NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

カテゴリ: 外国文学

世界文学を語った時に、
KB先生の「これ一冊」は、
ロバート・アンスン・ハインラインの『夏への扉』でした。

後日お借りして、
慣れないタイプのSF小説で少しだけ間がかかりましたが、
とても面白くなり後半は一気に読み終えました。

「ロング(コールド)スリープ」がモティーフです。
1988年に亡くなった作家が、
1957年に著した、
1970年にロングスリープに入った主人公が、2000年に目覚めるという長編。

「この世から風邪と言うものが一掃されて、鼻水をたらす者が皆無という時代に目覚めたことは、三十年間眠っていた甲斐があったというものだ。金星に研究施設ができたことより、ぼくにとっては大きな意味があった。」

「・・・重力消去機(ナルグラフ)・・・彼らは空間の構造を変えたのだ。」

「すばらしい! ぼくはこの理論を学ぼうとしたが、その数学は、テンソル微積分が終わったところからはじまっていた。とうていぼくの手には負えない。」

これらの近未来予想図は残念ながら外れたわけですが、
とても興味深かった中盤からの引用です↑。

今「限定の終焉」を迎えつつある「New 冬季限定 Melty kiss 初摘み濃抹茶」(こだわりバニラと並んでシリーズ最上の美味…)と共に、
上記中盤部は読んでいました。


因んで考えてみます。
「茶摘み」は「八十八夜」とともに春の季語、
「新茶」は夏の季語です。
新茶は夏になってから飲むものとされていました。
その時(陰暦の昔)お茶とは抹茶(碾茶てんちゃ)が基本となっていたのです。

したがって実は、
画像の一見「季節不詳」「意味不明」のような組み合わせの中には、
「冬-春-夏」の流麗とも言える連鎖があるのです。
これも構造主義的発想です。

たいそう美味しゅう(面白う)ございました。

それにしても下記Wiki(編集)の末尾にもある、
『夏への扉』の「日本限定の人気」とは、
いったい何なのでしょうか?

季節限定ならぬ日本限定!

それこそが・・・もしかすると、
「抹茶的」な文化・時代解釈の「えも言はれぬ妙味」
(とても言葉に出来ない味わい深さ)
かも知れない・・・と考えています。


初摘みの季節限定抹茶チョコ
 立春前の『夏への扉』
(宏)

DSC_0633 (1)


















*ロバート・アンスン・ハインライン(Robert Anson Heinlein、1907年7月7日 - 1988年5月8日)・・・
アメリカのSF作家。SF界を代表する作家のひとりで「SF界の長老」(the dean of science fiction writers)とも呼ばれ、影響を受けたSF作家も数多いが、物議をかもした作品も多い。科学技術の考証を高水準にし、SFというジャンルの文学的質を上げることにも貢献した。他のSF作家がSF雑誌に作品を載せるなか、ハインラインは1940年代から自分の作品を「サタデー・イブニング・ポスト」などの一般紙に載せた。この結果としてSFの大衆化が進んだのは、ハインラインの功績の一つである。SF小説でベストセラーを産んだ最初の作家でもある。アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークと並んで、世界SF界のビッグスリーとも呼ばれていた。

初期の頃は未来史シリーズなど、科学小説としてのSFを書いていたが次第に社会性を強め、『宇宙の戦士』では軍国主義を賛美する兵士の描写があったことから右翼と呼ばれ、一方の社会主義者の名残が表れている『月は無慈悲な夜の女王』では左翼と呼ばれるなど多彩な顔を持った。中でも宗教やポリアモリーを扱った『異星の客』の反響は大きく、ヒッピーの経典と崇められ、ファンが分かれたという。

以後『宇宙の戦士』、『ダブル・スター(太陽系帝国の危機)』、『異星の客』、『月は無慈悲な夜の女王』でヒューゴー賞を計4回受賞(いずれも長編小説部門)。アメリカSFファンタジー作家協会は1回目のグランド・マスター賞をハインラインに授与した。

ロマンティックなタイム・トラベル物『夏への扉』は特に日本において人気の高い作品であり、SFファンのオールタイム・ベスト投票では、度々ベスト1作品になっている。 しかしアメリカにおいては『月は無慈悲な夜の女王』と『異星の客』がクローズアップされることが多く、『夏への扉』は日本での限定的な人気にとどまっている


・・・と、
昨夜KB先生との会食の際に訊かれたので、
少しだけ考えて即答しました・・・。

あくまでも自分にとっての・・・、
という趣旨です。

KB先生のベスト3もお聞きしましたが、
プライベイトなものですから、
ここでは触れずにNP回答です。

★ドストエフスキー『白痴』
★トルストイ『復活』
★スタンダール『赤と黒』

順位付けはしません。
いずれも高校二年生時迄に初回を読みましたが、
それ以来数十年・・・変わっていないのかな…。
「ただ単純に好きで面白いもの」とはまた別で…。
高さ広さ深さ快活というか・・・、
ああ、つまり、
それが「天空海闊(てんくうかいかつ)」なんですよね。

