
の虞(おそれ)あり…「大衆」の支持は即ち
「通俗」に堕してしまう懸念もあります
(それがよいという議論はまた別卓にて)
… 通俗に普遍(時空を越えた価値や意義)
は果たして有り得るのかと自問自答です。
『地の星』に純文学性を見出だしながら
『花の降る午後』に大衆文学性を感じて
ほんの硲のわずかなニッチ(隙間)… 文学
作品を書き分けるつもりもない作者には
言いがかりのような問いになってしまう
… こんなことを考えながら『花の~』の
次は又村上春樹さんの『1Q84』に戻り…。
「純文学と大衆文学の硲はありますか」
「純文学は大衆文学よりも普遍ですか」


現時点でひとつ大きくイメージ出来るのは
リアルであろうとすればするほど普遍から
遠ざかるのではないかということ
なのです。
とすれば『1Q84』にはそのリアルが…
程よく欠けているという「逆説」つまりは
「ノンリアルに普遍あり」…?
そして「文庫本の巻末解説」にもまた「純文学型」と「大衆文学型」があるのではないかと…。
画像の北上次郎さんは後者で
第一部『流転の海』の小川洋子さんは前者であるような…。

一週間以上も当ブログを更新出来なかったのですが
来訪者はむしろ増えていて有り難い限りです。
それにしても『花の降る午後』の文庫本 新装版表紙絵には「フオン」を感じますね。
このフオンの書き取りと意味を高二の「国語演習」一学期中間考査で出題しました。
この一週間は高一の「国語総合」と二種類の定期考査作りに「シンギン」して…。
さて
それでは漢字クイズです…冒頭のバックナンバー記事の頃には…
ずっと「らも検」という漢字クイズテストを定期的にブログ上
で実施していました… 懐かしいな「ライトモティーフ検定」。
縁語のような「フオンとシンギン」… 書き取りと意味は?
【三日後の追句】
梅雨入りの不穏呻吟早すぎて
時は今五月の雨にさみだれて
笋(たけのこ)の生えてうめいて厭(や)な予感
2021/05/16~5/20は
二十四節気「立夏」の末候にあたる期間
七十二候「竹笋生(ちくかん しょうず)」
… たけのこの生える頃… 陰暦卯月前節で
2021年入梅(雑節)の6/11までは約25日も
あるのに近畿・東海は5/16梅雨入り宣言。
不穏はいやな予感で呻吟はうめくこと
明るい句をつくれずに過ごしています。
コメント
コメント一覧 (2)
NP句会の川柳部門に応募いたします。
【ご投句拝受しました。NP】
昭和の風味溢れたうまい回答ですね、満天の星。
俳句や川柳にも「純句」「大衆句」があるのかも知れません。ジュンク堂の似合う前者と、体臭ただよう後者。はい、おあとがよろしいようで。