NPブログ - Leitmotiv ~言葉・論理・主題連鎖への旅~

カテゴリ: 逆説

詭弁
矛盾
逆説
方便
妥協

上へ行くほど危険ですね
下へ行くほどやむなしか。

6月23日は
沖縄県民の四分の一のかたが
亡くなった沖縄戦が終結した
日で戦後75年の激戦地では
慰霊の祈りが捧げられている
…そんな報道記事は一般的…。

神戸新聞第一面「正平調」は
ズバリ斬り込んでいます拍手。👏

援用です。

◆どういう歴史のめぐり合わせか、きょうは日米安保条約の発効からちょうど60年の節目にもあたる。「平和のために」との理由で、小さなその島にはいまもなお在日米軍のおよそ7割が集中したままである◆「平和な戦争」がないように「平和な基地の島」があるものか。当たり前のことを沖縄はずっと訴えている。


沖縄は「独歩」を続けているのかも知れません。

独歩に無理矢理繋ぎたかったのではありません。

・・・が期せずしてそうなってしまいました…。


【独歩忌に沖縄のこと独り言】☆彡1・2


独歩は満36歳で亡くなっています
日清戦争の従軍記者経験もあって
多くの早逝と同じで結核ですね…。

今朝は青空文庫から独歩の超短編
「遺言」一作を何度か読みました
日清戦争従軍の二等水兵の手紙譚。

これは心に響くものがありました
「天皇陛下万歳!」で閉じられて
いることに沖縄との繋がりあり…。


☆彡1 独歩忌・・・
どつぽき/どくぽき
仲夏
六月二十三日、国木田独歩の忌日。独歩は明治時代の詩人、小説家。キリスト教に入信、教師の後日清戦争の従軍記者となる。「独歩吟」で詩人として認められた後、小説に専心「武蔵野」「忘れえぬ人」「牛肉と馬鈴薯」等を残した。[「きごさい歳時記」サイトより]

☆彡2 国木田独歩・・・
くにきだ どっぽ:1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日
日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。
幼名を亀吉、後に哲夫と改名した。筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表。詩や小説を書き、次第に小説に専心した。「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」といった浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されている。夏目漱石は、その短編「巡査」を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していた。ロシア語などへの翻訳がある。

さ・し・す・せ・そ

響きに相応しい初夏に続き
修辞法(レトリック)として
「折句」(おりく) 表現です。


伊勢物語の「からころも」
の一首で知られる技法で
…NPも折句の歌を作り…
やはりさしすせそに初夏。


さまざまの柵(しがらみ)ありて澄む川の
        瀬のはやみにぞ底を見にける
(NP)


もう一句
さしすせ蕎麦の
折句の句


さばさばと初夏にすするはセブン蕎麦
(宏川)


セブンイレブンの
ざる蕎麦

大盛ぶっかけ蕎麦

… 初夏に入ってからの
昼食に重宝しています。


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「逆説」を語るプロローグとして、
「新明解国語辞典・第七版」の「逆説」を引いてみます。

逆説・・・表現の上では一見矛盾しているようだが、よくよくその真意を考えてみるとなかなか穿(うが)った説。例、「急がば回れ」など。「逆説的に言うならば」〔広義では、パラドックスをも指す。〕

この辞書は明らかに「逆説」というよりも「逆説的」の説明をしているように見受けられます。
(念の為「逆接」ではありませんからね御注意を。)

では本説明・・・、
ずっと以前に当ブログに連載したものを集約して再編集しています。
(A~J までの十項目仕立て)


A【 「逆説(パラドックス)」は次の「三位一体型対比構造」を持っている。】
1  正しいようで正しくない
2  正しくないようで正しい
3  正しいか正しくないか決められない

