NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

カテゴリ:詩・短歌・俳句 > 芭蕉と「奥の細道」

今年度は期末考査の日程が早くて
来週火曜日には一週前に入ります。

高一の国語総合と高二の国語演習
双方で試験範囲としているのが…
「奥の細道」で前者は教科書掲載
の「旅立ち」(深川~千住~草加)
後者は基礎古典問題集の「日光」。

元禄二年(1689年)の弥生二十七日
(陽暦の5月上旬頃で気候は旅日和)
…あけぼの(明け方)に有明の月の下

「行く春や鳥啼き魚の目は泪」(芭蕉)

とりがなくように うおがなみだを
ためるように… 見送りの縁者との
別れを惜しんでいますが… 実の所
標題の塩見先生(兵庫県の私立高校
甲南を率いて俳句甲子園全国大会
優勝)もテクストで御指摘のように
徳川五代将軍 綱吉の発した「生類
憐れみの令」への「きわどい着想」
があるとも感じられるのです…NP
解釈では「泣いているのは庶民」
で鳥や魚も人も生類なのだが…と。

穿(うが)ち過ぎでしょうか… でも
やはりひとつの「非純粋鑑賞」と
して(非純粋は不純?😞💦) 生徒
とは「面白可笑しく」芭蕉と幕府
との関係性を妄想したくなります。


旅立ち三日後の卯月朔日(うづきついたち:
四月一日で衣更ころもがへの初夏)日光の
麓に着いていますが…千住からの移動距離
は約150kmで一日平均50km… 速過ぎる👀
(幕府隠密説や馬駆け説あり)その上 東照宮
(家康を祀る)への「憚(はばか)り:遠慮」が
「多くて筆をさし置きぬ」とは…はてさて
何らかの隠匿の「密命」でも受けながらの
… ミステリアスな「謎の旅」であったかも。

「あらたふと青葉若葉の日の光」(芭蕉)

芭蕉は何度も何度も推敲する推敲魔であり
この句も季語「木(の)下闇」(こしたやみ)
を削っての句作との塩見先生の御指摘に…
「なんと尊い日光らしい燦々たる御威光」
などと「持ち上げ過ぎ」じゃないの😁と
「斜(はす)に構えて楽しむ」という番外編。


見開きごとのカラー写真と「自由な句が
どんどん作れる新しいテキストブック」
オススメの仕掛けで「同季併行」読み…


今日の6月12日(土)は陰暦皐月三日なので
…  現在の福島県北部の飯塚という温泉に
入った後 桑折あたりにいます(いました)。

ここで詠んだ句は残念ながらありません。


最下方でNPも一句を詠めないのですが…
あれほど心焦がれていた松島でも芭蕉は
やはり一句も詠めないのです… 一週後に。


月日は百代(はくたい:永遠)の過客(かかく:
旅人)にして、行き交ふ年も又旅人なり。


『奥の細道』冒頭の一文は… いまだに
現在完了進行形で… 永遠の旅の中です。


NPブログに「芭蕉と奥の細道」カテゴリー
があり季節と同時進行で歩んではいますが
何だか… 得心の行かない「代物」(しろもの)
になっています… かつての旅は今にあらず…
だからこそ芭蕉はいつまでも新しいのです。


塩見恵介氏の御著は8年前の芭蕉旅立ちの
日付3月27日に初刊…NPいまだ隅々耽読中。


【陸前に入り松島気にかかり
         一句を詠まぬ芭蕉追う旅】


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4月20日(火曜日)は二十四節気の「穀雨」

陰暦では弥生(三月)九日で… 元禄四年は
西暦1691年の丁度330年前のこの日に…
芭蕉は嵯峨野・落柿舎の向井去来に宛て
書簡を認(したた)めています… 去来著の
「去来抄」は最上の芭蕉論と言われます。


ちなみに「奥の細道」の旅はその二年前

元禄二年で弥生二十七日の北千住出立…
陽暦では今年なら5月8日で立夏の後です
… 気候の安定する初夏を待って芭蕉は…
男色パートナー説強い弟子の曾良を伴い
150日間 約2400kmの行程の旅に出ます。

一日平均約16km… 素晴らしい健脚ゆえに
幕府隠密説も… まだその壮大なスケール
の行脚(あんぎゃ)首途(かどで) 迄は18日
間はある… という「いそぎ」(準備) の頃。


全国的に快晴のようです… 穀雨の時候は
田畑を潤す雨が降りやすいものですが…
雨は緊急事態宣言の出そうな関西地方の
人々の心に降っているのかもしれません。

そう言えばGW期間中の旅にも暗雲です。


大学は結局オンラインリモート授業へと
移行してゆきそうで… せめてもの花です
東館‐本館の往来に大学通り抜け禁止に…
鍋田川沿いの狭い公道を生徒も教員も…。


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DSC_2177DSC_2178京都大谷祖廟での弟との待ち合わせ時間に間があったので、
・・・すぐ傍らにある芭蕉堂*に立ち寄りました。