圧倒的パワーを持つ長編に落ち着きます。

文庫本は、
その時読んだものは散逸してしまい、
その後買い足したものも人手に渡り、
結局「新潮世界文学」シリーズでの、
「分厚い箱版」だけが書棚にあります。
その中に探してみました。
DSC_0625
聖句や賢人の警句引用による「エピグラム」は外して、
冒頭の三者三様です。




『白痴』:
十一月も末、ある珍しく寒のゆるんだ雪どけ日和の朝九時ごろ、ペテルブルグ・ワルシャワ鉄道の一列車が、全速力でペテルブルグへ近づいていた。(木村浩 訳)

『復活』:
何十万という人びとが、あるちっぽけな場所に寄り集まって、自分たちがひしめきあっている土地を醜いものにしようとどんなに骨を折ってみても、その土地に何ひとつ育たぬようにどんなに石を敷きつめてみても、芽をふく草をどんなに摘みとってみても、石炭や石油の煙でどんなにそれをいぶしてみても、いやどんなに木の枝を払って獣や小鳥たちを追い払ってみても―春は都会の中でさえやっぱり春であった。(木村浩 訳)

『赤と黒』
小さなヴェリエールの町はフランシュ=コンテで一番美しい町のひとつに数えられよう。(小林正 訳)


特徴としては・・・いずれも文章を「クラシック音楽」に喩えると・・・美しい?
【白痴】・・・・ロシア文学にしては平明な印象で「時場事」が告げられる「前奏曲」イメージ。
【復活】・・・・ロシア文学らしく極めて長く饒舌で「時場人物事」が入り込み「序曲」イメージ。
【赤と黒】・・・フランス文学の洒脱な切れ味を示す簡潔な「場」のみで「交響曲の入り」イメージ。


・・・・・・・・・

阪神地方の平野部は雪は降らずとも、
昨日来とても冷え込んでいます。

昨夜KB先生専用のコンロがキープされているお店で舌鼓を打った、
「もつ鍋」です(もつ・野菜・厚揚げ)。

至高究極にも思えました美味美味、
心も(お腹も)あたたまります。
・・・まるで世界文学のベスト3が具材として盛られたような・・・。
DSC_0621

まことに、
翌朝のこの話も盛られ過ぎのように思えてきました・・・、
美味しい?

1月25日が生誕136年にあたる日だと知りました。

大学(文学部)入学の一年目に、
「西洋文学」という「一般教養科目」を年間受講しました。
履修必須科目との重複の都合で、
他学部の授業を取ることになり、
法学部校舎の中でも広い教室に、
とても少ない20名(常時出席者)程度の講義だったのを憶えています。

その授業で指導教官が、
代表作と共に扱った、
数名の作家の一人が、
ヴァージニア・ウルフ*でした。
作品は『ダロウェイ夫人』か『灯台へ』、
もしくは両方だったかと思います。

ウルフは「意識の流れ」**という手法を用いて、
何だかよく分からない話を書いた女流作家というイメージがあり、
そもそも原作を読むのではなく解説を聞くという(もちろん気に入れば読む)趣向の講義だったので、
ストーリー自体は判然と思い出せません。
何にせよ大昔の18歳のNPがそこに居ました。

「そこ」というのは教室の最前方やや左側です。
今でも舞台や映画を見る時には、
中央前方から左サイドよりに席を取ります、
「習い性」のようなものかも。
(構造主義的には「利き目(ききめ)」という説明でも出来そうです。)

なぜかその頃の学生は「楽勝」という授業を履修したがる(自由選択科目)ことが多く、
その授業は必ず出席を取るし(あたり前?そうでも無いんですよ当時)、
ある意味法学部の学生には必ずしも必要では無く、
不人気だったのでしょうね。

NPにはとても「面白い」ものでした。
高校時代に「世界文学」は、
ヘミングウェイ・ドストエフスキー・トルストイ・スタンダールなどの、
面白い(読み易い)ものだけは読んでいたものの、
明らかに「文学的知識」が不足していましたから、
全てが新鮮でした(単位認定成績も最高点での「優」)。

・・・・・・・・・・・・

DSC_0624
DSC_0622
学生時代からずっとずっと後、
そして今よりずっとずっと前、
高知市在住(予備校と明徳義塾高校との兼務)時代・・・。
まだ高知イオンシネマが無かった頃で、
帯屋町アーケードの中に、
高知松竹ピカデリーなどの映画館がありました。

