NPブログ - Leitmotiv ~言葉・論理・主題連鎖への旅~

カテゴリ: 新倉先生

何が「新」で
何が「旧」か
それは不透明

新暦と旧暦の
境い目も同じ
本日から晩夏

旧暦六月一日
水無月朔(さく)
の日 土用の丑

7月21日は 故
新倉和文先生
月命日ですね

ちょうど十年
前の今頃です
高槻のマクド

あのな余命が
一年なんよ癌
そう言われた

二か月半後の 中秋の名月に
「生きるとすれば人のため」
書きたい論文が二つあると…

メールがあり
それから一年
綺麗に逝った

喪失感の半端
無い生徒には
言葉も無くて

担当学年生徒
たちは今高校
卒業七年目夏

インターンの研修医
企業・起業の三年目
研究を継続中の学徒
浪人留年模索中の君

いろんな進路
あるけれども
偲ぶなら21日

他学年他学校
沢山の教え子
の集った通夜

弔いのホール
から商店街を
吹田駅へ葬列

思い出すなら
21日がいいね
明日は大暑だ


【実は健啖土用の丑に想ひ出す】


・・・・・・

IMG_20200721_075911
という前夜祭😅
神戸ハイボール
最終回(?)です

1 :5 で氷なしの
オレンジピール
これが「新定番」

そう言えば28期
生たちにご紹介
代替授業のご縁
まさにあの年度
小説コンクール
にネット応募の
女子生徒さん…
タイトル覚えて
いますよ 鳥肌…

『オレンジピール』


夏のことです~🎵🎵
思い出してごらん~
あんなこと~こんなこと~


あったね❗️
後白河法皇
の生き方を
あの頃随分
語っていた


【後白河法皇大暑に降臨す】


合掌

新倉和文先生

先生が 9月21日未明に逝ってから
まる七年の歳月が流れ去りました
七回忌が一年前でした早や八年目
男子校で十四年と本校で三年半の
空白期にはメールでノウハウ交換

台風休校の日でした今でも覚えて
います奥さまから学校に来ていた
当時 NT(ナカティ)だった私は
学年主任としても一友人としても
辛い朝のメール連絡を受けたこと

ST(シンティ)は生徒たちに取り
非常に特別な存在でしたカリスマ
というに相応しい今はもう職員室
にあれほどの質問や何気話の列が
長く長く出来ることはありません

今朝は先生が存命中にいただいた
「日本大歳時記」秋の巻を繙いて
中秋を感じながら少しだけですが
豪放かつ繊細で大胆かつ細心併せ
持っていた先生を偲んでいますよ

もうあんなに教材や作家や文学や
仏教や日常や何より生徒のことで
夢中になって話すことはないです
情熱なんて相対的で不確定なもの
それは色褪せて行く想い出のよう

この夏に先生が格別目をかけてた
元男子生徒二人と食事しましたよ
御期待通りに立派になって医学部
医学科で医師を目指していますよ
七年前の高一生ですSTの大ファン

先生いないからその後NPになった
自分と話してくれましたよ大丈夫
二人ともいいお医者さんになって
あなたがそうであったように人の
生きざまを語っていい仕事します


大谷本廟にお参りして菊花手向け
生前の感謝やあれからのご報告を
為すべきところを今秋は失礼して
先生は「第二芸術」とされていた
俳句の季語を学んでいますからね


黎明を突き抜けて満月のこころ
(NP宏)
DSC_3995
DSC_3997
DSC_3998



DSC_1076















本校国語科の客員教諭で、
龍谷大学・非常勤講師でもあった、
故新倉和文先生が満五十九歳で御逝去されて今日で、
ちょうど六年と五か月です。

七年目の春彼岸の中日は先生の月命日でもあります。
その日に下記の要領で、
ゆかりの方がたとともに御納骨堂への一斉お参りを致します。

奥さまの新倉敦子様のお彼岸参りに、
御一緒させていただくお赦しをいただきました。

どうぞ、
ゆかりの方がたどなたでも御遠慮なくお越し下さいますよう。

期日:3月21日(水・春分の日)
時間:11時~
場所:京都清水五条の「大谷本廟」(京阪・清水五条駅徒歩10分)
集合:正面石段を登り門をくぐってすぐ右手の控え所前

