NPブログ「Leitmotiv 」言葉・論理・主題連鎖への旅

カテゴリ:詩・短歌・俳句 > 短歌と和歌と狂歌

わたしたち「誤解」してるんですね

いまは「真冬」(仲冬) なんですけど。
 

寒いのは…こうした発言と物言いを
ふつうにされている感覚の凄まじさ。


【すさまじきもの目くじらを立てるなと
          言い返される批判の軽さ】
(宏川)


軽いのは政治家でもメディアでもなくて
わたしたち自身なのだと…つくづく寒い。


【冬の季語マスクはずっとそこにある
   インフルエンザも風邪と共に去らず】

【ぴえんの画描けるようになり板書
   笑い声聞き危機は魔女なり】
(同)


そうなんですよね~ぴえんの画かなり巧いんですよ。(^o^)丿

他キャラでは…びえん(鼻炎)・いえん(胃炎/言えん)や…
みえん(見えん)・にえん(煮えん)・きけん(危険/聞けん)
ちえん(遅延)・ひえん(飛燕/冷えん)…全てNPオリジナル
で描けるようになりましたよ…ええ 何事もガクシュウ。(>_<)


五人以上の会食にも
真冬並みの寒さにも
「ぴえん」ですよね。

ぴえんは宅急便のキキ並みに魔女かも…と本気で思っています。

【追記】
発信元?のJKによると「ぴえんこえてぱおん」という
ネット記事もあり…さらにぴえんな「2020新語大賞」。



(日経XTECHより☟)

「ぴえん」に使われるiOSの絵文字




2021年の雑節の「節分」が…
37年ぶりに2月3日ではなくて
2月2日だというのはご存知…。

そうですよね…立春が2月3日。

豆撒きの鬼も間違えそうだと
いうのが標題の短歌… 否 狂歌。

「疫病退散」
(やくびょうたいさん)


今回ばかりは心から(心の中で)
思いっきり儺(おにやらい) を
したい(掃除が大変なので😅)。


因みに2022年からはまた…
節分は2月3日に戻りますね。


下方に国立天文台ホームページ
説明を援用させてもらいました
もう少しだけ分かりやすくして
いただけないかなあと思います。
(実際には図があるのですが……)


【節分に天文学者とチコちゃんの
         どちらがうまく豆撒くのだろう】
(宏川)


【節分こそコロナ収まる頃ならめ】
(同)


[国立天文台ホームページより]
節分
豆まきなどの行事でおなじみの節分,節分はいつかと聞かれたら2月3日と答える人も多いだろう.しかし,この日付は固定ではなく,令和3年(2021)には2月2日となる.3日でなくなるのは昭和59年(1984)2月4日以来37年ぶり,2日になるのは明治30年(1897)2月2日以来124年ぶりのことである.どうしてこのようになるのか,簡単にまとめておこう.
節分は季節を分けるという意味の雑節で,本来は各季節の始まりである立春・立夏・立秋・立冬の前日それぞれを指すはずだが,そのうち立春の前日だけが残ったものとされている.つまり,立春が定まれば節分もその前日として定まるわけだ.

立春
では立春はというと,春分や秋分と同じく二十四節気の1つであるから,2012年のトピックスで説明した秋分と同じ理屈で同じように変動する.すなわち,1年ごとでは太陽年 365.2422日と1年 365日の差~約6時間ずつ遅くなる一方,うるう年には4年前より少し早くなる,というパターンだ .

こうして,しばらく2月4日の中に納まっていた立春の日が令和3年には2月3日へ移り,その前日たる節分も連動して2月2日へ移ったという次第.
 

それならこうはならないものを

・・・という現代歌人の短歌一首(松村正直)が
今日の神戸新聞朝刊「正平調」に紹介されて…
ほんとうに同感の思い強い朝です…直前には…
「言論を一色に染め上げ、戦意をあおった
メディアの責任もまた問われ続けよう」・・・。


わたしたちはメディアの非をよく口にしますが
ほんとうにメディアの責任なのでしょうか?…
コロナ報道もそうですが・・・それらを実の所
期待して自ら鼓舞して煽っている我々自身の非
そして責任ではないのでしょうか?・・・自戒。


【我々と言はれたくなし開戦日】


真珠湾攻撃(太平洋戦争の開戦の日)から
79年となりました…神戸新聞の第一面の
トップ記事は『真珠湾戦死「死後の選別」』
その左下方に上記「正平調」はあります…
神戸新聞と正平調に静かに穏やかに拍手…。

