NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

カテゴリ:詩・短歌・俳句 > 芭蕉と「奥の細道」

「松の内」は明日(十五日)の「小正月」まで…🎍
これが関西では一般的で、十六日は「藪入り」。


公私共に久しぶりの完全オフにした十四日(日)、
松の内の締めとなる旅は、アウトドアにするか
インナートリップか、二択ながら暫し思案です。


A: 近場で小さな旅
いつもの「住吉川SDGsクイズ日記」の旅

B: おくの細道の旅
続けているNP超訳で「白河越え後」の旅

どちらかと言うと…、
Aは体を使うリアル、Bは頭を使うバーチャル。

Aを終えてからのBは意外にも可能なのですが、
その逆は厳しい… 頭使うとほんとに疲れます。

明日からの一週間が、今年初めてのフル稼働
の仕事であることを考慮し、自重してB旅に。
(「稼働」で志賀町原発を想起…ご無事を祈る)


標題句にあるように、(午前九時〜午後三時で)
白河越えから、阿武隈川・影沼・須賀川を経て、
日和田・安積山・二本松まで歩きました…芭蕉
この間は(たぶん)馬は駆らず川渡りもしながら、
歩いているようです…須賀川の宿場で四五日の
停泊がまた面白いですね…ほんとに連句会かな。


参考文献は幾冊もあるのですが、先入見が入る
とよくない(口語訳が生硬になりやすい)ことも
ありますから、前記した通りに… 原本にあたる
『芭蕉 おくのほそ道(奥細道菅菰抄 付)』と、
『芭蕉自筆 奥の細道』(共に岩波文庫)二冊、
これで、まず(ゆっくり)突っ走っています。


さて、Aのリアル旅をしなかったことで、ふと
思い出しました…三が日に1日だけの住吉川…
クイズの回答を忘れていました…以下にQ&A。


《住吉川SDGsクイズ日記  1月2日スペシャル》


《Q&A》
①アオサギを一羽発見、本当は何色?
 ⇒灰色、英語ではグレーヘイロー。

②カルガモと鴨との大きな違いは何?
 ⇒大きさと佇まい、鴨は軽くない。

③ピッコロのような竹笛を川べりで
 吹いている女性が繰り返す曲名は?
 ⇒「花は咲く」(東日本大震災復興曲)

④この日ゴミが多かったのは河口で
 トロ箱いっぱいの各種ゴミ一体何?
 ⇒年末のパーティーの残骸かと。
  
⑤タバコの吸殻とマスクの個数比は?
 ⇒9:1、季節柄マスクは捨てない。

⑥普通紙で折った千羽鶴大量のなぜ?
 ⇒推測は…木の葉と共に飾り付け。


【陸奥(みちのく)へ芭蕉とともに松の内】


【松の内畢(おわ)り細道旅続く】


🎍
松の内・・・(nikkei.comより)
年が明けて松の内の7日を過ぎても、大阪の町の
あちこちに門松やしめ縄が飾ってあることに気が
ついた。きれいに片付いている東京とは、季節が
異なるかのようだ。理由を尋ねると、大阪では
15日までが松の内という。ゆったり正月を祝おう
とする姿からは、大阪商人の誇りと意地がのぞく。

藪入り(やぶいり)・・・(wikipediaより) かつて
商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など
奉公人が実家へと帰ることのできた休日。旧暦の
1月16日と旧暦7月16日がその日に当たっていた。
7月のものは「後(のち)の藪入り」とも言う。