B【有名なパラドックスの例】
①ゼノンの四つのパラドックス・・・a 二分法 b アキレスと亀 c 飛矢静止 d 競技場の馬車 
②プラトンの「探求のパラドックス」
③ソクラテスの「無知の知」と「徳のパラドックス」
④砂山のパラドックス
⑤テセウスの船
⑥全能者のパラドックス
 【その解析】
①′ a 中間点の無限成立による移動不可能
   b 追いついた時には必ず僅かでも前方にいることの無限連鎖で追い越せない
   c 飛行中の定点における瞬間停止の無限成立による静止不動
   d 競技場で重なって見える馬車同士が同時に逆方向に移動する時の観客席から見た運動認識不可能
 
②′ 探求するためには対象が何であるか知っていなければならず、知っているなら探求は成立しない。
③′ ソクラテスは最も知恵ある者とされたが、その知とは自分は何も知らないという自覚であった。さらにこうも言った・・・徳は善の知識として教えるものだが、人の道である以上悪に辿り着くことがある以上、徳は教えることができない。
④′ 砂山から数粒ずつの砂を減らしていった時、砂山でありながらいつしか砂山ではなくなる。
⑤′ ギリシャ神話でテセウスが若者たちとクレタ島の旅から帰還して以後、一つずつ船の部品を新しく交換してゆく時、最後に全ての部品を交換し終わってもテセウスの船と呼べるか否か。 
⑥′ 全能者は自分が解けないような問題を作れるかという問いにおいて、作れるなら彼は解けないから全能者ではないし、作れないなら彼は全能者ではない。     

C【パラドックスということを考察する】(16字・句読点なし、以下同じ)⇒言葉の逆説遊び
『この文は十六字で構成されている』この文自体は15字で構成されているので正しくない。
『この文は十六字で構成されていない』この文自体は16字で構成されているのでやはり正しくない。・・・さて、このジレンマをどう考えたらいいのだろうか? 

D【ジレンマ(内在対比⇒二律背反・自己矛盾・アンビヴァレント)】
パラドックスは、それ自体が「対比」を利用していることになる。特に内在対比・重複対比(類比)。
ゼノンの四つのパラドックスは、いずれも数学の微分積分法や無限極限という思考方法と密接な関係がある。例えば、或るジレンマ(アキレスは亀に追いつけない)を打ち破る計算式も、ネット上には載っている。 

E【「自分という逆説」】
自分は一瞬後には今の自分ではなくなり、やがて(8年後に)完全に自分ではなくなるが、自分は自分であり続ける。・・・人の体は新陳代謝を組織細胞の末梢(まっしょう)単位で繰り返しているため、一瞬後にはもちろん「テセウスの船」のようになり、人体(の全ての部位)が完全に入れ変わるのに8年かかるという説をとれば、8年後には全く別人の自分が存在することになる(諸説あり)。
しかし、自分は自分なので、ではアイデンティティ(自己同一性)とは?・・・ということ。


F【さらにBの追補としての「背理」】
逆説は「背理」「逆理」とも言う、以下は背理の象徴例。
⑦「すべてのクレタ島人は嘘つきだ(クレタ島人はいつも嘘をつく)と、あるクレタ島人が言った。」
・・・エピメニデスの「嘘つきのパラドックス」として有名。「この文は偽である。(この文は真ではない。)」も同様。しかし、「この文は真である。」は逆説ではない。
⑧「自分の髭を剃らない床屋は村人ではない。」
・・・ラッセルの「集合のパラドックス」として考察。人をある集合に含まれる人と、その集合に含まれない人とに分ける場合に、どちらにも入る人はどちらにも入れない。
「村人の男性すべては床屋に髭を剃ってもらう、では床屋の男性自身は村人ではない。」
(→重複対比という考え方で解決できる。)
⑨「2つの干し草の完全な真ん中におかれたロバはどちらに行くべきか迷い餓死する。」
・・・ビュリタンの「ロバのパラドックス」として微笑。(あまり笑えない・・・ロバを一人の独身男性に、干し草を全く同じ双子の美人姉妹に置き換えてみると切実・・・)。
⑩「この命題は証明不可能である、は正であり得るし、証明不可能であるからと言って偽ではない。」
・・・ゲーデルの「不完全性定理のパラドックス」として苦笑。「ひとつの公理系において、正しいとされるその枠内では、その中の正しくない偽を証明できない。」
⇒ゲーデルはこれを完全証明した。

