NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

カテゴリ: 参考書

前作「東大-」と同じ切り口の「戦略・仕掛け」を持った出口汪さんの新刊本です。
NPも前回と同じ切り口で、ひとつ取り上げてみます。


「京大-」から一人(一題)紹介します。
西田幾多郎の「読書論」(2004年度入試)。
当ブログでは、「西田哲学」と言えば田中潤一先生との往還で2013/4/5の記事があります。
是非合わせてお読み下さい。
石川県出身で「京都学派」の創始者、京大が出題するに相応しい哲学者です。
(最近金沢まで行ったのですが、何かひとつでもゆかりにふれればよかったです・・・意識レベルと実践が大切。)

西田幾多郎
(作家プロフィール)

《大哲学者の「読書の技法」》

(問題文)
・・・・・・(傍線部なし)・・・・・・・。

(解説)
〈自明なものを自明とせず、疑ってかかれ〉
《偉大な思想家の「真髄」を掴む読書術》
《「時代を変えた本」を読め》

(出口厳選 理解が深まる良問)
問:筆者はどういう読書法を勧めているか、簡潔に述べよ。

(解法)

(解答)

《補講》
私事にて恐縮ではあるが、私が文学部の学生だった頃、指導教授から「一番嫌いな作家は誰か」と聞かれて、私は躊躇(ちゅうちょ)なく「森鷗外です」と答えた。
指導教授はにやりと笑い、「それなら、森鷗外を研究しなさい」と言い放った。
以後、私は大学三年から大学院の博士課程修了まで、七年もの間、嫌いな森鷗外と向き合う羽目になる。
当時、私は文学の研究者になるつもりでいた。私が研究したかったのは、鷗外とは全く資質の異なる川端康成や太宰治だったのだ。
私が指導教授の真意を理解したのは、大学から離れた後だった。その時、すでに指導教授は鬼籍*に入られていた。
・・・・・・・・・・・・


・・・この後に続く文章が卓越していると思われます。
私は、さるかたに送っていただいて読んでいますが(ありがとうございます)・・・、
皆さんも、宜しければ「一般書」として「学参」として、ご一読を。

とりわけ、京大レベルを目指して最後の奮闘を続けている29期・既卒生諸君。

NPの参考書は皆さんの受験には間に合いそうもありません。

急ぎ標題の一冊を読んで、「目から鱗(うろこ)」を体感して下さい。

諦めるな、夢は見るだけではなく果たすもの。

(以下NP国語録)

切り取られた文章から「核心」となるものを「確信」する。
それを「革新」に繋ぐこと。 

全体の文章から「連鎖」を見い出して「物語」を読解する。
それを「主題」に高めること。

評論も小説も随想も古文も漢文も同じ。


・・・自分自身の参考書作りに戻ります・・・。


*鬼籍(きせき)
・・・[籍は帳簿の意]「過去帳」**の別称。「鬼籍に入ィる=死ぬ」
**過去帳(かこちょう)
・・・その寺に葬(ほうむ)った人の法名・俗名、死没年月日などを書いておく帳面。

上出の指導教授が亡くなられた時、NPは中高一貫の男子進学校に奉職していました。大学・大学院時代の同期生たちと、JR福知山線でご自宅に向かう時、学生時代に厳しく言っていただいた言葉が何度も胸を過(よ)ぎりました。・・・「君はいったい何をしているのかね」・・・。今も聞こえてきそうです。


 

・・・という昨年12月に刊行された本(出口汪著:大和書房・新書版)と、
今月刊行されたばかりの「京大現代文で読解力を鍛える」(同上)とを合わせて読んでいます。

入試国語に出題された評論家(作家)と問題文とを、
それぞれ12名(12題)ずつ取り上げて読み解き論じるという切り口で、
書店では「一般書」と「学参(学習参考書)」双方のコーナーに置いてあるようです。

「東大-」から一人(一題)紹介します。
宇野邦一さんの「反歴史論」(2008年度入試・第一問)。
当ブログでも、2014/10/27・30の両日に触れ、
今、京大で出題された「文字禍」(中島敦)とともに期末考査試験範囲に入れています。


