当ブログの重鎮コメント氏のおひとり、
高知の「杏子」さんによる、
出口汪さん高知市での講演会レポートと感想です。
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これからの時代を生きていく上で最も大切なのは論理を学ぶことだ。言葉は人間のAIに勝る点であり、感覚では簡単に分かり合えない他者と、お互いに伝え合うための共通の規則が論理である。
高知の「杏子」さんによる、
出口汪さん高知市での講演会レポートと感想です。
☆☆☆☆☆
これからの時代を生きていく上で最も大切なのは論理を学ぶことだ。言葉は人間のAIに勝る点であり、感覚では簡単に分かり合えない他者と、お互いに伝え合うための共通の規則が論理である。
自然言語は抽象的で曖昧であり、ひとつの言葉が文脈によって意味が変わるものだが、その中にある論理を身に付けることが大切だ。そのためには活字の文章を読むことが有効である。活字は常に不特定多数の他者に向けて筋道立てて書かれたものであるからだ。同じような他者との感情語ばかりの狭い関係は、分かり合えているようで実は深く分かり合っていないため孤独なもの。日常的に「他者意識」を持ち話し方も変えることで言葉が習熟し、考え方が変わり、生き方も変わっていく。
だいたい以上のようなお話でした。「論理はないよりあるほうがいい」と仰ってましたが、「最低限の学力」とも仰っていたような気がします。その通りだと思う一方で、本来の高校の国語ってなんだろ~とモヤモヤしてしまいました。出口先生の仰る論理は科目を越えた日本語思考のルール、小学生で習うはずの国語(身に付けられていないけど)だと思うのです。今の高校生にはそこが足りないと見て私も指導してますが、はて、その辺が習熟した高校生が集えばもう各々探究型の学習でやっていけるってことでしょうか、経験がないのでワカリマセン。でもそうなれば塾もいらなくなりますね、将来。新しいなにかが必要ですね~[🐵]
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・・・実はこの二週間NPは、
御縁のある小学校女性教員(高校生お二人のママさん)のかたから、
「中学高校の国語教育につなぐために、小学校国語では何をどう教えておくべきでしょうか?」という夏課題をお預かりしていて、
これは意外存外に難問だったのです。
【NP回答】です。
三冊の本を御紹介して、
うち二冊を送らせていただき、
このような本の内容を中学で学習するに相応しい、
有機的文脈中の語彙力
知的で根気強い読解力
自律的で柔軟な考察力
創造的連係的な表現力
・・・などを養えるような教材を大事にして下さいね・・・という、
凄まじいマニュアルの裏の裏の裏技に(結局は裏)訴えることにしています。
でもルーティン・ワークたるカリキュラムは、
こんなに「自在性・自由度」は無いように思えますよ。
そして、
その二冊とは、
以前当ブログでも御紹介したことのある、
「おとなの楽習」シリーズ(自由国民社)の、
「文学史のおさらい」と「日本の名作おさらい」なのです。
この二冊に加えて、
今回入手が間に合わなかった、
「国語のおさらい」をおススメします。
☆☆☆☆☆
大人が「なんで中学生の時にちゃんと学ばなかったんだろう…」(表紙帯のキャッチ)と、
後で口惜しくも勿体無くも思い返すような「中学国語の楽習」を、
中学に上がったときに出来るような「心技体の基礎国語力」を、
繰り返し解いて説いて投じて問うて、
大人が小学生に教え諭して「楽習」させてやっていただきたい・・・と考えます。
心(こころえ)
技(やりかた)
体(たいけん)
これで充分なのではないでしょうか?
頭(かしこさ)を、
あまりにも重視し過ぎているのではありませんか?
国語がつまらなくなってくることはありませんか?
(NP国語の自戒をこめて)
学校の教員に代わって、
むしろ塾・予備校の指導者のかたが、
逆に小学校で学びきれなかった「国語の心技体」を、
中学高校で教えて下さっていることもあるような、
そんな気がしますよ。
☆☆☆☆☆
今回の高知行で、
杏子さんにも旦那さまの塾長さんにも、
十数年ぶりに直接お会いすることになっています。
聞いてみたいな~その辺り~♪
(下記「海」*メロで)
この「海」*とは、
言葉の海、心の海でもいいように思えますが・・・。
でも、
御存知ですね?