お参り後に、
ご都合のつく方がたと御一緒に、
本廟すぐ近くで会食予定(お好み鉄板焼きのお店など…)です。


【新倉さんの想い出・続】
新倉先生が亡くなった後、
いろんな彼の蔵書から、
教え子たちへの「形見分け」を致しました。

奥さまから相応しい本の全てを、
NPがお預かりしたので、
いろんな相応しい生徒さんたちに全てを差し上げました。

一点だけ…正確には五冊、
これは生前に直接いただいたようにも記憶しているのですが、
NPの自宅本棚に勿論今も大切にしている「形見本」があります。

『日本大歳時記』
(カラー図説 講談社版・監修:水原秋櫻子/加藤楸邨/山本健吉)
新年・春・夏・秋・冬の全五巻です。

職員室のNP貸本棚に置いて、
生徒たちにも自由に閲覧して貰ったり文化祭での展示用にしたりしましたが…、
今はこうして手元に置いてふと開けてみたりします。

NPが「俳句をやる」なんて想像だに出来なかった頃ですから、
シンクロニシティなんだろうなと今、
独り言(ひとりご)ちています。

「春」の一頁目…、
そこには初春の季語「旧正月」(今日は陰暦1月6日)の下に、
桜の木の写真が載っています。

新倉先生はJR学研都市線の野崎駅から徒歩で通勤していましたが…、
やがて一か月後には、
その線路沿い通勤路の桜並木が満開になります。

珈琲の大好きな人でした、
野崎駅近くの喫茶店で長々と話し込んだものです…、
毎朝NPが淹れている珈琲と共に撮ってみました。
DSC_1086 (1)
DSC_1087

本校国語科の客員教諭で、
龍谷大学・非常勤講師でもあった、
故新倉和文先生が満五十九歳で御逝去されて今日で、
ちょうど六年と四か月です。

七年目の春彼岸の中日は先生の月命日でもあります。
その日に下記の要領で、
ゆかりの方がたとともに御納骨堂への一斉お参りを致します。

奥さまの新倉敦子様のお彼岸参りに、
御一緒させていただくお赦しをいただきました。

どうぞ、
ゆかりの方がたどなたでも御遠慮なくお越し下さいますよう。

期日:3月21日(水・春分の日)
時間:11時~
場所:京都清水五条の「大谷本廟」(京阪・清水五条駅徒歩10分)
集合:正面石段を登り門をくぐってすぐ右手の控え所前


お参り後に、
ご都合のつく方がたと御一緒に、
本廟すぐ近くで会食予定(お好み鉄板焼きのお店など…)です。


【新倉さんの想い出】
現GP(hakki)が生まれて間もない頃に、
ベビーカーあげるよと言ってくれたので、
JR吹田駅前まで取りにゆきました。

当時一緒だった職場は中高一貫の男子校で、
職員室内は教科別にずっと同じ席で、
NP赴任時から隣席同士でした。

隣の彼の方から気軽に言ってくれて、
次の休日に喜んで受け取りに行ったのですが、
コンビのとても使い勝手よいスグレモノでした。

彼のお嬢さんが卒業したベビーカーで奥さまの御厚意の各種グッズも…、
チェンバロの好きなお嬢さんはずっと後にNPの大学後輩になるわけですが、
そんなことは勿論想像だにできず有り難く頂戴しました。