宇野邦一
(作家プロフィール)

《歴史的真実とは何か?》

(問題文)
・・・・・・(末尾) 歴史とは、無数の他者の行為、力、声、思考、夢想の痕跡に他ならない。それらとともにあることの喜びであり、苦しみであり、重さなのである

(解説)
《歴史とは「あったこと」か、「書かれたこと」か》
《歴史は「曖昧な領域」にある》
《歴史は常に書きかえられている》
《歴史に規定される「私」》
《「歴史」との向き合い方》

(出口厳選 理解が深まる良問)
問:筆者は(上記傍線部)と歴史について述べているが、どういうことか、一〇〇字以上一二〇字以内で説明せよ。

(解法)

(解答)

《補講》・・・「さらに深く学びたい人へ」
(吉本隆明、ジル・ドゥルーズ、
半藤一利、加治将一と本の紹介)

《Colamn(コラム)》・・・「私が論理力を手にした日」



以上の整然と並ぶ小見出し(文章配列順)を見ただけで、内容が鮮やかに伝わってきます。
実際に読んでみて、実感的で面白いです。
Colamnに、こんな一節があります。

・・・(予備校で現代文を教えることになって)・・・ある時、私はふと思った。
たとえ目の前の入試問題をどれだけ完璧に説明したところで、実際に同じ文章、同じ設問が出題されるわけではない。それにいったいどんな意味があるのだろう、と。
それから私は頭を帰納的に動かし始めた。
帰納とは、具体(A´)→抽象(A)という「イコールの関係」である。
一つ一つの問題文や設問はどれも異なるのだが、その中の共通点を抜き取りそれを法則化したのだ。
まさに表面的な現象にとらわれることなく、その中の共通性を読み取っていくニュートンの眼である。


(以下、NP国語録)
国語科のみならず、教員すべてが心得て、常に肝に銘じておくべきことではないでしょうか。
そして、国語を学ぶ時のみならず、学ぶ時すべてに、学びの徒すべてが・・・・・・・・・。

「一見異なっている具体に共通している要素を抜き取ること」
これが「抽象化」であり、
そこで得られたものが「抽象」なのです。


当たり前のように見えることを、全く分かっていない、分かったつもりになっている。
分かっていても実践していない、次に生かせない・・・、同じことです。

変えよう。
出口さんが開発した国語学習システム「論理エンジン」の根幹もまた、そこにあると考えられます。


NP参考書作りに、大いに生かすことが出来ます。
読ませていただいて、とても感謝しています。

もっと短く言うと「論検」。
正式には「国際標準論理文章能力検定」。 

希望者のみで、放課後に実施しました。
それでも担当クラス教室が満席になりました。
LEVEL8-9が19名、
LEVEL6-7が30名。

60分間の試験監督をしながら問題に目を通して、
NP自身考えて解く楽しみを味わいましたが、
受検者たちの結果が楽しみです。 


夜帰宅すると編集者のかたから、
「システム現代文 実戦演習編」が届いていました。
「大学入試 銀の漢字」とともに。 

・・・ご参考に、
視覚的に「別冊」を認識していただけたら、
・・・というお手紙付きです。


標題・・・どちらも出口汪さんの世界です。

今日は4限目の授業で「論理エンジンOS5」を扱い、
「論検」後は、次週分の「論理エンジンPS4の小テスト」を作りましたから、
「ビフォー・アフター論理」の一日でした。

論理には「繋がり」が、
設問には「流れ」が、
必ずあります。

さらに思考・考察を重ねるつもりです。
すべてのオブジェに「ありがとうございます」。


今宵、十六夜(いざよい)の月。
薄雲の間に間に、これも見応えがあります。
昨夜はミラクルムーン、171年ぶりの美しさだったとか。
アフターミラクルかな。


いざ鎌倉。

「こども文学賞」の表彰式に参ります。





 