この歌は、
子どもたちに「行ってみたいな」と思わせ、
「舟」すなわち軍艦・軍用機に載せ、
「よその国」との戦争に誘う歌、
というメタファが指摘されるのです。
やがて太平洋戦争の「大波」が来て、
国家も人心も「ゆれて」荒廃してゆくのです。
こういったことを、
心
技
体を以て、
有機的に勇気を持って、
多面的に他面からも伝えるべきではないでしょうか?
*海(うみ)・・・
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・・・実はこの二週間NPは、
御縁のある小学校女性教員(高校生お二人のママさん)のかたから、
「中学高校の国語教育につなぐために、小学校国語では何をどう教えておくべきでしょうか?」という夏課題をお預かりしていて、
これは意外存外に難問だったのです。
【NP回答】です。
三冊の本を御紹介して、
うち二冊を送らせていただき、
このような本の内容を中学で学習するに相応しい、
有機的文脈中の語彙力
知的で根気強い読解力
自律的で柔軟な考察力
創造的連係的な表現力
・・・などを養えるような教材を大事にして下さいね・・・という、
凄まじいマニュアルの裏の裏の裏技に(結局は裏)訴えることにしています。
でもルーティン・ワークたるカリキュラムは、
こんなに「自在性・自由度」は無いように思えますよ。
そして、
その二冊とは、
以前当ブログでも御紹介したことのある、
「おとなの楽習」シリーズ(自由国民社)の、
「文学史のおさらい」と「日本の名作おさらい」なのです。
この二冊に加えて、
今回入手が間に合わなかった、
「国語のおさらい」をおススメします。
☆☆☆☆☆
大人が「なんで中学生の時にちゃんと学ばなかったんだろう…」(表紙帯のキャッチ)と、
後で口惜しくも勿体無くも思い返すような「中学国語の楽習」を、
中学に上がったときに出来るような「心技体の基礎国語力」を、
繰り返し解いて説いて投じて問うて、
大人が小学生に教え諭して「楽習」させてやっていただきたい・・・と考えます。
心(こころえ)
技(やりかた)
体(たいけん)
これで充分なのではないでしょうか?
頭(かしこさ)を、
あまりにも重視し過ぎているのではありませんか?
国語がつまらなくなってくることはありませんか?
(NP国語の自戒をこめて)
学校の教員に代わって、
むしろ塾・予備校の指導者のかたが、
逆に小学校で学びきれなかった「国語の心技体」を、
中学高校で教えて下さっていることもあるような、
そんな気がしますよ。
冒頭レポートの感想「Q」に対しても、
それは小学国語が「?」なのですから中学国語も「??」で、
習熟した高校生が集って探求型で仕上がってゆく可能性もまた「!?」である、
習熟した高校生が集って探求型で仕上がってゆく可能性もまた「!?」である、
という「A」を申し上げておく次第です。
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今回の高知行で、
杏子さんにも旦那さまの塾長さんにも、
十数年ぶりに直接お会いすることになっています。
聞いてみたいな~その辺り~♪
(下記「海」*メロで)
この「海」*とは、
言葉の海、心の海でもいいように思えますが・・・。
でも、
御存知ですね?
この歌は、
子どもたちに「行ってみたいな」と思わせ、
「舟」すなわち軍艦・軍用機に載せ、
「よその国」との戦争に誘う歌、
というメタファが指摘されるのです。
やがて太平洋戦争の「大波」が来て、
国家も人心も「ゆれて」荒廃してゆくのです。
こういったことを、
心
技
体を以て、
有機的に勇気を持って、
多面的に他面からも伝えるべきではないでしょうか?
海
(1941年3月 作詞:林柳波、作曲:井上武)
(1941年3月 作詞:林柳波、作曲:井上武)
海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日が沈む
海は大波 青い波
ゆれてどこまで続くやら
海にお舟を浮かばして
行ってみたいな よその国
*海(うみ)・・・
1941年(昭和16年)3月に発行された『ウタノホン(上)』にて発表。海の広大さを簡潔で力強い詞で歌った曲である。初出時の題名は片仮名の「ウミ」で、後に「うみ」に改訂され、さらに「海」と表記されるようになった。
「松原遠く消ゆるところ」で始まる「海」は、同名異曲である。1913年:大正2年に発行された『尋常小学唱歌 第五学年用』で発表。
作詞の林柳波・作曲の井上武士は共に1974年没のため、2024年まで著作権は有効である。
[Wikipediaより]
[Wikipediaより]