遅まきうぐいすの鳴く、
とても深く豊かな叢中、
綺麗に整備された参道、
その側らに逸れた一隅、
芭蕉ゆかりの場所です。
















下記に名の残る森川許六**の代表句です。

うの花に芦毛の馬の夜明哉
(許六)

「卯の花」は初夏(五月)の季語です。
卯の花は五弁の白い小花で、
枝垂(しだ)れた小枝に群がり付くように、
ひそかに咲いているそうです(ホトトギス「季寄せ」より)。

そうですね・・・。
白い小花に、
白毛(あし毛)の馬を組み合わせて、
白々と明けて行く夜明けを描写しています。

許六は「絵師」です。
やはり・・・と言うべきか、
俳句を画とする色の使い方ですね。

夜の薄暗い闇がまだ生きているのです。
その暗がりの中に、
やがて白い花と白い馬が見え始め、
コントラストと時の経過とを感じさせてくれます。

前記事の夏の一句、
万緑の中や吾子の歯生え初むる
(草田男)
も・・・万緑の「緑」と吾子の歯の「白」が鮮やかですよね。


こうした「色素材」には、
あるいは使い方には、
もっともっと解析すると面白いものが、
色同様に鮮やかに見えてくるように思われます。

色素材を意識して一句作ってみませんか?


昨年度NPの作った中で、
「色」濃い一句です。

新緑や火の鳥の飛ぶビルの谷
(宏)


今なら・・・。




*芭蕉堂・・・
蕉門十哲の一人、森川許六が刻んだ芭蕉のこの堂は、江戸時代中期、俳聖松尾芭蕉をしのぶため、芭蕉にゆかりの深いこの地に、加賀の俳人・高桑闌更(たかくわらんこう)が営んだことに始まる。
[「京都観光Navi」より]

**森川許六(もりかわきょりく)・・・
江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。蕉門十哲の一人。名は百仲、字は羽官、幼名を兵助または金平と言う。五老井・無々居士・琢々庵・碌々庵・如石庵・巴東楼・横斜庵・風狂堂など多くの別号がある。近江国彦根藩の藩士で、絵師でもあった。
(Wikipediaより)
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DSC_1712本日四月五日付の各紙。
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関西というよりは阪神地区ですね。

右上・スポニチ(毎日新聞系)
右下・ニッカン(朝日新聞系)
左上・サンスポ(産経新聞系)
左下・デイリー(神戸新聞系)


NEO‐ONO‐OHTANIで「連鎖」。


【第一面】
四紙全て阪神の小野

【最終面】
三紙大阪桐蔭&根尾
一紙エンゼルス大谷






皆さんの住んでいらっしゃる地域は今朝いかがでしたか?

・・・・・・・・・・・・

陽暦4月5日(木)からは二十四節気の「清明せいめいにあたり、
“天地万物の気が満ち、清く明らかになる頃”です。

本年の場合は、
陰暦で「如月きさらぎしもの頃」(二月下旬)十一日間と、
「弥生やよひかみの頃」(三月上旬)四日間との、
合わせて十五日間が「清明」で、
陽暦4月5日から4月19日にあたります。

次の二十四節気は、陽暦4月20日からの5月4日までの、
十五日間を指す「穀雨」で、
陰暦だと弥生中の頃(三月中旬)から下の頃(三月下旬)にかけてになります。


陰暦三月下旬(三月二十七日)その日に、
松尾芭蕉は奥の細道の旅に出ます。
陽暦では、
さらに次の二十四節気「立夏」の候です。
穏やかな「今の五月晴れ」(昔の五月晴れは「梅雨の晴れ間」)が続く、
絶好の行楽シーズンだったことになります。

しかも東北へと北上してゆく、
安定した「若葉前線」と共に、
作物の実り予想を追いかける、
強かな計算もまた見られます。

詳しくは (^^)/ 、
当ブログのカテゴリーのひとつ、
“ 芭蕉と「奥の細道」” をご覧いただければ嬉しいです。

【Word chain しりとり】
またまた「ライトモティーフ」してしまいました。
「重要素材・小主題」の「連鎖」のことで、
当ブログタイトルになっています。







『騎士団長殺し・第2部』

「爽健美茶」

北陸本線上りサンダーバード自由席は、
この日お彼岸Uターンもあるのか珍しく超混雑。

ようやく京都駅から座れました。

終着駅近し、
それは「騎士団長」も同じこと。


あたかも「爽健美茶」の如し、
ハト麦・玄米・大麦・どくだみ・はぶ茶・チコリー・月見草、
ナンバンキビ・オオムギ若葉・明日葉・黒ゴマ・ヨモギ、
そしてビタミンC・・・。

いろんな世界の混在感は、
ひとつの核心に向かって収斂されつつあります。


鈴が無い・・・ノーベル・・・まさかね。
DCIM2837



















[追記]
終着駅に向かっているのは、
担当学年である中三生も同じです。
中高一貫らしく卒業式設定が遅く、
いかにもイニシエーション(通過儀礼)的なのですが、
まさしく「ターミナル」、
次に向かっての折り返しの起点となります。
 

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