「開戦の日」は仲冬の季語です。


【開戦日語る暗いと言われても】





夕方16時半過ぎ暑さ収まる頃

久しぶりのジョグ&ウォーキン

隣の市迄2km更に4km隣隣市

国道2号線沿いに東へ真っ直ぐ


DSC_2717
この日は『伊勢物語』在原業平🍁DSC_2720

ゆかりの業平橋までマスクして

背筋を伸ばして両腕をしっかり

振り上げて大きめ歩幅で強めに

歩いて往復しました…夕景日陰。


業平橋は芦屋川に架かっていて

南下すると阪神電車芦屋駅へと

北上すると間近にJR芦屋駅へと

更に北上すると阪急芦屋川駅へ

と通じていますが芦屋川の河岸

は清流住𠮷川のような遊歩道の

整備少なく上から眺めるような

景観になっていて… 山麗しい川。



酷暑が続いていますがこの辺り

この時間には夕風が心地よくて

車の往来も然程には感じません。


(業平橋は東京墨田区の大横川に
も架かっていて浅草近く有名。)


二十四節気は立秋の候で処暑に

向かっていますから当然なので

すが… 短い夏が終わってしまい

空が高くなってきたことを覚え

… 紀貫之が「古今集仮名序」で

業平を評した余りにも端的な…

「その心余りて言葉足らず」と

いう思いを我が身にも重ねます

ちょっとおこがましいけれど。😅


【意余りて言葉にならず秋きたる】



ちょっと相当ひどい句ですね。

18時を過ぎて帰着する頃には

ともに投手戦になった阪神戦

オリックス戦が始まっていて

ともに今日負けたら余りにも

短いペナントレースも終わり

だなあと染々感じていました。



《後記》

まさか本当にそうなるとはね 😭

いい投手が気の毒な無為無策。


【為無くして策も出せずに飽き来たる】
(宏川)
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🍁在原業平
(ありはらのなりひら)の歌・・・

ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川
    からくれなゐに 水くくるとは
『古今和歌集』撰歌
   小倉百人一首17番


世の中に たえて桜の なかりせば
    春の心は のどけからまし 
『古今和歌集』撰歌

忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや
    雪踏みわけて 君を見むとは
『古今和歌集』巻十八、雑歌下

唐衣 きつつなれにし つましあれば  
    はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
『古今和歌集』撰歌

名にし負はば いざこと問はむ 都鳥
    わが思ふ人は ありやなしやと
『古今和歌集』撰歌

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ
    我が身ひとつは もとの身にして
『古今和歌集』巻十五、恋歌五


【 ブルックナーのシンフォニーを
                            聴きながら
                「品川猿の告白」を読む 】

【 いつ何処で読みしか忘れ
                            品川猿
            従はざるかと思い込みしか 】


とまあ、短歌の出だしにやれやれと
思い込みに気づくのだけれども… と
村上春樹風ならこんな文体かな?

7月初刊の短編集『一人称単数』を
買いそびれていたところ…その初版
をプレゼントされ猿踊り…さすがに💃
しませんが大喜びしている次第…。

一篇目が短歌素材の「石のまくらに」
だったので… 記憶が蘇ってすぐ比較
… そうです「初出」とは改変するの
が村上春樹さんの常…「レキシントン
の幽霊」などは凄まじいものがあり
… NP出版社との手紙のやり取りまで
やって「あ、そういうものなのか」
と思い知ったことがありましたね。😅

今回たとえば、わずか五行ほどの間
に… 二か所発見しましたが基本短く
なるんですよね… なるほど文章修業。


(単行本) ↔️ (初出誌)
p17
ないだろうと ↔️ ないだろうということが
一週間後 ↔️ その一週間後


些細なことかも知れませんがもっと
重要な改変も有り得るのがハルキ的。


さて
八篇中で三篇の「文學界」初出作品
さらにブログ冒頭「品川猿」特には
唯一の書き下ろし「一人称単数」を
一読速読してハルキワールド堪能。😃


短歌は基本的に「一人称単数」作者
によるものですよね… 俳句も同じで
すが…「単眼」という切り口が増え
ていくほどに「複眼」になる短歌集
のように「切片」重ねての短編集…。


それでも結論らしきに至りて
村上春樹は俳句素材的ならず
下記二句もやはり散文的です。


【指の先螢追ふ村上春樹】
【鈴鳴らずとも秋に村上春樹】
(『蒼穹』夏と秋 )


【2020四十年目の秋春樹】


デビュー作『風の歌を聴け』は
1981年7月23日の初刊でした。📕


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