新暦/陽暦の12月15日(火)は…
旧暦/陰暦の霜月朔日(朔:新月)
(しもつき さくじつ/ついたち)
つまり十一月一日になります。
ちょうど一か月半の綺麗なズレ
…これが標準的な新旧暦の感覚。
仲冬に入ったことになります…
折しも今冬一番の寒気に襲われ
とても冷え込みますね…極めて
標準的なのですが温暖化の影響
なのか体には堪(こた)える寒さ。
ところで…更に極寒のロシアに
思いを馳せながら標題の曲の話。
ロマノフ王朝のみならず…
アナスタシアという名前は
これも標準的によくある(?)
らしくて…「目覚めた女」
「復活した女」という意味。
(ちなみにディミトリは…
「守る男」「防御する人」)
先月の芸術鑑賞会で堪能した
宝塚歌劇・宙組ツートップの
配役(星風まどか・真風涼帆)
なのですが…娘役の星風さん
引退を表明しましたね…成程
「名は体を表す」のですね。
そのロマノフ家(ロシア帝国)
も国旗として掲げていたのが
「双頭の鷲」エンブレムです。
(東&神聖ローマ帝国やオーストリア&
ハンガリー・ドイツ帝国や現在でも
セルビア・アルバニア・ドイツ更に
ロシアなどの国章に使用されている)
今朝は行進曲としてよく知られている
「双頭の鷲の旗の下に」(1902年作)を
小澤征爾指揮からピアノ曲そして更に
ブルーグラス(ギターストリングス)等
いろいろ聴いてみました…リヒャルト
・ワーグナーではないJFのつく方で
ヨゼフ・フランツ・ワーグナーの作曲。
仲冬の朝にブルーグラスやカントリーを聴く…
しかも行進曲ですからね…これをミスマッチと
言うのかどうか…一種のフュージョンでしたね。
そして1902年は…セルゲイ・ラフマニノフが
前年11月に後の人気曲となる超有名な出世曲
「ピアノ協奏曲・第2番ハ短調」を完成初演
した直後…29歳で従姉妹と結婚して「春」と
いう重苦しい曲を作った年のようです…これ
もまた何だかフュージョン的音楽史ですが…
昨日はそのピアノコンチェルト第2番をヘビ
ロテで(第1番と比べては)聴いておりました。
1902年(明治35年)は…されど、しかしながら
「日英同盟」が締結され…どうやらロシアの
南下政策に対抗するかたちで…やがていたる
「日露戦争」やむなしの機運の高まってゆく
そんな年でもあったのです…まだまだロシア
革命によってロマノフ家が崩壊して…やがて
ラフマニノフの亡命へと繋がる1917年迄には
少しだけ間があったということなんですね…。
『ロマノフ家 12の物語』中の絵画や写真に
触発されて…ライトモティーフ(小主題)連鎖
の「音楽と文学と歴史の旅」に漂っています。
で…仲冬に聴くブルーグラスは…悪くはない ♪♪♪
俳句で言うところの「二物衝撃」ですね。
【 双頭の鷲の話を相当の
和紙に包んでくどくど觧(ほど)く 】
(宏川)
旧暦/陰暦の霜月朔日(朔:新月)
(しもつき さくじつ/ついたち)
つまり十一月一日になります。
ちょうど一か月半の綺麗なズレ
…これが標準的な新旧暦の感覚。
仲冬に入ったことになります…
折しも今冬一番の寒気に襲われ
とても冷え込みますね…極めて
標準的なのですが温暖化の影響
なのか体には堪(こた)える寒さ。
ところで…更に極寒のロシアに
思いを馳せながら標題の曲の話。
ロマノフ王朝のみならず…
アナスタシアという名前は
これも標準的によくある(?)
らしくて…「目覚めた女」
「復活した女」という意味。
(ちなみにディミトリは…
「守る男」「防御する人」)
先月の芸術鑑賞会で堪能した
宝塚歌劇・宙組ツートップの
配役(星風まどか・真風涼帆)
なのですが…娘役の星風さん
引退を表明しましたね…成程
「名は体を表す」のですね。
そのロマノフ家(ロシア帝国)
も国旗として掲げていたのが
「双頭の鷲」エンブレムです。
(東&神聖ローマ帝国やオーストリア&
ハンガリー・ドイツ帝国や現在でも
セルビア・アルバニア・ドイツ更に
ロシアなどの国章に使用されている)
今朝は行進曲としてよく知られている
「双頭の鷲の旗の下に」(1902年作)を
小澤征爾指揮からピアノ曲そして更に
ブルーグラス(ギターストリングス)等
いろいろ聴いてみました…リヒャルト
・ワーグナーではないJFのつく方で
ヨゼフ・フランツ・ワーグナーの作曲。
仲冬の朝にブルーグラスやカントリーを聴く…
しかも行進曲ですからね…これをミスマッチと
言うのかどうか…一種のフュージョンでしたね。
そして1902年は…セルゲイ・ラフマニノフが
前年11月に後の人気曲となる超有名な出世曲
「ピアノ協奏曲・第2番ハ短調」を完成初演
した直後…29歳で従姉妹と結婚して「春」と
いう重苦しい曲を作った年のようです…これ
もまた何だかフュージョン的音楽史ですが…
昨日はそのピアノコンチェルト第2番をヘビ
ロテで(第1番と比べては)聴いておりました。
1902年(明治35年)は…されど、しかしながら
「日英同盟」が締結され…どうやらロシアの
南下政策に対抗するかたちで…やがていたる
「日露戦争」やむなしの機運の高まってゆく
そんな年でもあったのです…まだまだロシア
革命によってロマノフ家が崩壊して…やがて
ラフマニノフの亡命へと繋がる1917年迄には
少しだけ間があったということなんですね…。
『ロマノフ家 12の物語』中の絵画や写真に
触発されて…ライトモティーフ(小主題)連鎖
の「音楽と文学と歴史の旅」に漂っています。
で…仲冬に聴くブルーグラスは…悪くはない ♪♪♪
俳句で言うところの「二物衝撃」ですね。
【 双頭の鷲の話を相当の
和紙に包んでくどくど觧(ほど)く 】
(宏川)