初夏の陽射しの中で彼が着ていたのは、
カルバンクラインのカッコいい黒のポロシャツで、
日頃からとってもお洒落な人でした。

渡してくれるとすぐに、
持ち前のクールな笑顔で余分なことは言わずに颯爽と、
じゃあねえと去ってゆきました。

GPがそのベビーカーを卒業すると、
また別のゆかりのお子さまに引き継がれましたが、
それぐらいしっかりした素敵なモノでした。

今でも、
街の中でベビーカーを押す若いお父さんお母さんを見ると、
あの時のコンビのベビーカーと彼のポロシャツと笑顔とを想い出すことがあります。







東日本大震災の時、
作家の伊集院静さんは仙台の自宅で執筆中でした。
DCIM4945
「被災地の作家」として注目された(標題書の編集後記)そうですが、
(俵万智さんも伊坂幸太郎さんも同じ仙台被災ですね…)
その年の8月20日発行の本(文春ムック980円)です。

この一冊をPALNET(大阪の書店グループ)のブックカバー付きで、
SK先生の宇和島時代の幼馴染であるYYさんから頂戴しました。

大谷本廟の墓参に合わせて久しぶりに取り出して、
再読中だった貴重な一冊を、
そのまま下さったように思えます。


帰宅後に感謝感慨と共に読んでいます。
画像は見えにくいのですが、
ティファニーのカップでミルクティーと三鷹市の大宰治コースター。
なんだか「人生の流儀」という小題に惹かれたからです。











ところで、
この本の発行の年・月・日付にまず驚きました。
それはSK先生の再入院を知らされた日なのです。

その一か月後に先生は逝去なさるのですが、
大震災の前年度*と同様に、
長く暑く感じる夏でした。


裏表紙には、
「風の中に立ちなさい。」
「目的地は? どこだっていい。この国以外の、風の中に立ちなさい。そこには君がインターネットやテレビで見たものとまったく違う世界がある。」

・・・という言葉が記されています。
「この国以外の、風の中」というのは「メタファ(隠喩)」です。
必ずしも海外に行きなさいという教えとは限りません。
もちろんそれもあるでしょうが、
「この国の風」に吹かれて甘んじることのないように、
「取り巻く風潮」の中に埋もれてしまわないように、
という強い示唆です。


「トゲのあるサボテンになれ。」というSK先生の教えがあるそうです。これも極めてメタファです。
(卒業生曰く。当ブログ記事「環状線の奇跡」2014-05-27及び「新倉和文先生へ」2012₋03₋11 コメント欄参照。)

その教えに通じるものを、
この「風の中に立ちなさい。」に感じました。


お参り後に、
奥さまとYYさんと卒業生たちとで、
五条坂通りのお好み焼き屋さんで歓談しました。

SK先生の想い出話も沢山出ました。
YYさんからは目を丸くする昔話も。
今のそれぞれが元気な話も沢山しました。
沢山飲食しました 先生が時として そうであったように。

奥さまからは「和やかでよかったですね」というメール**を先程いただきました。

その和やかさも大切にしながら・・・、
これからも「風の中に立つトゲのあるサボテン」でありたいものです( `ー´)ノ。


・・・あれっ!( ˘ω˘ )・・・それはピーナッツファミリーで言えば・・・、
スパイクなんですよね、実に。
(当ブログ2017-09-07 記事参照。)




*大震災の前年度・・・
大地震の起こる前年度は記録的な猛暑が多いという俗説迷信があるようです。関東大震災も阪神淡路大震災も・・・ここで想い出すのは、SK先生はその夏に「あと一年だ」「生きるとすれば人のため」と宣言されて、「論文あと二本」その後は「一本書けたがもう二本」という言葉通りの強い生き様を貫かれたということです。


**メール・・・
今日来てくれた卒業生の一人男子学生(腕っぷしの太い貫禄ある医者になるでしょう、アメリカのコロンビア大学で研修中も「先生」と呼ばれていたそうです。)が、
「メールはやらない見ない」「ラインしか使わない」と言っています。
今は携帯メールやショートメールの(ひょっとするとPCメールも)時代じゃあ無いと…。
他のインターネット通信ツールも全て淘汰されてゆく・・・のでしょうか・・・これも「風」





このページのトップヘ