G 【逆説は絶対的に逆説であり得るか。】
例えば①dの「競技場の馬車」や、④の「砂山のパラドックス」を分かり易く言い換えてみる。
前者は、つまり移動ひとつぶんなのに二つぶんに相当するのは不可解、ということ。
後者は、要するに砂山がどこから砂山と呼べなくなるかは分からない、ということ。

「逆説とは相対的であるべき前提・過程・結論の設定に絶対性を適用して生じた矛盾」

ゆえに、「逆説自体は絶対的では無い」。
ところが、この文言自体、「相対的であることが絶対的」でない限り成立しない。
果たして「相対即絶対」や「絶対即相対」は成り立つのか。
あたかも「色即是空」「空即是色」という「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の世界観。

H 【シュレーディンガーの猫「認識と存在」】
「認識論」と「存在論」を重複対比的に捉える端緒としての逆説。
⑪「シュレーディンガーの猫」
物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーが、第2次世界大戦中にオーストリアからアイルランドに亡命していた時、量子力学の確率解釈に反対して提出した思考実験。

蓋(ふた)のある箱の中に猫を一匹入れ、放射性物質のラジウム一定量と、ガイガーカウンター1台、青酸ガスの発生装置を1台入れておく。ラジウムからアルファ粒子が出れば、ガイガーカウンターが感知して青酸ガス発生装置が作動し、ガスを吸った猫は死ぬ。ラジウムからアルファ粒子が出なければ、発生装置は作動せず、猫は生き残る。蓋を閉めて一定時間経過後、猫は生きているか死んでいるか。

形而上的な【逆説】と捉えた場合・・・猫は生きているが死んでいるという中間的存在である。
 【解析】
猫の生死はアルファ粒子が出るかどうかで決定する。アルファ粒子は原子核のアルファ崩壊によって放出される。例えば箱に入れたラジウムが1時間以内にアルファ崩壊してアルファ粒子が放出される確率が50%だとする。この箱の蓋を閉めてから1時間後に蓋を開けて観測したとき、猫が生きている確率は50%、死んでいる確率も50%である。したがって、この猫は、生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっている、あるいは並行して成立している、と解釈しなければならない。
しかし・・・猫が生きている状態と猫が死んでいる状態という別々の状態を認識することはできるが、「生きている」と「死んでいる」重なりあった状態を認識することはない。
=「確率50%という存在状態」は「実際には有り得ない」。

いわゆる重複対比もしくは三位一体対比・・・。
こう置き換えられる。・・・50名のクラスでテストをしたところ、100点が25名、0点が25名、つまり平均点は50点。しかし、このクラスには50点の生徒は誰一人として存在しない。「平均点」あるいは「平均値」とはこのように、実際には存在しない状態であることも多い・・・ということ。

I 【Aの反復補強】
三位一体型・重複対比の一例として「逆説」を挙げられる。
(「矛盾」の内在対比とはまた異なって)・・・、
逆説(パラドックス)とは
①正しい ②正しくない ③正しいか正しくないか分からない 
という三つの状態の同時成立・重複対比。

「認識論」と「存在論」とを重複対比的に捉えると、
「認識しなくても存在する」「存在しなくても認識する」という状態は当然ながら有り得る。
さらに、
認識論においては、
a認識するb認識しないcどちらとも言えない、
存在論においては、
a存在するb存在しないcどちらとも言えない、
・・・という三位一体型対比としてそれぞれ捉えることが出来る。