4日(火)朝から5日(水)夜まで およそ40時間 睡眠を摂(と)りませんでした。

自分で播(ま)いた種ですね。
ちょうど24時間、参考書の第5稿作成に向き合った後、
平常の仕事、一日分を刈り取りました。

為せば成る・・・。
(まだ本当に成ったかどうか、可否は分かりませんが、少なくとも為しました。) 

耐えられるものですね、体。
灰にならず、むしろハイになるのね、頭。
強くなれるような気がします、心。


例によって・・・、
編集のTさんが気にかけて下さるので、有り難いことです。 

お電話差し上げた時は、NP若干トランス状態だったかも知れません。

その後適切に睡眠を摂って、ごくごく普通に戻りました。

皆さん・・・、
ムリ・ムダ・ムラの「3ム」は長続きしません、
慎みましょう。
(強い自戒・・・磁界から逃れること・・・自壊に繋がらないように・・・次回に続きます・・・あれ? まだ・・・?)


*トランス(trance) 
・・・[←tranceformer]電圧を変える器械。変圧器。[新明解]
・・・トランス状態、通常とは異なった意識状態、つまり変性意識状態の一種であり、その代表的なもの。その状態にもよるが、入神状態・脱魂状態・恍惚状態と呼ばれることもある。[WIKIより]


 

文化祭にて。
文芸部の演劇(15分)はアリーナ舞台発表。

部員たちは、もちろん肉声で挑みました。
ほとんどの団体がマイク使用をする中で、
直後の「朗読ショー」(10分)と同じです。

広い場内で、ステージと観客パイプイス席の間がかなり広くとられていることもあり、
声が通りにくかったですね。 

でも、どちらもよく頑張りました。 

郎読ショー最後の合唱「夏は来ぬ」は、
女子生徒の一人が調べてきてくれたように、
1896年(明治29年)の歌で、
佐佐木信綱作詞・小山作之助作曲。
2007年に「日本の歌百選」に選出されています。
DCIM0367失くしてはならないものが、
失われてはならないものが、
あります。

機械的な大音声(だいおんじょう)に、
ささやかながら精一杯の肉声が、 
掻(か)き消されてしまう時代に、
抗(あらが)わねばならない。
次には、もっと声の力を・・・。

そんな変てこな理屈を、
考えていました。

LOST・・・、
暗示的なタイトルです。
大切な思い出が、
本当の真実が、
失われてゆくことの怖さ辛さを、
大人よりも、
彼ら彼女たちは、
よく知っています。
 

(そう言えば、塩焼きそばとソース焼きそばの画像を残せませんでした。男子生徒たちがアリーナまで届けてくれたので、アツアツのうちにと思って、すぐに職員室に戻って食べちゃいました・・・美味しかった。)





ところで・・・、
団欒(だんらん)の「ラン」なのです。
ようやく思い至りました。
南木佳士さんの『医学生』の文章中に見つけてハッとしました。
北原白秋の先述記事にあった「ザボン」の下の字です。

「朱欒」 *は白秋が、
1911年(明治44年)に創刊して、
1913年(大正2年)には廃刊になった文芸誌です。

あっと言う間に失われた短命誌です。
しかし、萩原朔太郎や室生犀星が詩壇に登場する重要な足がかりとなっています。


さて代休なので、今から24時間ほど・・・、
参考書の原稿作りに没頭することになります。
その中では「朱欒」の読みも、
「果物(食べ物)漢字を賞味する」というコーナーに入れたいと考えています。

失くしてはならないもの、失われてはならないものを意識します。

その前に・・・まずは、珈琲(コーヒー)・・・。

NPのように籠(こも)る人も、
外で弾(はじ)ける人も、
何だか半端(はんぱ)な人も、
いい一日でありますように。

読んでいただいて有り難うございました。
原稿作りに行き詰まったら更新します。


*朱欒(ザボン)
・・・ミカン類のうちで最大の実をつける常緑高木。果肉はかおりが有る。西洋ナシ形のものを特にボンタンと言う。ザンビア。[新明解]

ボンタンは文旦ですね、土佐文旦・水晶文旦が大きく綺麗なレモンイエロー色をしています。美味しい、懐かしい。




 

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