そこで観た『めぐりあう時間たち』***の、
公式パンフレット、
鑑賞券半券、
リーフレットの三点セットが出てきました。

もちろんライティングデスクの右一番下の抽斗から探したのですが、
これだけ揃えて残してあるのは珍しいです。

メリル・ストリープは学生時代からお気に入り女優さんの一人で、
今も超大物ベテラン役者(68歳)として、
その政治的発言なども含めて注目しています。

ニコール・キッドマンの演技は物凄かったです、
今(50歳)も変わらず物凄い女優さんなのですが、
15年前この作品でアカデミー賞主演女優賞を獲りました。


『めぐりあう時間たち』の原作は、
ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』で、
主役・主人公もウルフ自身(分身)と言われています。


まさに「めぐりあう時間たち」の想い出・・・。

  

[以下はWikipedia参照編集]
*ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf, 1882年1月25日 - 1941年3月28日)・・・
イギリスの小説家、評論家、書籍の出版元であり、20世紀モダニズム文学 の主要な作家の一人。両大戦間期、ウルフはロンドン文学界の重要な人物であり、ブルームズベリー・グループの一員であった。代表作に『ダロウェイ夫人』 Mrs Dalloway (1925年)、『灯台へ』To the Lighthouse (1927年) 、『オーランドー』 Orlando (1928年)、『波』The Waves(1931年)などの小説や「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」という主張で知られる評論『自分だけの部屋』A Room of One's Ownなどがある。

**意識の流れ(英: Stream of consciousness)・・・
米国の心理学者のウィリアム・ジェイムズが1890年代に最初に用いた心理学の概念で、「人間の意識は静的な部分の配列によって成り立つものではなく、動的なイメージや観念が流れるように連なったものである」とする考え方のことである。
アンリ・ベルクソンも時間と意識についての考察の中で、ジェイムズと同時期に同じような着想を得て、「持続」という概念を提唱している(ベルクソンとジェイムズの間には交流があったが、着想は互いに独自のものとされることが多い)。
この「意識の流れ」の概念は、その後文学の世界に転用され、「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法」という文学上の表現の一手法を示す言葉として使用されて文学用語になった。

***『めぐりあう時間たち』(英: The Hours)・・・
2002年のアメリカ合衆国の映画。スティーブン・ダルドリー監督。マイケル・カニンガム原作。
『ダロウェイ夫人』をモチーフに、作者であるヴァージニア・ウルフを始め、それにかかわる3人の女性を描く作品。第75回アカデミー賞で9部門にノミネートされ、特殊メイクを施しヴァージニア・ウルフを演じたニコール・キッドマンがアカデミー主演女優賞を受賞。第53回ベルリン国際映画祭ではジュリアン・ムーア、メリル・ストリープを含む3人が銀熊賞 (女優賞)を共同受賞した。
キャッチコピーは「沢山の愛と驚きと時間たち、そして感動。人生はいつもミステリーに満ちている。」



世界は広いので、
NPがすぐに思い浮かんだドイルとモーム以外にも沢山いるだろうと思っていましたが、
まさに意外にもなかなか見つかりません。

作家名を、
その代表一作などと共に、
刊行された順に挙げてみます。


コナン・ドイル(エディンバラ大学医学部:英国)
『シャーロック・ホームズの冒険』(最初のホームズ物 1892年)

アントン・チェーホフ(モスクワ大学医学部:ロシア)
『桜の園』(最後の戯曲 1903年)

サマセット・モーム(ロンドン聖トマス病院付属医学校:英国)
『人間の絆』(自伝的長編 1915年)

ミゲル・トルガ(コインブラ大学医学部:ポルトガル)
『方舟』(カトリック作品 1940年)

(ミゲル・トルガはNPまだ読んでおりません。)


えっ・・・、
今のところ、
こ これだけ。
そ そうです。


あっ・・・、
そうすけさんを思い出しました。


(同じく読んだことがないという直接的理由で前回の日本編10人から外れていたのが下記作家★です。)


日本の医者で作家のうち、
世界的に知られているのは(多分)、
森鷗外と安部公房の二人だと思われます。

ただし、
後者は東大医学部卒で実際には医者として仕事をしていないので、
ノーベル文学賞候補には上がったそうですが、
医者作家という認識はなされていないでしょうね。

・・・そう考えると、
森鷗外の余りにもマルチな業績は、
たとえ軍医としての軍人食判断に瑕瑾(かきん:キズ・欠点)があるとしても、
やはり偉大過ぎるように思われてなりません。


さて、
看護師を含む医療従事者で作家・・・、
それは果たして居るのでしょうか。

医師もそうですが、
それは現実的に有り得るのでしょうか。


医師・看護師等でありながら作家・・・、
そのこと自体が「超現実主義(シュールレアリスム)」のようにも思われてしまいます。


(・・・続きます。)