J 【双子の宇宙旅行のパラドックス ~宇宙の旅は続く~】
このパラドックスを理解(解明ではない)するには、アインシュタインの「時計のパラドックス」や特殊相対性理論(1905年)・一般相対性理論(1915‐16年)、さらに慣性系・運動系・加速系といった説明語を学ばねばならない。
⑫「双子の宇宙旅行のパラドックス」
ポール・ランジュバンが1911年に出した・・・「光速に近い速度」の「宇宙船に乗る兄と地球に残る弟」で「加齢の逆転」が「双方に起こる」・・・というもの。
「Uターンして戻ってくるのだから解決できる」とする説もある。
これはNPいまだに理解・解明できず、遥かな宇宙旅行のようなもの。


逆説だけではなく言葉の旅を、
これからも宇宙を感じながら続けてゆきます。


早朝6時からの短歌に引き続いて、
NHK俳句第三日曜日、
星野高志さんの選句を視聴しています。
句評も懸命に拝聴しています。

標題のNP句(どちらかと言うと川柳:なく⇒無く・鳴く)において、
「ホトトギス」*は「伝統俳句」を指します。
季語としての「杜鵑」は「夏」(初夏)になります。


「逆説」とは、
基本的に「矛盾を孕んだ状態」と解されるのですが、
普通はそう考えないような言い方(表現)の中に、
「意外」「驚愕」「皮肉」「反論」「批判」といったニュアンスが、
時として多少大小込められています。

それらを考察する際に欠かせないのは、
「原型」つまり「普通」がどうであったかということと、
そこからの「飛躍」「離脱」「段差」の程度に対する意識だと思われます。


初心俳句集団の執事長(組長)として、
申し分けない情けない限りなのですが、
「逆説的」な「発見」が感じられない。
(「原型」認識の学習にはなります。)


これはとてもたいそう大きいことです。
またガクシュウを重ねるべき課題です。
もちろん自分自身の鑑賞力の問題です。

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*ホトトギス(漢字)・・・
20種類以上あるそうです。(「Yahoo!知恵袋・回答」参照)
〈杜鵑〉・〈時鳥〉・〈子規〉・〈不如帰〉・〈杜宇〉・〈蜀魂〉・〈田鵑〉
〈霍公鳥〉・〈霍公〉・〈郭公〉・〈杜魂〉・〈布谷〉・〈無常鳥〉・〈黄昏鳥〉・
〈夕影鳥〉・〈菖蒲鳥〉・〈初時鳥〉・〈山時鳥〉・〈沓手鳥〉・〈山郭公〉など。

*ホトトギス (雑誌)・・・[Wikipediaより抜粋]
『ホトトギス』は、合資会社ホトトギス社が発行する俳句雑誌。1897年(明治30年)に正岡子規の友人である柳原極堂が創刊した。夏目漱石が小説『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』を発表したことでも知られる。明治期には総合文芸誌として、大正・昭和初期には保守俳壇の最有力誌として隆盛を誇った。
【明治期】
1897年(明治30年)1月15日に海南新聞社員柳原極堂が松山で創刊。雑誌名は正岡の俳号「子規」にちなんだもので、創刊時はひらがなで『ほとゝぎす』。子規、高濱虚子、河東碧梧桐、内藤鳴雪らが選者であった。
1898年(明治31年)10月 場所を東京に移して虚子が継承する。
1901年(明治34年)10月 雑誌名を『ホトヽギス』とする。
1902年(明治35年)9月19日 子規没。
1904年(明治37年)10月 岡本癖三酔選者となる。
1905年(明治38年)1月 漱石『吾輩は猫である』連載開始、大好評を博す。10月 寺田寅彦『団栗』掲載。このころより虚子小説に傾倒、碧梧桐新傾向色を強める。
1906年(明治39年)1月 伊藤左千夫『野菊の墓』。4月 漱石『坊っちゃん』。5月 鈴木三重吉『千鳥』。8月より碧梧桐第一回全国行脚。9月 小泉八雲『海のほとり』。
1907年(明治40年)1月 漱石『野分』。2月 野上八重子(弥生子)『縁』。11月 長塚節『佐渡が島』。このころ浅井忠、竹久夢二が挿絵を描いている。
1908年(明治41年)10月 漱石『文鳥』(ただし他誌からの転載)、松根東洋城選者となる。
1909年(明治42年)から小宮豊隆、安倍能成らの批評が連載される。4月より碧梧桐第二回全国行脚。7月をもって雑詠欄廃止。
1910年(明治43年)4、6月 イプセン『社会の柱』。9月号発禁処分。
1911年(明治44年)4月 阿部次郎『狐火』、森田草平『御殿女中』。10月 雑誌名を『ホトトギス』とする。碧梧桐編集より離れる。
1912年(明治45年)7月 虚子選雑詠欄復活。川端龍子挿絵を描くようになる。
【現況】
現在のホトトギス社主宰は高浜虚子の曽孫である稲畑廣太郎が務めている。1979年から2013年まで主宰を務めた稲畑汀子はその母で高浜虚子の孫。
ホトトギス社はホトトギス誌以外に書籍も編集・発行しているが、発売元はホトトギス社のものと他の版元のものがある。例えば歳時記は、虚子編「新歳時記」やホトトギス編「ホトトギス新歳時記」を三省堂が発売している。虚子編「新歳時記」は基本的に高濱虚子が編集したものだが、ホトトギス編「ホトトギス新歳時記」は、全国の俳人からホトトギス誌に寄せられた句を元に編集したもの。
ホトトギス社は長年、旧・丸ビルに入居していたが、丸ビルの建て替えのため、三菱ビルに移った。