初帳面の初頁に入れ


一月六日は青春18切符で大垣へ。

初めての御城印帳を大垣城で購入、
貼り付けではなく挿し込み便利帳、
記念すべき一頁目に無論「大垣城」。

城内展示のコンセプトは何と言っても、
「関ケ原の戦いへの石田三成の誤算」。

結果は名だたる西軍武将と東軍武将の、
戦後の「斬首と俸禄」にまざまざと…。


大垣は江戸(東京)の帰途も合わせると、
もう五回目なので昼食はいつものお店。

駅前両側アーケード街の西通り中程に、
ふたつ並んだ寿司店のうち「すし半」。

プレミアムランチ1200円が成算の逸品、
にぎり・細巻・茶碗蒸・天麩羅・珈琲…。


そして、この日も芭蕉記念館でゆっくり
飛び出す映像「おくの細道」を見ながら、
「小寒」の、意外にも穏やかな冬日和に、
細道の果て、関ケ原の果てに浸りました。


【小寒にむすび地の果て大垣に】


この一冊は、余りにも心に染みたので再読、
青春18切符、日帰りの旅で大垣に携行した。

中味に触れるのは、文庫が新しい分ご法度、
でも少しお赦しを、金沢や輪島が描かれる。

これは奇遇でも確率論でもなくて、必然的、
能登半島地震お見舞いの気持ちが、沸々と。

大垣では、大垣城と芭蕉記念舘の二か所に、
滞在時間、三時間半弱しか居られなかった。


駅前や人通りのある所で、義捐金の募金箱、 
見かけたら必ず硬貨数枚、入れることにし、
今日も一万歩遥かに越え、歩けども見えず。   


【そりゃあなた思いが足りない冬の能登】






ちょうど地方統一選挙の時期で
つわものどもが夢のあとの儚さ
… 明石は神戸方面から人口流入
もあり子育て支援など人気の町。


たこ
(蛸・鮹・鱆・章魚)

三夏(夏じゅう)の季語で
子季語に蛸壺があります。

芭蕉が「笈の小文」の旅で須磨から明石に足を
のばした時の句が柿本神社の句碑にありますが
柿本人麻呂の「あしひきの」歌碑の刻字鮮やか。


《 蛸壺やはかなき夢を夏の月(猿蓑)》


季重ねながら季語は「夏の月」の方とか
須磨明石の旅だから源氏物語を踏まえて
(壺は桐壺・梅壺・藤壺などの局つぼね)
蛸壺とか… 御当地は一ノ谷や敦盛跡近く
はかなき夢は平家物語の盛者必衰だとか
須磨の浦の謡曲「松風」のイメージ入り
とか… いずれにしても秀逸句のようです。


もう一碑

《ほととぎす消えゆくかたや島ひとつ(笈の小文)》

があるのですが…明石天文科学館の前庭にあって
この日は敷地内が定休日で見られませんでした。


気を取り直して柿本神社の茶屋で「でんがく」を
いただき更に南下して魚の棚(うおんたな)商店街
の「たこ磯」(行列30分)で「玉子焼き」を賞味…
明石焼は玉子焼きと呼ばれるつけ汁型のたこ焼。


芭蕉のゆかりを訪ねての鉄旅続編のはずでしたが
仕舞いは季節限定や明石ゆかりの食を味わう旅に。


この仲春(3月中旬〜4月上旬)はよく旅をして歩いて
映画をみて本をよんで美術館や寄席にも足を運んで
食彩を味わい… 春の夢は時の流れに身を委ねること。


すでに仕事モードに入りましたが…ひとつだけ撤回
LINEのこわ(強・怖)さと有り難さが分かり近々復旧
いたします…独り善がりでご迷惑ご心配おかけして
よろしくなかったです…やはり「つかい方次第」で
おそらくはChatGPTもそうなるのでしょう甚だ自戒。



【戦いの続くあとさき春の夢】



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笈の小文の旅で芭蕉は須磨・明石まで来ています
…多分光源氏の一時退去の地に歌枕を訪ねての事。

おくの細道の旅(1689年)に先立つ1687~1688年に
松尾芭蕉は江戸を立ち郷里の三重伊賀を経て西下
して初夏の須磨・明石にまで足を延ばしています。

須磨寺の広い境内には他にも与謝蕪村や尾崎放哉
正岡子規などの句碑があります…先週の東京行の
帰路に決意した「笈の小文」を追いかけて後日談。


須磨寺や吹かぬ笛きく木下闇(芭蕉)


平家物語の青葉の笛の故事を踏まえていますね…
季語は木下闇(こしたやみ)で三夏…まだ「清明」
晩春入りしたばかりでお釈迦様の生誕の日付け
の「灌仏会(かんぶつえ)」(花まつり4月9日)を
待つ寺院内で甘茶(生薬の甘草茶)ふるまいを戴く。

帰路に遅い昼食で須磨寺商店街の「うの花寿司」
(寿し竹)を初めて賞味…おからの仕込みに三時間
という店主のお話を聞いてきずし(酢しめ鯖)格別
の寿司七貫なんと口当たりよくスイスイパクパク
…おかわり欲しくなり時間的に持ち帰りにした程。



【須磨寺の句碑三昧と卯の花寿し】



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