★夏川 草介(なつかわ そうすけ、1978年 - )・・・
日本の医師、小説家。大阪府出身。信州大学医学部卒。(地域医療)医師として勤務するかたわら、2009年に『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞しデビューした。同作は第7回本屋大賞候補作にも選ばれている(最終的には2位)。「夏川草介」はペンネームである(夏目漱石・川端康成・草枕・芥川龍之介)。






「岡山産ベリーA」🍇という売場表示でしたが、
下記にあるように、
正確にはマスカット・ベリーA*という「黒葡萄」の一品種です。
「黒葡萄」(くろぶどう、対語は「白葡萄」)はワイン用に育成されるものも多く、
醸造酒として「赤ワイン」になります。
フランス・ボルドーのカベルネ・ソーヴィニョンが葡萄としてもワインとしても有名です。

ふと思い付いたのですが、
スタンダールの『赤と黒』**という世界十大小説📚の一長編があります。
フランスの作家だけに(隠喩も盛ん⇒カミュやサルトル)、この「赤と黒」が何を意味するのかは興味深い(作家自身の明言なし)ですね。
Wikiなどを参照すると、主人公のジュリアン・ソレルが出世に利用しようとした「軍人(赤)と聖職者(黒)」という説が専もっぱらのようですが、ギャンブルのような彼の人生をルーレット盤の「赤と黒」に比喩しているという説も載っています。

NP今、
大舞台がフランスだけに、
「黒葡萄Pinot noirピノ・ノワール」から「赤ワインVin rougeヴァン・ルージュ」への「転調」と考えても面白いなあ…などと考えています。「」だった主人公が心惑わせてしまうレーナル夫人が「」だったりしてね。「人生の転調」ですね(この当ブログ・シリーズは別稿で続いています)。

例によって全くのライトモティーフなのですが、
「葡萄」全般は俳句的に「仲秋の季語」で、
マスカット・ベリーAの場合は、
8月下旬から10月初旬までは「旬」が続いていたようです。
DCIM5222 (1)DCIM5225























**「旬の食材百科」より
マスカット・ベリーAは新潟県の岩の原葡萄園の創始者で「日本のワインぶどうの父」とも呼ばれる川上善兵衛氏によって、アメリカブドウのラブルスカ種「ベーリー」にヨーロッパブドウのヴィニフェラ種「マスカット・ハンブルグ」を交配し、生まれた実生を選抜育成された黒ブドウです。1927年(昭和2年)に生まれ、その後1940年(昭和15年)に生食・醸造用品種として公に発表されて以来全国各地で栽培されるようになりました。
かつては人気品種としてスーパーなどにも沢山並んだ時代がありましたが、近年は様々な品種が登場し、店頭に並ぶ量はかなり減ったように思います。今でもぶどう狩りではおなじみの品種ではないでしょうか。また今では生食向け以外に国産赤ワイン用ブドウ品種として最も多く作られている品種となっています。
ニューベリーAという名称で売られているものもありますが、これはジベレリン処理された種無しのマスカット・ベリーAの名称です。ただ、現在では生食向けに出荷されるものはマスカット・ベリーAという商品名であってもほとんど種無しになっているのではないでしょうか。
マスカット・ベリーAは8月中旬頃から収穫が始まり、10月頃まで続きます。生食向けのものが沢山出回る旬の時期は8月下旬頃から10月初旬頃までとなります。

**『赤と黒』(あかとくろ、Le Rouge et le Noir)・・・
19世紀中期フランスの作家スタンダールの、実際に起きた事件などに題材をとった長編小説である。1830年刊。サマセット・モームは『世界の十大小説』📚の一つにこの小説を取り上げている。

📚世界十大小説・・・【Wikipediaによる】

取り上げられる作品は以下の10作品。イギリス文学4作、フランス文学3作、ロシア文学2作、アメリカ文学1作で、『トム・ジョーンズ』を除きすべて19世紀の作品である。

掲載順
著者
作品
著者の国籍
原典
初出
1ヘンリー・フィールディングトム・ジョーンズイギリス英語1749年
2ジェイン・オースティン高慢と偏見イギリス英語1813年
3スタンダール赤と黒フランスフランス語1830年
4オノレ・ド・バルザックゴリオ爺さんフランスフランス語1834年〜1835年
5チャールズ・ディッケンズデイヴィッド・コパフィールドイギリス英語1849年〜1850年
6ギュスターヴ・フロベールボヴァリー夫人フランスフランス語1856年
7ハーマン・メルヴィル白鯨アメリカ英語1851年
8エミリー・ブロンテ嵐が丘イギリス英語1847年
9フョードル・ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟ロシアロシア語1879年
10レフ・トルストイ戦争と平和ロシアロシア語1865年〜1869年

このページのトップヘ