「逆説の具体例は?」・・・と、
職員室で同僚のKB先生に訊いたところ、
(おもむろ)に机引き出しから最下方画像の北海道土産を出してきて、
「これでしょう❣ ❣ どうぞ(*´▽`*)おひとつ」・・・と仰(おっしゃ)る。

(いただ)きもの、
それは「白いブラックサンダー」(北海道限定)だったのです。
白い雷神(イナズマ)⚡
(@_@。

・・・・・・・・・・・・

「逆説」を、
今まさに高二生の現代文授業で扱っています。

ずっと以前に当ブログで一旦纏(まと)めたものを使っていますが、
さらに再編して後日詳報アップします。

でも実は、
詳しく分かり易くと説明すればするほど(されればされるほど)、
余計に分かりにくくなるという、
「逆説の森」に迷い込んでしまうのです。
迷える羊のように・・・。
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与えられた牧草(解説)を…、
ひとまず食べてみるのですが、
次々食べこぼしてしまいます。

美味しいのかどうなのか、
もはや分かりません。







出られないよ~、
答えがほしいよ~、
出口(ゴール)はどこ~、
・・・などとなってしまう様子が目に見えるようです(◎_◎;)。


逆説とは、
「矛盾を抱え込みながら…解明できる・解明できない・どちらとも言えない」という、
三位一体型の状態なのですが、
(ヘーゲル)弁証法とは正反対のベクトルを持っているように思えます。



授業プリントを更に分かり易く (?_?) したものを、
読者のかたにお届け出来ればと願っています。

・・・・・・・・・・・・

Q:
「なんでもかんでも」という言葉を出来るだけ漢字を交えて表記し意味も答えて下さい。
(NP実は知人への手紙に「何でも可でも」と書いて出した後に「誤謬(ごびゅう)」に気付きました。)


「逆説」は、
「逆説的」とは異なります。
国語問題では「逆説」そのものは問われません、
「逆説的」が問われるのです。


なんでもかんでも逆説に思えてくる知的冥冥(めいめい:暗くて見分けがつかない🐐山羊)、
なんでもかんでも暗喩に見えてくる精神構造(うわあー:あるある「構造主義」の🐑羊)。


山羊も羊もなんでもかんでも(*_*;・・・。

取り敢えず、
白いブラックサンダーは、
ホワイトチョコのコーティングが絶妙で、
とても美味しかったことです。

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